2012年12月26日水曜日

63 言いたいことがあるなら言ってみなさい

2012年12月26日(水)はれもの

自分の意見を言うことについて書こう。

自分の意見を言うこと、自分を表現すること、自分で行動することに抵抗がある人は多いだろう。相手と意見が違ったり不利益になったりしてしまう、申し訳無い。こんなことを言ったら馬鹿にされるんじゃないか、自信が無い。自分がいなくても面白く動いていく世界にわざわざ介入しなくてもいいじゃないか、面倒くさい。一つでもそれらしい理由があれば、それは抵抗として働く。

本当に面白くて不自由無いのであれば、私が言うことは無い。本当は思ってることを言えないんであれば、言った方が良いって話をする。

−−−−−−−−−−

ぼくも昔からそういう部分があった。
幼児期はこうだ。どうせ何を言ってもこの人達は聞く耳を持たない。自分が馬鹿にされるだけならまだしも、彼らが誤って調子に乗ってしまうくらいだったら、何も言わない方がまだ世界にとってはプラスだろう。
小学生高学年。自分は何が偉くて人に横柄な態度を取っているのか。確かに自分は周りより賢い、この人生は自分の楽しみのためにある。でも、他人から同じような扱いを受けたら悪徳だと怒り狂うに違いない。謙虚になろう。
中学生らしい悩みもあった。自分は論理ばかりで考えてしまって、面白いことをなかなか言えない。自分が面白くても他人にとっては面白くないことが多い。逆に他人の行動は、彼らの中でも自分にとっても面白い。だったら何も自分が出しゃばることはない。
高校ではやっぱりこう考えた。そもそも自分の行動、自分の生命、世界の存在にはどんな意味があるのか。良いことと悪いことを決めるのは何か。善悪が無ければ何を基準に動くのか。

嫌われるほど他人に介入しまくる時期や、周囲とのうまいバランスを取る役をもらったこともあるが、基本的には受け身で奥手の聞き上手で生きてきた。だけどそれだけに、自分の数少ない表現は意外性を伴って周囲の中で輝き、記憶に残るものになっていたと思っている。やはり表現は少なくて満足していた。

そんなぼくだけど、ここ数年は積極的に行動を起こすことを心がけられるようになっている。それが当たり前の人には何の説明も要らないだろうけど、可哀想な私には時間がかかった。

高校時代から哲学的な思想に縛られて動けなくなった自分が日常生活になじむのには時間がかかった。いったん知ってしまった無知はもう知らないことにはできない。できるとすれば、完全に忘却でもするしかない。独りで訓練と空論を重ねて、やっと景色を眺めても人の言葉を聴いても頭痛や吐き気を催さなくなった。

だから自分の行動には中学レベルを超えた理由を持っている。特に他人の人生に介入するようなことについてはことさらだ。

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前置きはこれまで。自分の意見を述べる勇気について書こう。

■例えば、いわゆる哲学的で陽気な思想を持つこともできる。

自分の思うままに行動するのは当然のことだ。世界中、環境や能力の差こそあれ、誰もが自分の思うまま思って動いてる。そこに良いも悪いも無い。たとえ何も干渉したくないと思ったって、そこに存在している以上、動くも動かないも世界にとって何の差もない。大体、誰がいつどう考えて行動するかは天気と同じで計算できることなんだから、同じレベルで悩もうとしているだけ図々しい。どうせなら楽しい方向で行動したい。短い人生だ。

断言はできないけれど、否定もできまい。見えないものを否定しないのはサンタクロースと同じく子どもらしい素直さの一つであり、より永い科学の範疇でも全く同じことだ。

■でもこの思想はやっぱり根本的過ぎて現場に則させ難い。ここに、今までぼくが生きてきて得た現代的で陳腐な知識を三つ、加えよう。

意外と世の中馬鹿ばっか。子どもの頃思ったほど大人は頭良くない。とりあえず周囲の流れに流されて、なれ合って嘲笑って誤魔化して、普通に生活ができただけで調子に乗って、自分は何もかも分かってると本気で信じ込み、そのまま凝り固まって相手に押し付けて生きてる人が多い。どの局面でも、自分自身で考えることをしてない。他人を蹴落とすことを考えている。発想力も乏しく、新しいことはやっぱりやりたがらない。
 もちろん、世の中100%そういう人間だとは思ってない。そういう部分が平均20%ある人が98%くらいいるんじゃないかと思ってる。多く見積り過ぎかも知れないけど、普通に生活している分には一生知り合えない人種もけっこう多く同じ土地に暮らしているものだ。

もう一つは、意外と世の中みんなも謙虚だ。喋る人は喋るが、喋らない人は喋らない。何かおかしいと思っていても、最初に言い出す人にはなりたくない。みんなが言ってないからそういうものだと思ってしまう。「私もずっとそう思ってた」なんて後から言う。だからバカなんだよ。大きな組織でもそれは同じこと。

三つ目。意見が違えば議論しましょう。相手はバカだしこっちだってアホだから、意見は食い違って当然だし、上下関係があったとしても言い負かされるとは限らない。それに、議論は意外と憂鬱なことではない。理解できない相手の考え方を聴いて理解する機会であり、自分の価値観や理想を分かってもらう機会でもあり、相手に教えることになっても自分が教わることになっても大変有益なことだ。意見が違うからといって論争する必要は全く無いし、相手だって争いは嫌いだろう。明解に伝えて説得する話術、穏やかに話し合って進める技術を磨く絶好の機会だ。
 それに、若くて立場が下の人ほど意見は言いやすい。だって負けて当然だと思われてるもの。勝ったら気持ち悪いくらいだ。評価されるのは、その後しっかり学んだことを示す行動を取ることであって、何を考えているか分からない奴の方が厄介だ。


もし間違ったことを言ったら、訂正すればいい。言い過ぎたと思ったら弁解すればいい。怖くて意見を言えないだけの良識を持っているあなたなら、もし言葉が稚拙で言い過ぎたとしても、それを弁解できるだけの配慮がある。分からないことがあれば質問すればいい。多くの人が経験あるだろうが、一つの質問をすれば、五つも十も教わることになる。大切なのは行動して学ぶことだ。子どもと同じ。
 小さく小さく育てられた皆さんが可哀想。ぼくもその一人だけど、大きなことを想像すると殺されかけたものだ。今また生やそう。


分かったらキラキラ働けこのクソガキども★☆★

2012年10月22日月曜日

62 ビラ配りのコツ等まとめ

2012年10月20日(土) 天高く

ビラ配りといえば部員勧誘よね。僕もやったことあって、いつも評判も良ければ自負もある。でも今回は直接自分のためじゃなくてお仕事で配ることになったけど公道では初めてだったんでちょっと調べていきました。

小一時間ネットで調べた情報と私見、今回の業績なんかをまとめてメモしておく。こういうことは著作権とか弱いから嬉しい。

〓〓=基本=〓〓

◯目的と責任を持って、明るく爽やかに、分かりやすく手短に、相手を思いやること。
◯具体的には、笑顔で清潔な服装で、大きく聞き取れる声で素早く、取りやすく渡す。
第一印象を完璧に:しっかり寝て健やかな顔で。清潔で美しく、明るく爽やかな笑顔で。カジュアルでも堅くてもここは同じ。心理的に言えば第一印象が全て。物理的に言えば全ては第一印象。
インパクト:おっ、と思える何かがあると良い。まず見てもらう、何なのか分かってもらう、こっちに来てもらう必要があるし、話題性があって憶えてもらえる方が良い。奇抜な衣装、変わった売り文句など。
☆捨てられたビラを帰りに回収しましょう。イメージダウン&クレームの元。

受け取ってもらえるという前提で配る:失敗してもリスクなんか無いんだから成功のイメージだけを持ってそれに合わせれば良い。大体客を信頼しないなんて無礼極まりない。現実的に考えても、普通は受け取って損するものじゃないんだからこちらのやり方次第でどうにでもできることを理解しておく。
受け取られなくて当たり前:渡せなかった場合にはこう考えて心を折らぬようにとの声も多い。最初でやる気もある内はけっこう無視されると分かっていても傷付きやすいらしい。
◯全ての人に渡す、全ての人に好きになってもらう、全ての人に来店してもらう、全ての人に幸せになってもらう、ということを最終的な目標にすれば筋が通る。


〓〓=配る場所=〓〓

×悪天候:気が散る、手が塞る。吹き飛ぶ、濡れる。捨てられる。
◯基本はターゲットとなる人が多い場所。あと配布物とちょっとでも関連がある雰囲気の場所だと良い。

 =(1) 配布ポイント=

☆ターゲットの多い場所:母数を増やすことはもちろん、一人一人の心理的にも有利になる。
☆通行人の心にゆとりが生まれる場所:ただ前を見てただ歩くだけの退屈な場所。
☆自然な場所:配る物や服装に対して不自然な場所で配ってるともらいたくない。

×別の建物の真ん前:迷惑なことにビラ配りを迷惑行為として取りしまる区域や組織がけっこうあります。警備員などがうろついてる場合があるので、予め目につかない場所を取ると無難。
◯駅とビル街の間、学校とマンションの間など:人が多く出入りする場所をつないだ道が良い。予め複数のリサーチが必要になる場合もあるか。
◯横断歩道:人がたまりやすい。邪魔にならないように。
曲がり角:人の流れがしっかりしているし隙間があるので邪魔になりにくく、ターゲットも決めやすい。特に道のこれから曲がる側は人が急に増えるので、人の流れがやや遅くなる上に、ビラに群がっているかのように見せることができる。逆に道の向かい側は心と時間にゆとりのある人が多い、かも知れない。
△雑踏など:あまり人が多過ぎると、心を閉ざして下を向いて歩く人が増えそうだし、ぶつからずに歩くだけで余裕を失う。
他の売れてる配布員の下流:一個目もらった人は別のもう一個ももらう。瞬時に判別を切り替えるのが難しいし、もらわないと印象が悪くなってしまうから。特に広告専門業者の場合、ビラの内容に関わらずそもそも位置取りが上手いから側にいて間違いないハズ。
×売れてない配布員の下流:特に政治や宗教の団体は人気無いだけに頑張って見た目がハデだから注意!下流につけられてしまった場合でも危険か。

 =(2) 細かい立ち位置=

横軸
人の流れに沿う邪魔にならない場所で:最短ルートの一歩となりや道の端など

×人の流れを分かつような位置取りはもちろん、「この人からもらうと他の人の邪魔になってしまう」と思われる場所に立ってると、何を持ってても避けられる。
△道の真ん中:左右の人に渡せるが、見込める効率は2倍以下で、邪魔になりやすい上に渡しにくいため、よほど広い道で配布員が少ない場合以外は危険。


縦軸
◯最短でも、配布物の内容を理解できるだけの時間が取れる距離に立つ。
◯少し遠くから見える位置に立ち、絶対もらいたくない人には予め離れてもらう手もある。
△多くの人はもらうのがめんどくさいからあまりに遠くから見え見えだと避けられやすい。
◯逆に、通り過ぎる直前に驚かすように差し出すと受け取ってもらいやすいと教えるところも複数あるらしい。特にオマケややる気が無い場合は、物陰に身を潜めて即時決戦が効果的か。

 =(3) その他、不足情報など=

○複数人で同じポイントで配る場合:
細かいこと考えなくても上手くいく。同じものを配っているのが分かる程度で少し距離が開いていると受け取りやすい。道の左右を固めることで賑わってる感じが出せるし、諦めてもらっていただきやすそう。
○飲食店等の場合:
店のすぐ近くで。やや逆説的かも知れないけど、印象に残る。どうせ遠くにいる人だってビラをもらってすぐさまその店に行くわけではないんだから、分かりやすい場所で吉。

●配布する時間については情報が少ない。通勤、帰宅時間が基本かな?


●背景に何をもってくるか?:車道、建物、樹木…。開放的or限定的/遠くから見たときor近くで見たとき/天気や時刻/眩しいと判断力が鈍るという後光効果を狙って…暗い方?
●道路の右側に立つか、左側に立つか?:複雑過ぎて優先順位は低そう。世間は大体右利きだし、左手には荷物を持ってる人が多いから右手側か/いや、その荷物を渡すんだから左手側か/そもそも歩行者は右側を歩くんだから右側ではないか/ここはビジネスマナーに則って下座である左側にすべきでは/左手で物を渡す人は地獄に落ちるという宗教が…


〓〓=配る相手=〓〓

△男性
◯女性
×若年:お互い興味無い場合が多い。集団でポイ捨てして学校から苦情来たらたまんねえな。
中年女性:お互い興味ある場合が多い。しかもおしゃべり。
△音楽プレイヤー:聞こえにくい。入り込んでる。
△自転車:手が塞がってるのでダメな人、もしくはカゴがあるからOKの人。一瞬で見極める必要がある。もちろんスピードを計算して全体的にタイミングを早める必要がある。
◯何らかの理由で腕が胸元にある人:受け取り体勢バッチリ。

☆始めから渡すターゲットを絞るのも手だけど、そもそもビラ配り自体に新規開拓を目的とした広告活動という意味があるし、特にオマケには客のハードルを下げるという意図があるとすれば、あまり客を選ぶのは筋が違う。配布する数にもよるが、基本的には積極的にお配りした方がよろしいか。


〓〓=いざ配る=〓〓

 =(1) 発言=

聞こえる、聞き取れる、短い、美しいが基本。相手に負担をかけない。

◯「おはようございます!」まずはご挨拶が礼儀。アンターゲットにも元気良く。
◯「お願いします」スタンダード。特に問題無い。
◯「お疲れ様です」Good.歩いてる間だって忙しいんだ。お互い頑張ろうね。

×「東京ニコニコマート大宮店です!( ^ω^)⊃」:知らねーし何の店だよ。
×「ネパールのオリョーリです(´_∋`)_」:割引券も付けないで客引きしてる店のビラもらったらその場で足止め食らったりマークされるんじゃないかと思う。
◯「ポケットティッシュです、ご利用ください」:捌きたいだけなのがすぐ分かるし、オマケをアピールできてるので効果は高いが品が無い。興味無い店のをもらうと申し訳無いと思う人も多いので、店名を伏せると有効
◯「美容室です、割引券お配りしてます」最初に身元を明かすのは礼儀正しいけれど、こちらが客を選択することになる。配布の速度は落ちるが、受け取る客の質がグンと上がるので戦略としてはアリ。
◯「半額クーポン券でーす」:詳細を伏せることで興味を引くと同時に、もらって損はないと思わせる。もらった人はどこの店の物か確実に確認するので新規開拓能力がありそう。

 =(2) 動作=

◯5mくらいから渡す人を特定して目を見つめて歩み寄り、逃げられないようにする。「私はあなたに渡そうとしています!」「あなたはこれを受け取る価値がある方ですよ!」「受け取ってくれるんだよね、ありがとう」と顔に書く。
◯まずビラの存在を知らしめるため、ビラが空から舞い降りるかのように弧を描くように手を動かす。一連の美しさにまるで吸い込まれるように手に握らせてしまうのが目標
◯持ち易く読み易く:ビラなら半折とかにする。そしてティッシュ、ビラの主旨など一番のアピールポイントが表にくるように、もちろん見やすい向きで差し出す。
絶対必ず手元に:取る動作がめんどくさい。恥ずかしい。気が利かないお前が嫌い。
△より良いターゲットがいない限り、2,3歩付いていく:1秒だったら素通りしても、3秒かけて何のビラかちゃんと分かって考えられたらもらう人もいる。ただし、気まずくてあんまり後味良くない。

 =(3) その他=

×しつこいのと無理やりはアウト。
×道を横断する動き:ぶつかるのは最悪だけど、人の流れを遮るような動きが遠くから見えただけで、距離を取られてしまう。前後左右に注意を絶やさないこと。
◯渡せなくても「よろしくお願いします!」:相手は敵ではない。別のお客様もご覧になってる。
◯テンポ良く:配るだけ配って関係を一瞬で切ろうという雰囲気をこちらから出す。どっしり落ち着いてる配布員は会話に発展する恐れがあるから近寄りたくない。
◯冷たく形式的な態度は絶対的にNG。と思いがちだが、むしろそれが安心感を与える場合だってある。基本的には警戒心を和らげて一瞬心通うくらいが効果的である一方で、見ず知らずの人に少しでも入り込まれると気持ち悪がるコミュ障も多い。こういう人には毛を逆立ててる捨て猫を目で慈しんだ結果噛まれるくらいの覚悟を持って、できる限り形式的に接して特別扱いして差し上げないことが心遣いだと存じる。
コンビニ、アパレル、駅などの職員は、独特のイントネーションで話すことが多い。普通の感性からはなかなか出てこない異常なものではあるが、特有の型にはまっていることで落ち着きや安定感を聞き手が得るという特性があることを参考にして、ビラ配りもやや距離を置くくらいにすると効果が上がる…かも知れない。

〓〓=配らせる=〓〓
人をして配らせる場合の話をちょこっと。

 =(1) 道路使用許可証=

取ってください。持たせてください。その範囲なら法的には問題無いので、誰に何を言われようとビビる必要は無いそうです。
●ビラ配りで検索しようとしたところ、アシストに「許可」「法律」「 違法」などが出てきましたです。いろいろ気になってる人が多いってことですね。

 =(2) 配らせる物=

△大きい物
◎ティッシュ、試供品、飴、文房具など。
☆ビラの内容について基本的な話。名称はWebで検索できるもの。住所だけではなくて必ず地図を。連絡先、営業時間は必須。メールアドレスは短く分かりやすいものにしろ。QRコードがあればなおよし。あとはインパクトがあって覚えやすく、楽しく、美しく。
配る場所や時間帯によって内容を変えるというレベルの高いこともやってるとこはやってるそうな。

 =(3) 配らせる人=

△おっさん
◯若い女性
☆外立ちは、その店を知らない人からすれば特に、その店の顔、第一印象そのものだから、仕事できない男くんを単独で配置するのはかえってマズい。元気で感じの良い人、何を訊かれても大丈夫な人とセットで動かせて教育にあてるくらいでちょうど良さそう。屋外では四方八方に店を知らない冷たい人がいるわけだから、立ち居振る舞いや予想外の対応が完璧にできる人にとっても重要な仕事。

〓〓〓その他考えたこと〓〓〓

☆行列と同じように、内容が分からなくても人が群がってると自然と次も来る。また、メニューを一緒にしたがる人と同じように、他の人が持ってるものは自分も欲しくなる。殊ビラ配りにおいては、客が客を呼ぶ性質が強い。これを利用して、予め優秀なお客さんを自分に寄せ付けて逃がさないように位置取りや演出を考えると、準優秀なお客さんを巻き込むことができそうだ。また、逆も然り。見込みの無い人は最初から遠ざかっていただくように考えると良い。

人によって態度を変えるべき。面白い感じが良いのか、仲良くしたいのか、上か下か、強か弱か、緩急、軽重、冷温、明暗…こちらは様々に印象を変えることができる。相手がどういう人間でどういうコンディションなのか瞬時に感じ取って、どうすれば気持ちよくなってもらえるか瞬時に理解して、表情、言葉、声、立ち居振る舞いで表現すると良い。笑顔一つとっても、誰がどう見ても明確なバリエーションをつけることはできる。

☆高度な話だけども、通行人の中には、つまらないビラでも良い配布員であれば受け取りたいし、良いビラでも悪い配布員であれば受け取りたくない類の人がいる。物ではなく人を瞬時に見極めて評価を与える行為によって、自分の人間性を体現できるからだ。良い配布員とは、ビラ以上に気を配り、心を配る人だ。

☆両手使って補充も素早くするために、首から配布物のカゴなどを提げるスタイルが良いと考えた。在庫が見えればお店で商品を手に取る感覚で取りやすいし。

 =実際に配ってみたぽ=

◯スーツ着てったけどあえて地面に置いて、Yシャツに腕まくりで挑んだ。正式な感じは悪くないと思ったけどやっぱ第一印象で親近感与える方が上かなと。
◯胸ポケットにオマケ一個入れてチラつかせてみた。どこを見ても伝わるように。
◯名札つけて臨んだ。これで怪しくないという身元証明ができる。これは第一印象じゃなくてもできることなんだな。
◯メジャーな飲み物のペットボトル傍らに置いといた。ほんの少しでも情報を増やしてインパクトを与えて憶えてもらおうと思って。あと場所を広く取って何か楽しげなことやってる感じを出したかった。美味しそうと思ってもらえたら便乗して良い印象を与えることもできるかな、と。
◯ズボンのポケットにも配布物を入れてみる。だらしなく見えるけど、職人ぽく見えなくもないかなぁみたいな。袋から取り出すのがけっこう時間かかるから、けっこう役に立った。
◯ターゲットじゃない奥さんにも臆せず挨拶する。笑顔で返してくれる。

いろいろ考えて緊張したのに、相手が子どもだったので9割方もらってくれたから全然一般的じゃないデータしか取れなかった(´ω`)配ったうちの2%くらい落ちてた。うち一個は紙飛行機だったよ。

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以上。
まぁ、別に特別なこと何一つ書いてないけどね。考えれば分かることをちゃんと考えるってのは大事なんだねってことを世の中のみんなが分かってればこんなに毎日イライラしないのにと思います。おしまい★☆★

2012年10月20日土曜日

61 秋風と太陽

2012年10月20日(土)

今日もまた朝が来た。
よく晴れている。秋だけど寒い。
自由になりたくて、ファストフードを食べにいった。
わざわざ着替える。少し遠いし、当然お金もかかる。だから行く。
店の中で、七五三に行くという兄弟に出会った。
皆が見知らぬ彼ら家族に声をかけていた。

店を出てもまだ寒いが、さっきより明るい。
木々が眩しい。一つ一つが個性的で心惹かれる。
人が作ったまちだって、どれ一つとして同じものは無いだろうな。
一生ご飯も食べずに歩き続けたいという子どもの頃の夢に想いを馳せる。
24年という歳月を歩き続けていたとしても後悔しなかったろう。もちろんこの先も。
日の光に晒されているものは、何もかも美しい。
白日の下へ進む者が何をおいても正しかったのだろう。

帰り道、廃校になった小学校の跡地を小一時間眺めた。
校門から校舎までの景色はどんなだったっけか。
朧気な記憶も、もう二度と見ることはできない。
卒業してから、もう10年も経ってるのか。6年しかいなかったのに、もう10年。
その間、訪れたのは、1回だけか。
止められても行けば良かった。今日みたいに。
今考えると、この敷地のこの場所に校舎があったのか。意外と小さい。
鮮明な記憶も、もう二度と見ることはできない。

体が温まる。
久しぶりに長いこと日に当たっていた。お風呂より温かい。
でも、まだ手が冷たい。空気にそぐわない、屋内の冷たさだった。
どれだけ中に閉じ篭っていたのだろう。
熱いコーヒーを飲んでも、
布団の中で一日を過ごしても、
体中ふやけるまで風呂に漬かっても、
中にいる限り温かくはなれない。
外に出て陽の光を浴びなければ、体の中は温まらない。

小学生のときも、よく日なたぼっこをして時間を過ごしたなあ。芝生の上で。
結局今も昔も変わってないんだね。今もよく学校で寝転がってるもの。
僕はきっと子どもの頃を忙しくし過ぎた。
他の子どもたちを見て、決して無駄に過ごしているなんて思ってなかった。
むしろ、自分の知らないことを沢山知っている人達。羨ましいとも思ってた。
お勉強こそよくできたゲームで、その他のことを学ぼうとはしてなかった。

なぜ自然に触れている時、ふと誰かと一緒にいたくなるのか。
きっと、自分がここにいたことを誰かに憶えていてほしいからだろう。
自分の想いを、もう一人の誰かの中に持っていてほしいんだろう。
誰かに想いをすべて託して、その人の想いをすべて受け止めたいんだ。
せっかく何もかも開いているのに、身軽になれないんじゃ気持ち悪い。


もう学校の前の歩道橋を渡る人はいない。
今は高い壁に囲まれている小学校跡を一望できるこの歩道橋から
一人で、改めて町を一周見てみる
なるほど校庭の真ん中に立つこのけやきの木はこの町で
一番大きな木だったんだな、ときづいた。

そういえば、途中で拾って届けた電車のICカードは本人のところに帰っていくかなあ。


2012.10.20★☆★

2012年10月18日木曜日

60 逍遥:無二十色田無

2012年10月16日(火)秋ん晴れ

秋ですね。我が家では半年ぶりくらいでお風呂を炊きまして水を得た魚の気分だったので、NHKの合唱コンクール見て、気分転換の波に乗ってお散歩してきたの記。大変な悩みがあるときは全てから逃げるようにお散歩する。悲しいことに、辛い時こそ自然や音楽や言葉は本当に感動する。同じ事でも珍しくなければする気が起きない。抑制されて誰も思いつかないような悪事にこそ興奮する。つまり希少価値を求めて生きている。

写真60枚以上撮ったけど全て植物&猫&建築&岩だったですーん。良い感じのやつだけ貼ってみる。



最初に撮ったやつが加工なしでデフォルトの壁紙みたいなデキ。撮りたいものがこのくらい小さいと寄れるから綺麗になるなぁ。これは最初に行った小さな公園の金木犀。お花屋さんの正面にある公園で、小綺麗にコーディネートされてた。ひまらやすぎ、まてばしいの木もあった。平仮名だと面白い。



そのへんの階段。ボロくてジャングルジムみたいな感じと蔦が気に入った。でも人が出入りする所だと怒る人もいるから気が引けるちね。いい加減その程度の情報は全国民公開してほしい。そうでないとかえって悪い事が増える気がする。法的にはどこまでが無許可でいいのか僕は知らない。



ケヤキ。若いときはそばかすが綺麗に並んでるのに、年を重ねると月並みなお肌。2つ目に行った大きめの公園は、太くて高い木が沢山生えてた。撮ろうとする手に蚊やら蛾やらが止まってきてブチ切れそうになった。曼珠沙華がショッキングな感じで枯れていた。



ヒマラヤスギちゃんと一緒に覗く。この時はまだ園児&ママタイムだからカメラを持ってウロウロすると視線で血が出るレベル。2時から4時にかけて小学生タイムへ移行するけど、この時間にスクールゾーンに迷い込むと見回りのおっさんが黙殺しにかかるから厳重注意。お前がくたばれ。



そのへんの散らかってるお宅。やっぱり雑然としたものを好むのは嗜好の一つとして多数派じゃないのかなぁ。車なんかいい感じに汚れちゃって素敵。時間かかって汚れたり老いたりして複雑に折り重なってるものが好きなんだよねきっと。子どもが好きなら老人も好き。



3つ目に行った公園のそばの、謎の石像と岩が乱立するごく閑静な地帯。樹木と岩石と水を配備して怖いものなしって感じ。自然は人間にとって大先輩ですから、いつも側にいてもらってあやかりたい気持ちはとってもよく分かる。全然整ってない無二の美しさを留めておきたい気持ちもよく分かる。しかしまぁ岩を祀っても子どもがいれば乗っかって遊ぶんだろうなぁ。


お散歩の当初の目的の一つは、木を見て初めて名前を覚えることだった。今回は、金木犀、イチョウ、モミジ、ケヤキ、ヒマラヤスギ、まてばしい…くらいかな。とにかくあちこちで金木犀の香りがしていて、昨年金木犀の香りをイメージして作った曲が何度も頭を過ぎって嬉しかった。木は曲のイメージすんごい湧くわ。あとはやっぱり子どもね。

木を撮っても検索かけて説明が出てこない。曲が分かっても歌詞や音名が無いと検索できない。僕たちは言葉が無いと共有できない部分が多い。この状況はあと何年でしょうね。

おしまい。なんだか眠いんだ★☆★

2012年9月29日土曜日

59 反平論ー平和は例えば零和

2012年9月27日(水) 曇のち涙

ここ数年、平和を弊害に思う風潮が高まっている。私個人の中で。教育と絡んで雑記をひとつ。

自分の育ちが悪いと思ってる。でも、とりわけ貧乏だったわけでも酷い虐待を受けたわけでも教育を受けられなかったわけでもない。じゃあ甘やかされて育ったから考え方が贅沢なのだ、と言って聞こうともしない大人達の世の中で育てられたから悪いと思ってる。

比較的平和な世の中で、比較的恵まれた生活をしている人達の中で、著しい学力低下、失業、鬱病、自殺が蔓延している。それぞれの割合を考えれば日本の若者の8割近くが少なくともいずれか一つに当てはまるのではないかと思ってしまう。

比較的恵まれているというような実感の薄い知識はプラスにならない。大切なのは個人が実際に感じる落差だ。動いていないものを人間の眼は見ることができないのと同じように、平らで変化の無い世の中で自分自身すら動かずにいれば、何も感知することができないし、感情も持てない。人肌のお風呂には感動しない。下を見るのは優越のためではなく、上に引き上げるため。

逆にいわゆる悪い環境でも、伸びていく人はいる。もう一度言うけど大切なのはその成長した分であって、変化が無いことにはいわゆる良い環境も良いと感じられない。他と比較することが意味が無いと言ってるんじゃなくて、身近で実感を伴うようなものでなければ健康な精神を保たせるには足りないということで、他との比較自体は自身を認識するためにはとても有効なのは周知の通りだ。

もう一つ加えよう。どれほど劣悪な環境を考えても、何者かと意思の疎通を図ることはほぼできる。その内容は、突き詰めれば物質的な環境とは無関係かそれに近いものになると思う。また、人生経験が豊富な人ほど思想や知恵を得るきっかけこそ多いものの、可能性が大きいだけに過ぎないし、思想や知恵というものは想像力の上に成り立っているに過ぎない。物質的な条件は無関係に近いと考えてる。

平和なこの環境において、

僕は自分の育ちが悪いと思ってる。生まれたところからどれだけ伸びたのか、そもそもどれだけの可能性があったのか、他と比べて一体どのくらいのレベルなのか、と考えたときに、少し考えるだけでも深く考えこんでみても残念としか言えない。

この年になると、教育についていろいろ考える。思考や実験の際には、余計な条件を捨象するのが学問の基本だ。人間という生物の核心的存在で、純粋な反応を大量に観測できるものとなると、子どもだ。しかもこれは万人が自分自身で経験したことまである。僕が子どもを愛する理由は大体こういう場所にあるんだけど少し別の話。
 考えを巡らせる。自分が子どもの時はどうだったか…。自分が子どもの時におかしいと思っていたことは、今考えてみるとどういうことだったんだろうか。あぁあの時お母さんが言ったことが全部正しかったと思う日が来る、アンタも大人になれば分かるから憶えておけと言われて、今大人になりつつある。大人という資格を武器に、責任を持ってどう分かったと言えるのか。冒頭の通りだ。

主な話は終わり。蛇足かも知れないが、僕は、幼少期から親の教育方法に対して、あるいは周囲の人間の言動に対して、不可解だと思っていた。しかし彼らと違って、あくまで意見をぶつけあうだけで、否定は一切しなかった。今も基本的な考え方は変わっていないし、世間的にはそれが大人だと認められることになっている。

繰り返しになるけど、僕は幼少期から親の教育が不可解だった。大人になるまで判断を保留していた。今は悪だったと思っている。人によってはタブーな物言いだろうが、自分で自分が可哀想だ。可哀想な人種を差別して絶滅するべく突き動かされた偉人は数知れない。


自分より他人を殺したい20代前半の若者の愚痴でした。頭の悪い人にこそ理解できなかったら意味ないもんね★☆★

2012年9月17日月曜日

58 太陽に向かってどこまでも

2012年8月30日(木) 猛暑残暑

2012年8月25日、26日に行われた、劇団ひまわり創立60周年記念公演「コルチャック先生と子どもたち」仙台公演を観覧してきましたので鑑賞文。めっちゃ書くの遅くなってしまって残念。

前項に書いたんですが、とある役者さん目当てでわざわざ仙台まで行って、少し交流もあったんですが、今回は舞台の内容重視で書いていきます。友人と一泊して、25日の夜、26日の午前、午後と、全部で3回。出演者は、白組、白組、紅組で構成されてた。

休憩を間に挟んで、全部で2時間半だったっけか。ブザーの代わりに鐘の音が鳴っていたけど、あれはホールのものなのか舞台に関係するものなのか。「ソミソミ/レファミミ/レソミレ」だったと思う。トゥーファイブからの偽終止かと思ったらまさかの半終止で本編に繋がる。


あらすじ−−−−−−−−−−
・・・時は20世紀前半、ドイツの空の下。ヘンルィク・ゴールドシュミット・ヤヌシュ・コルチャックという初老の男がいた。彼は児童文学作家、小児科医、子どもによる雑誌の編集長、ラジオのパーソナリティ、そして孤児院「みなしごの家」「ぼくたちの家」の院長でもあった。著名人として多忙な日々を送る彼だが、暇を見つけては二つの孤児院を行き来して子どもと寝食を共にし、子どもと共に生きるということを何よりの幸福、そして最大の誇りとして生きていた。子どもの権利を尊重して裁判や自治を行わせたり、冬にはキリスト教のクリスマスとユダヤ教のハヌカを一緒に祝って人間にとって普遍的なものは何かについて語った。

1920年。ナチスが政権を執り、反民主・反共産・反ユダヤ主義が社会全体に広まり、ユダヤ人を非難する風潮が強まると、ユダヤ人であるコルチャックはラジオ、雑誌、ポーランド人の教育からも手を引くことを強要され、「ぼくたちの家」の院長を辞任する。生まれも育ちもポーランド、話す言葉もポーランド語であるにも関わらず、ユダヤであるという理由で。

1939年になると、ポーランド国内に居住するユダヤ人、コルチャックと「みなしごの家」の子どもたちは、2km四方を高い壁と有刺鉄線に囲まれたゲットーに強制収容され、腕にはダヴィデの星の腕章を付けることを強制された。極端に狭くて不衛生な地域で生活を管理され、飢えと寒さをしのぐのに精一杯な中でチフスと呼ばれる感染症が流行した。孤児院の教員は人々が道端の死体を石ころのように跨いで歩く光景に腐心するも、しなやかな子どもたちの明るさに救われながら寄付を募るために這いずり回って強く生きていく。

1942年7月22日、奇しくもコルチャックの誕生日に、政府は労働力にならない弱者から順に、ユダヤ人を一日6000人ずつ再び別の場所へ移送するという「大行動」の指示を出す。コルチャック達が移送される8月6日、200人の痩せた子どもの行進の先には、家畜用の汽車があった。乗り込もうかという時、政府が数々の功績を認めてコルチャックに下ろした特赦が届く。…しかし子どもたちも一緒にではないことが分かると、特赦状を地面に落とし、コルチャックは子どもたちと一緒に汽車に乗り込んだ。彼らの永遠の旅立ちが始まったのであった。
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脚本やパンフレットに即して書いてみましたが、あくまで粗筋。Wikipediaなどで調べるとさらに沢山の経歴、功績、関わった人々、逸話、心に響く言葉などが詳しく書かれてますので良ければ味わってください。正直、なぜもっと有名になっていないのか不思議なくらい、各方面での偉業があります。軍医の経験、小児科の開始、コルチャック賞、惑星コルチャック。

コルチャックは処刑される数日前まで日記を付けていたようなので、おそらく役名は全て実在した子どもの名前なのかな。「みなしごの家」の教員「ステファ」、「ぼくたちの家」の教員「マリーナ」は、それぞれ孤児院の共同創設者として実在するし、孤児院の卒業生で陰ながらホームへの寄付を続ける「イレーナ」という女性は、おそらく沢山の子どもをゲットーの外に逃したことで有名なイレーナ・センドラーか。

舞台は、コルチャックと子どもたちが汽車に乗っているラストシーンから始まる。ユダヤ教のハヌカの祭りの日の少女フリーダと兄ユゼフの会話を回想しながら。…つまり、途中の回想シーンを挟んだラストシーンを初っ端に持ってきたわけで、3回観てやっと理解できたわ。

続いてその少女、フリーダが初めてホームにやってくる日。この日もクリスマスとハヌカを祝う日だった。ヤコブの初セリフ「両方楽しめるんだ、いいだろ、僕はヤコブ!」孤児達が生活の中で自然にお互いを思いやっている。

また時間が少し遡って、コルチャック、ポーランドの孤児院「ぼくたちの家」辞任のシーン。事務局員も少し前まではコルチャック先生を自慢にしていたのに、世の中の情勢がユダヤ人にとって不利なものに変わってきたことで、突然態度を変えて辞任に追い込む。しかしただ世論に流されているわけではなくて、寄付を募って運営している孤児院だから、頑を張れば立ち行かなくなるという判断をもって、事務局としても苦渋の要求をしたわけだ。
マリーナは「先生との意見の違いはあって当然。むしろそれゆえに刺激的なアイデアが生まれるのだ」と強く反対するが、コルチャックは子どものことを第一に考え、要求を受ける。「ユダヤだから」という理由で重圧を受ける現状に対し、「人々は不満をどこかに集中させたいだけだ」と憤慨するマリーナに、紛れもなくポーランド人であると同時に紛れもなくユダヤ人だと公言するコルチャックは、自らの子ども時代に宗教差別された経験と世間への疑問を言い残して「ぼくたちの家」を後にする。

子どもたちの身体測定のシーン。13歳以下の男の子たちが裸んぼで走り回って歌う。「やってみたかったんだ、一日中裸んぼでいるの。だめ?」コルチャック「そうだなぁ……悪くない!・・・エヴァが詩を読み、アブラーシャがヴァイオリンを弾く。ゾフィアがそれに合わせて踊り、フリーダが歌う。人々はパンやミルクをくれるだろう。そうしてどこまでもどこまでも歩いていくんだ。」ヤコブ「どこまでもどこまでも歩いていくのかあ!」
違う脚本家の公演でも語られたこのフレーズと「太陽の光はいつだって」の歌で、子どもたちとコルチャックが自然の中で活き活きと幸せに生きる理想的な情景が描かれる。最も好きなシーン。

ヤコブ「なんで先生は『小さな瞳』の編集長を辞めちゃったの?ラジオも辞めちゃったし…」「それは…」「…ユダヤ人だから?」「いや違う違う、そろそろ若い人に任せようと思って!」「先生、髪はないけど、若いと思うよ!先生がみんなに話してる時の顔は子どもそのものだもん!あれは大人の目じゃない、純粋な少年の目だね!」「はっはっ、少年に言われるとはな!」「同じ少年でも、僕は先生ほど純粋じゃ、ないけどねっ!」「あぁ、そうかいっ」ヤコブは将来世界を変えるジャーナリストになるつもりだ。

ヤコブは「みなしごの家」のリーダー的存在。きっと舞台の外でも年上にも年下にもかなり信頼をおいていたんではないだろうか。紅は紅のヤコブ、白は白のヤコブが子どもたちのまとめ役だったのだろうとしみじみしていた。実際には孤児院は7歳から14歳という最もピチピチした時期の子たちがいたらしいが、舞台では4歳くらいの子もいた。舞台上で落ち着かない様子も、逆に子どもらしくてリアルだったように思う。セリフが無い部分も子どもたちは自由に演技しているのが好かった。

ある日、ケンカが発端になって子どもの裁判が始まる。コルチャックは、国連の「子どもの権利条約」の基になった思想の実践者で、子どもを大人の考えている以上にしなやかで強いものと考え、自治を行わせていた。裁判は形式を遵守して進み、「この件は重要な問題ですので、次回までに皆さんもよく考えておいてください」と閉廷された。性急過ぎる現代に参考にされたい。

ゲットーに収容される際に抗議して逮捕されたコルチャックだが、ホームの卒業生イレーナの用意した保釈金で帰ってくることができた。気遣う子どもたちに明るく話して聞かせる。「牢屋には泥棒のお頭も殺人者もいた。でもみんなお話が大好きだった。どんな人も昔はみんな子どもだったんだ!」星の王子さまなどでも言われるこの金言。全人類に当たり前の思想になる日はくるだろうか。子どもたちにはどう聞こえるのだろうか。

エドナが見当たらない。移住する際、この子はアーリア系の顔立ちだからバレないだろうと、ステファ先生がポーランド人の孤児院「ぼくたちの家」に引き取ってもらった。「じゃあ、はっきりユダヤだと分かる子どもはどうするんだ、私達がより分けるのか、この手で!そんなことできるか!」「子どもたちは私達と一緒にいるのがいいんだ。その方が子どもたちも安心できる。」…子どもたちの安全よりも安心を取るということか。難しいところ。

ワルシャワ・ゲットーの市長であり、ユダヤ人評議会議長のチェルニアクフに寄付を頼むコルチャック。実際口が達者だったかは知らないが、一言一句大変勉強になるので、憶えてるままに掲載させていただく。「寄付は十分していると思うが?」「あなたは特に子どもへの援助に努力を惜しまない。他の人ではこうはいかない」「あなたにそう思ってもらえるとは光栄です」「今光栄とおっしゃいましたね!そうです、子どものために何かをするということは、我々にとって共通の、義務であり責任であり幸せであり、光栄なことなのです。さすがよくわかってらっしゃるぅぅぅ(抱っ」「…も、もちろん子どもへの援助は惜しみなく。」「いやー良かったあなたが寄付を無碍に断るような冷徹な卑劣な人ではなくて、では現金にしますか、それとも、現物で?」「現金で…。」「慎み深いですなー!遠慮なさらずに」「じゃあ…3000」「なんのなんの、もっと堂々となされば良い!もう一声いきましょう」「…分かった、5000だ!」「あなたがこれからも、継続的にこの幸せを味わえますように。私達はいつも必要としています。現金でも、現物でも、日用品でも、あらゆるものが役に立ちます。…いつも、ありがとう。」

自分の宝石を売り払ってこっそりとホームへの寄付を続けるイレーナは、孤児院での生活を振り返る。卒業してから気づいたが、いつもみんながいて、一緒に食べて寝て笑って…先生がいるホームでの生活は宝物だった。だから、汚れてしまった自分はもう帰れない。子ども時代の大切さを理解し、自らを抑え、身を削っても守ろうとする大人の一人。

財産の尽きたイレーナは、とうとう自らが歌手として働く酒場にコルチャック先生を招く。そこには貧困に苦しむゲットーの中で、闇の商売で一財産築いた男たちが毎晩ウサを晴らしにやってきていた。驚くドクター・コルチャックに代わって店主が巧みな話術で男達に寄付を募る。中でもゲットー一の金持ち、ガンツヴァイクとコルチャックとの対話に重大な思想が詰まっている。「言わせたい奴には言わせておけばいい所詮負け犬の遠吠えだ」「役に立たないクズは死ねばいい。これは淘汰だ、しょうがない。そうでしょ先生」「子どもたちを救えるのはこのガンツヴァイクだ。カネでできることがあれば何でも言ってくれ」コルチャックの対極であるガンツヴァイクだが、決して悪者ではない。力を持って強く生きようとしている。

コルチャックをゲットーの外に出そうと周りは躍起だが、本人は聞く耳を持たない。「(私だけ特別ではなく、)誰もが一人しかいない、誰もが生きなければならない。」なぜステファはわざわざ一旦出ていたこのホームに危険を冒して戻ってきたのか。他にもゲットーに入りたいと言っていた教員もいた。こんな時だからこそ、大人は子どもたちと一緒にいたい。大人が子どもと一緒にいたいのだ。子どもは底知れない気力や神秘を持っている。このことを知って生活の一部とする大人は残念ながらあまり多くない。子どもの力で世界は変わる。

卒業生で教員のエステルは、コルチャックが死にゆくみなしごを題材としたタゴールの「郵便局」の劇を子どもたちに練習させていることに腐心して、なぜ死への準備をするのかとステファに問い詰める。「死はいつかは必ず、誰にでも訪れるものなの。だから、せめてその時を尊厳をもって受け入れたい。生きることを諦めているのではなく、これは生き方の問題なの。何のためにあんなにボロボロになって寄付を集めてると思うの…生きるためよ!生きるための闘いなの。」若い大人であるエステルが理解して受け入れるのは難しい話だろう。死への観念は特に幼少期、環境によって非常に大きく変わるだろう。コルチャックは子どもたちに死と正面から向き合わせることを選んだ。

皆で迎える最後のハヌカ。祭りの最終日はホワイトハヌカとなった。食料も無く侘しいが、子どもたちは歌を歌って祈りを捧げ、コルチャックは世界の異なった人種や宗教の違いを認め合うことを説く。劇中何度も歌われる「ホームのうた」は、小さくて明るい子どもの歌のようだが、歌声は力強く、しかし陰を隠しきれない。子どもたちの魂の叫びは、辛辣なまでのメッセージを持っている。「ぼくたちの家」の住人も身を隠してやってきて、緊張の中での最後のクリスマスとハヌカの祭りは終わる。

1942年、強制移送の緊急指令が下されたが、ユダヤ評議員のチェルニアクフは頑としてサインをしない。ドイツ軍の無理な要求に耐えてきたことを酌んで子どもだけはと懇願するも、要求に協力するのは当然の義務だと一蹴され、それまでの努力が無駄だったことや自らの無力さを嘆き、用意していた薬で自害する。わざわざゲットーに残って人質を取られてまで人々に尽くした彼だが、考える最善の策として無理な要求を飲み、逆に市民からは無力だと罵られるようになって、正に哀れな板挟みだった。

最もドイツ的な役としてラストシーンまで登場するベルガー中尉。行いこそ非道に徹しているものの、忠実に自分における立場や正義を貫くだけでなく、決して暴力による解決に終始しようとせず、他人を思いやる常人の心すら見え隠れする描かれ方だった。終始一貫して、様々な個性で様々な立場の人の心理が巧みに表現された作品だった。その人間が複雑にぶつかり合った結果、世界大戦が起こり、望みもしないのにお互いを滅ぼし合った。簡単な話で済むわけがないのは当然だ。

「私は君たちに神を与えることはできない。私は君たちに祖国を与えることはできない。私は君たちに人間の愛を与えることはできない。自分の中に見出し、選び取り、学び取っていくものだからだ。だが、唯一つ、私が君たちに与えられるものがある。それは憧れだ。未来を生きようとする希望が、君たちを神へ、祖国へ、愛へと導くだろう。」

歌いながら客席を縦断して行進。

「永い旅になるかも知れない。でも僕たちならできる。・・・エヴァが詩を読み、アブラーシャがヴァイオリンを弾く。ゾフィアがそれに合わせて踊り、フリーダが歌う。人々はパンやミルクをくれるだろう。そうしてどこまでもどこまでも歩いていくんだ。」ヤコブ「どこまでもどこまでも、歩いていくんだね!」「太陽に向かって、どこまでもどこまでも、歩いていくんだ…!」




思い出してもまだ泣ける。かいつまんだつもりが感想が長くなりました。そもそもこんなに記憶に残っているのは、3回観たとはいえ驚いた。芸術というものは、一つの作品に沢山の思想が描かれているのだと知った。しかしバラバラではなくて、多方面から見ることでそれぞれの生き方がよりありありと描かれる。脚本も演技も本当に素晴らしかった。

3度目になっても、お母さん方と一緒に泣いた。子どもの成長、素直で明るく強い生き方、殺されゆく運命、子どもと最期まで共に生きようとする姿勢。子どもを育てる親なら楽しいことも辛いこともいろいろあっただろうしこれからもあるだろうけど、この美しい心のあり方を描いた舞台に立ち、友と一緒に号泣する子どもの姿を見て、ただの演劇ではなくて、今ここに彼らの成長がある奇跡を感じて、どこまでも大切な人への想いを裏切らずに生きていこうと思えたのではないだろうか。強く育った子どもをもっと尊重して、小さな世界に落ち着かせてはいけないと思えたのではないか。自分は親でも何でもないのになんで泣いてんだ。


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「コルチャック 子どもの権利条約」「コルチャック先生のおはなし マチウス1世」「もう一度子どもになれたら」「子どものための美しい国」
以上の書籍を取り寄せてしまった。ぼく本なんかまるで読まないのに。ましてや小説など。でも知らないわけにはいかない。
永い旅になるかも知れない。でも僕たちならできる★☆★



57 向陽紀行「コルチャック先生と子どもたち」

2012年8月30日(木) 猛暑残暑

2012年8月25日、26日に行われた、劇団ひまわり創立60周年記念公演「コルチャック先生と子どもたち」仙台公演を観覧してきました。今回は紀行文ですね。めっちゃ書くの遅くなってしまって残念。

舞台そのものの感想などを次項に回しました。今回はもっと偏った記事です。

ブログではあまり多く触れてこなかったが、僕が今現在この世で最も尊敬し、愛でることやんごとない人物である、小川向陽という齢十三の子役がいる。2009年春に開設したばかりの劇団ひまわり仙台エクステンションに所属するが早いか、2010年春からは本人も憧れのテレビ番組であるNHKEテレ「天才てれびくんMAX」のレギュラー出演を果たす。番組の全収録終了の直後、2011年3月11日木曜日、地元仙台にて東日本大震災に遭遇し、以後被災者である自ら被災地を元気付けるために走り回る。2012年春に地元の中学校に入学、BS-TBS「ニュース少年探偵団」などに出演中。同年7月に本格始動したブログ『i-KOYO』では明るい日常を赤裸々に綴っている。

彼がオーディションに合格して出演した舞台「コルチャック先生と子どもたち」は、劇団ひまわりが東京や名古屋など全国でオーディションを行なって2011年夏に公演したのですが、震災の影響で仙台公演だけが1年先送りになったというわけです。

つまり僕は、小川向陽くん見たさに宮城県は仙台市まで慣れない新幹線に乗っていき、卒業旅行以来で遠隔地での外泊をしてきたのだ。話題にしている小川さん本人とは対極に位置するくらい内向きに育てられたもので、何十回となく仙台駅と東京駅とを往来する彼にこんなこと知られたとあっては、ちょっと前まで2倍近くの年齢だった先輩としてあなはずかと言わざるを得ない。
旅にリンゴを携帯する21世紀。
それも、同行した知り合いに宿泊先まで全て任せて行ったんだ。今年の1月、初めて僕が向陽くんに会うきっかけを作ってくれた同業者、つまり向陽くんありきの友人なのだが。まぁ子どもの頃は普遍性を感じなくて社会科に全く関心の無かった僕も、二十も過ぎれば見えるものも変わってきて、旅行というものに漸く面白さを感じるようになりました。

向陽くん見たさに、とは言ったけれども、実は旅行への憧れが強まっていたのも大きな理由だった。それも、他でもない東北に。今でこそ優秀なファンである可能性を自負する僕ですが、実は向陽くんの存在を知ったのは番組終了も間近、3月になって学校が落ち着いた頃何気無く点けていたテレビからでした。元々その番組には否定的だった僕が、ただの一瞬でその美しさに囚われ、一週間の間に先輩ファンの間でも知られていない情報を多数収集していた矢先、かの大地震が起こった。愚かな僕はこれを、彼の「東北、宮城を盛り上げたい」という常なる言に関連の一端があると今でも信じ込んでいる。実際、一時は世間から心配ばかりされていた東北地方だが、時間が経過するにつれてその想いは愛着へと移行していったではないか。今では東北と聞けば身近で愛するべきものだと皆が思っているかのように感じるのは私だけではないはずだ。僕が彼に飛びついた時節を考えても、少年の強い想いが地球を揺るがしたのではないかと…謹みもなく考えている。
仙台駅前。向陽御用達の仙台七夕やジャズフェスのポスターもあるぅ。
さて、2日目の公演を観覧する予定で前日の25日に現地仙台に着いて世にも美味なずんだシェイク飲んだんですが、その日は特に予定も無く、初日の舞台を終えた向陽くんに会えるかも知れないと会場の下見に行くと、驚いたことに今から公演が始まるという。2日目とは時間が違っていた。予定外の3000円をケチる僕ではない。中に入る。

成人男性二人きりの長旅から休み無しで人生初の舞台観覧、それも我らが神の起こす奇跡を至近距離で目の当たりにするという世界中の一大事が突然やってきたわけで、気持ちの整理がつかない観客などお構い無しに悲しい悲しい現実の物語は、幕を開いた。

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舞台の内容については次項をどうぞ
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終わるや否や友人に握手されて「やったね!」の一言。序盤の向陽さんがパンツいっちょで走り回るシーンからの裸サスペンダーシーンに興奮したんですね、分かります!しかもズボンはけずにずっと抑えてたり、舞台脇の猛烈な着替えが間に合わずに上着の前が開いたままでしたからね!僕はアイヌ語で「〜という子を特に愛する」という意味の動詞「コヨマッパ」を気に入ってよく使うんですけどこれは何の関係も無い話。

向陽くんの役はヤコブという名の少年で、ユダヤ人の孤児院「みなしごの家」のリーダー的存在。子どもが出る場面では非常に重要な役どころ。演技が覚束ない子が多い中、舞台上で懸命に雰囲気を保とうと周りの子たちに促していた。妹のお兄ちゃんということもあって、「役」をもらうことでイキイキするタイプなんだろうと思う。
ここの二階に楽楽楽ホール。一階は太白区図書館など。
僕は当初、数百人しか入れないと聞いてて、出演者の両親が入ったら四分の一以上埋まっちゃうと焦ってた。実際小さなホールで、ご両親はいっぱいいて、全席自由だった。でもけっこう空いてた。どうやら一般向けというよりは、ご父兄向けの発表会という雰囲気だったようだ。親族、友人の他にはたぶん我々2人しかいなかっただろう。至近距離いいじゃない。
物販のおばちゃんから、全然売れてないっぽいTシャツを購入。いろいろ話し込んで仲良くなろうというところをなかなか問屋が卸さなくて半端になったけども、ここだけはと粘って本来の予定であった向陽くんの出待ち。さすが大物だけあってやや遅かったけど現れた。もちろん保護者同伴で。ちょっとキョトンとされたけど、嫌な顔はされなくて良かったです。端折って言えば、労って褒めて印象づけてアピールしてスキンシップしてまた会おうって言って別れた。僕はあんまりサインを好まないのでねだってない。御手手はすんごいあったかかった。友人は僕と向陽くんのやりとりだけで満足できるそうで、離れて見ていた。向陽くんは先輩方に大きく挨拶したり友達と写真とったりしてたー。

仙台の夜は全然涼しくなんかない。仙台駅の牛タン通りにある善治郎で夕飯をいただき、お腹いっぱい胸いっぱいで20分くらい歩いてホテルイン。24時間テレビみたいのやってたけど東北の放送ちょっと見て寝た。深夜に地震が起きて自分も起きると、ブログをマスターが更新してた。さっそくさっきの写真ー。

翌朝26日、ホテルで仙台のおいしいものいっぱい食べて、憧れの河北新聞も買って、南仙台などへ赴いて散歩し、午前の公演を観覧しにいった。向陽くんは白組のキャストだから、午前のに出ないならもうちょっと散歩してもいいんでないかと打ち出したけど、お金も払ってあるし観にいくことに。。。始まってビックリ、向陽さん出てるじゃないですか。任せっきりでよく調べもしないで訊きもしないで紅組だと信じ込んでた。これならもっと前の席にすれば好かったよ。昨日の公演時間といい、他力本願過ぎたのを反省した。
南仙台。穏やかで長閑で親近感あり過ぎ。

二度目の公演を観終わって感動冷めやらぬまま、更なるご家族さんにご挨拶。物販のおばちゃんにもご挨拶。誰のファンなの?て訊かれたので小川君ですと言うと、息子さんと向陽さんの写ってる写真をその場で見せてくれたです。震災で大変だったときのお話も伺いました。僕は初めて被災者の方から直接お話を聴きましたが、明るく振舞っていても深い傷は残っているみたいです。当然と言えば当然ですが、無力な自分を変えたいと思いました。

で子どもたちは舞台上で既に大泣きしてたので、ここで会ったらマズいと思ってご家族にもう一度挨拶してから去ろうと一人で行くと、「あ、今向陽が」「いーんですいーんです!」「天てれ時代のサイン入りのハガキを」「いやいーんで…いーんですか!!?」「今日も観にくるって聞いてたので〜。」期せずして再会し、サインなどいただいちゃいまして友人も握手などしてもらっちゃいまして。前日出待ちして良かった。無言で去らずに良かった。向陽くんの目も潤んでたけどみんなをなだめてたって言ってた。むしろ泣いてよいのだよw

でその辺で御飯食べて、歩き回って旅の写真を現像し、花束買う時間無くなって、3度目の公演、しかも今度こそ向陽くんの出ない公演を観覧。こんな経験は後にも先にもなかなか無かろう。観てみると、それぞれ違いがあって面白かった。。が、どうやら白組の子もチロッとだけ出るみたいで、彼も歌の場面にチョロッと現れた。眼を擦ってた。

3度目、しかも向陽くんの出番の少ない公演にも関わらず、お母さん方と一緒に泣いた。友人は昼間の向陽さんとの握手をリピートして2時間過ごしたらしいけど、事前に映画まで見てきたならしょうがない、セリフメモりは名案かも。単純に感動したので劇中歌のCD買っちゃったりして、新幹線の時間も近いので軽く挨拶して早々に去ろうかと思っていたけど、今度は友人の方が出待ちをと言うので予定の電車を遅らせて待ってたんだけど祝杯を上げているのか暫く来ず、閉め出されて時間も無くなって待ちぼうけしてるとこを見られただけで半端に帰宅。いろいろ言いたいことあったのになぁ…不燃。

基本的にスタッフは保護者の方が担っているようで、物販のおばちゃんの息子さんもテレビ出てるって言ってたけど事務所には入ってないとか。覚え違いでなければたぶん相原賢くん…と思って検索してみると、向陽さんも出演していた河北新報社の震災ドラマの出演者リストが出てきた。間違いでないといいんだが…しかし事務所にいないんじゃお礼のお便りも送れないなぁ。あぁぁ。

帰りの車内は辛かった。向陽殿との別れもだけど、むしろそれまで彼一人の人生に祈りを捧げていた私は今や、世界中の子どもや被災地のことや自分がどうしていこうかということばかり考えざるを得ない心境だったので大した痛みではなかった。実際、数日間は舞台を思い出したらいつでもどこでも泣ける情態だったし、CDも怖くてまだ5回と聴いてない。東北本線の発車メロディが、前日テレビで聴いた菅野よう子作曲の復興支援ソング「花は咲く」だったことに気づいた。
「ぼくも先生のような教育者になります。一緒にがんばりましょう。」

前回会った時は状況的に話しかけただけで水準高かったけど焦り過ぎたという反省があったが、そこはいろんな人と気持ち好く会話することを日々練習してきた成果が出た。また、周囲の人にも積極性を持たせるという目的も果たした。その上で、両方の守りたい正義がぶつかった時どうするか、これは今回実際にぶつかった問題であり、あまり学べなかった問題だ。

もう一つだけ。お友達やご家族と仲良くなるという目的をある程度果たした。実は今回まで、どこに行くにも一緒かと思われる向陽くんの保護者様においてごく一抹ながら心配があったのだが、実際お会いしてやはり全くの杞憂であったことを小さな大きな人々にご報告。

期せずして間髪を入れず再び宮城の沿岸部に行ったのは別の話★☆★

2012年9月13日木曜日

56 「右、左、右」について批判的な考察。

2012年9月13日(木) 初秋晴れ

たぶん全国的に常識とされている、道路横断時などの左右の安全確認方法として、右見て左見てもっかい右見て手を上げて渡る、という方式がある。自動車の教習所で交差点を直進する際などにも教えるらしいです。

僕はこの「右、左、右」について、多分に漏れず小学生のときにしつこく指導されたのだけど、どうも無意味ではないかと疑問に思っていたし、今でも非効率だと思っている。ちょっと気になって全世界に検索をかけてみるとやはりいろいろな意見があったが、私と同じ意見を発しているのは、意外にもごく少数だった。

僕の考えを述べる前に、世間一般の話をまとめておく。なぜ「左、右、左」や「右、左、右、左」ではないのかという問いと、それに対する答えとして、日本の車両が左側通行であるから、横断する際には必ず手前半分は右から車両が来ることになるので、左の後に最後に右を見よ、という意見、あるいは「右、左」で良いところに確認として「右」を付したものと解釈せよという意見などで9割方の議論は収まっている。僕達は1割だ。

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結論から言えば、「右、左、右」ではなくて「左、右」で良さそうだ
自分の意見を否定できる可能性についていろいろ考え込んでは迷ったんだけど、僕の中では当初の一つにまとまった。できるだけ無駄を省いて説明する。

論じる前に前提をいくつか。「確認した方がOKなら次の確認に移る」「全部の確認がOKなら渡る」「確認がOKなら、普通に渡る限りは安全」「でも渡っている最中にも注意は払う」

理由1.行程数の話
迷ったとはいえ、この考えについて直感的に理解できないようでは人間としてヤバいと思うが略説すると、全く同じことを二回やるのが無意味だという子どもらしい批判だ。【確率[右◯→左◯→右◯] < 確率[左◯→右◯]】という説明もできる。右1が◯でも右2が×ならダメじゃないか、結局右1には渡るための決定権は無いんだ、と。もうこれで主要な話は済んだ。

理由2.順序の話
では、そもそもなぜ「右、左」ではなく「左、右」なのか。最初に書いた通り、日本では車両が左側通行だからだ、という通説は最もだけど、一応違う理由も考えてみる。

ここでざっくり距離関係を整理した画像を提示する。左右を見たときにレッドゾーンに車がいなければ渡って良い。段階を踏まないでなかなか思慮に富んだ画像ですよ。



これを見ると、どちらの場合も注意する距離の合計は等しく、大きな差は無い。むしろどちらの場合にも言えることは、左の方が遠くて小さく見える上に実際より遅く見えるため、おそらく判別がやや難しい。そして曖昧なままOKを出すとマズいので【確率[左◯] < 確率[右◯]】となる。ここでもし「右、左」と確認すると、せっかく右が良くても左がダメ、を繰り返す回数、つまり首を振る回数の期待値が大きくなる。「左、右」としておけば、しばらく同じ方を向いておけば済むわけだから無駄が省ける。

以上。もっと凝った理屈を考えたんだけどシンプルにまとまってしまった。道を渡る度に人生得しているという優越感を得られるこんな世の中はややおかしい。

もっとも、視力や確認の能力、道幅や曲がり具合や交通量にもよるのでこれは一概ではなく一般の話、ではなく一握の話。問題を作成するのは文系、問題を解くのは理系。
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考えを披露するなら一度は自分で自分を叩き直してみろやと思った中学生時代をふと思い出したので書いてみました。

あ、あとね、信号あっても無くても横断するときは運転手さんに会釈してます。ぼく免許持ってないけどね★☆★

2012年7月28日土曜日

55 ムックリの鳴らし方の基本

2012年7月28日(土) 日輪

アイヌの民族楽器ムックリの鳴らし方の一般的な話。なんかイマイチ分かりにくいページしか当たらないのでメモしておく。画像などはいいものと暇があれば上げる。

とりあえず雑だけど音録ったからよかったらどうぞ→Mukkr。2分。

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ムックリは口琴という種類の楽器。材質は竹。アイヌ民族の伝統楽器。

しくみ:紐を引っぱって竹を振動させて音を鳴らす。音を口に共鳴させて音量や音色、抑揚を変える。だからまずは口にあてないで音が聞こえないと意味が無い。

持ち方;おそらく左利きの人は反対にすればいいと思うけど右利きの場合:輪っかを左手の小指に通す。手を握り、親指と人差し指で端を挟む。輪の大きさによっては、ちょうど良く握れるように薬指や中指を通しても良いと思う。右手は紐の先に付いている竹ひごを人差し指と中指の第一関節と第二関節の間あたりに引っ掛ける。
みんな左肘まで水平に保ってるけど、余計な力がかからなくて済む一方で肩が疲れるのでやりやすいところでやれば良いと思う。

楽器の向き:右手の紐を引っ張った時に竹が向こう側に引っ張られるように持つ。つまり引っ張る側の紐が伸び出てている面が外側になるように持つ。逆でも鳴らないことはない。

紐を引く向き:紐が付いている外側、つまり右に。
上下方向にはムックリと平行に、つまり傾きは無し。これがブレると、紐が竹に引っ掛かって耳につくパキパキという音が鳴ってしまう。
そして残る前後だが、長さや強さにもよるけど基本的にはムックリ平面に対して20〜30度ほど奥に。紐と竹の長さはほぼ同じだから、この角度とほぼ同じ角度で竹も振れる。たぶん紐が長いほど角度は小さくてたぶんよい。

紐の引き方:最終的に上記の位置に来れば途中は好きにすればいいかと思うけど、どうも円を描くように、ちょうどドアをノックする感じで繰り返すとよろしいみたい。引っ張ったままだと振動が止まるので、力が加わったらすぐ緩める。竹を振るのに強さはたぶん1kgも要らない。余計な力が加わるほど紐が竹とぶつかるパキパキが大きい。紐を引くと、もちろんムックリ全体もそちらに引っ張られるけど、そこは左手で頑張って抑えないと竹は振動しない。

口へのあて方:基本的には、左手を左頬に固定。振動する竹の先端が口の近くにくるように。口はピンポン玉が入るくらい開くとそれは開き過ぎってくらい軽く開けば良い。これでビョンビョン鳴るはず。

響かせ方あれこれ
口の形を変えると音も変わる。イオイオ、オアオア、アーオ、オーア…などなど。
竹を咥えるくらい口を狭めて、振動を抑えてスタッカート気味にできる。
音に合わせて喋るように口を動かすとロボットか宇宙人が喋っている感じになる。
口の中でベロをベロベローってすると軽くビブラート的なのがかかる。
鳴らした後、楽器を前後に振ると音量のビブラートになる。
低い声を出すときみたいに喉を広げると、音が低く太くなる。腹の方まで広げられる。
逆に喉を狭めると、高めの響きが増す。音が前に行くというか何というか。
息を吹きかけると音がかなり大きくなる。大ききゃいいってもんじゃない。
息を吸っても大きくなる。ハスハスするとグルーヴ感を出せる。かもし。
もちろんこれらを組み合わせることもできる。

これ以上のテクニックは知らない。実際演奏でどう使うかは知ったことじゃない。お値段は500円くらい。紐切れたらタコ糸で代用すればいいってプロが言ってた。

−−−−−−−−−−
初日は両手と左頬の筋肉および皮膚がかなり辛いかも。痛いのは下手くそな証拠とよく言われるけど、手で道具を扱うということはたぶん仕組み的にけっこうカオスなことなので、慣れなければ痛むこともあるんでないかと思ってる。ただし慣れれば痛みはほぼ皆無。そしてわりとすぐ慣れる。

何の楽器でもそうだけど、振動するところをよくイメージするとうまくいく。竹がうまく振動するにはどう引っ張れば良いか、空気が思ったような音を出すにはどう口腔を作ればうまく振動するか、いちいち考えると並のことはすぐできる★☆★

2012年7月20日金曜日

54 怒ることの利点

2012年7月19日(木) 爽夜

ブログの態勢、体裁について自分の気に入るようにしていこうと思った矢先に大きな仕事を患って、音楽も作れない、テレビも見られない日々が続いたけど、まぁいろいろ勉強できてよかった面もある。理不尽な相手との付き合い方、仕事の流儀、効果的な表現方法、その他専門的な知識。
以下日常的なテーマで論説。

●結論●
子どもの頃からずーーっと悩んでいたテーマの一つ。怒るのは表現として効率的かつ素直で良いことに思えてきたから頑張って中学生以来でもう一回生活に取り入れてみようかなって話。怒られる側にとっては面白くない話かも知らん。

●主題、動機●
最近、あの若い頃の怒ってばかりいた日々を思い出せた。
いつも言う通り、この歳になると怒ることが難しくなってくる。人がどういう思想を持っていて、どういう思考を経て、どういう状況で行動して、どういう結果が出たか、理解できていると、それが自分にとって不利益であっても、どうしてもただ静かな事象にしか思えない。経緯や背景を理解できていない場合でも、責任が自分にある、もしくはどこにも無いという思想を持っていれば、簡単に言えば善悪を存在しないものと考えれば、他人が理不尽であることへの怒りは起こらない。
と、言ってみたものの、たぶん不自然なことなんだろう。怒ることが嫌いだから、怒るような場面について自分が長年考えて体得したのがこの思想であって、この思想を常備しているせいで笑いや涙まで抑えられるというようなことは少ない。自然に使い分けてるっぽい。あくまで自然かつ無意識に。感情のことは何言ったって結局畢竟は分かんないからね。
なんだけど、最近イライラしていたのはなぜだろうなぜかしら。そもそも怒ることってホントに避けるべきことなのかしら。てな感じで静かな自分に批判的に考えてみます。

●1部●
最近イライラするようになったのはなぜか周辺の思想を書く。まず大きな前提として、責任の在りかを思い定める、他人を動かして世界を変える、自分の欲望や感情を持つ、諦めない、と生き方が変わってきたことに加えて以下詳細。

◆簡単に言えば、一つのパフォーマンスになるかも知れない、ということだ。感情表現も一つの論理というか論法というか表現技法と考えて、効果的に使える方法を考えてみようかと。何かを表現する際に、こちらの主観を押し出して相手に寄り添ってもらうタイプの表現も充分役に立つし、そろそろ使っていけそうだと最近漸く思った。むしろ論理的な説明では何一つ分かってくれない人の方が多い。
メロディックで自分に酔っているような音楽も、声も動きも大きくて擬音語ばかりの自慢話も、笑顔と涙を振り撒く人間ドラマも、賛同できれば文句無しで面白いけど、理解されなければ無視されて、反対されれば嫌われるリスクがある。ただ、客観性しか求めていない表現では辿り着き難い、膨大なニュアンスを表現できてオリジナリティも出せる。誰しも主観からスタートするんだから、客観性を求めれば不自然に冷たさに向かうしかないものね。

その嫌われるリスクについて言えば、特に怒りは感情表現の中でも他人を不快にする確率が非常に高い。怒りは、感情表現として自分に寄り添わせることよりも、むしろ反発心を起こしかねないことが特徴だろう。いったん不快にしてしまったら相手は自己防衛を始めるし、こちらも後には引けない。説明、説得できるだけの表現力が無いと勝てない。敗北すればほら見ろと言われて今後の影響力まで失う。ましてや普段から怒ってて嫌われるキャラなら生活整いそうだな、と。
闘う際には、論理が通用しないお子様が相手なら学校の先生のように正論を振りかざして悔しい感情を与えてHPを0にすればいい。経験で覚えるタイプなんだから調度良い。対して相手がそれなりの自論で返してきた場合が大人の闘い。意外にも、頭にくるとかえって冷静に強力な論理を武器に取るタイプの人もいる。というのは自分のことなんだが…。相手を負かさないまでも、自分が勝てる論理で了承させるのが今のところの自分の闘い方。つまり狭い理解では勇まない方が良い。
僕においてはそろそろ世の中の仕組み理解6級と鈍感準2級くらいは持ってるつもりになれてきたから、間違っているかも、他人には不快だ、世の害悪ではないか、という恐れが少なくなってきた。最低でもその分の傲慢さをエサにバトルに持ち込める。
とまあ危険な態度ではあるけど、相手を不快にして戦闘に持ち込む利益は一つ思いつく。その方がスルーされにくい場合があるということだ。ヘラヘラ真面目なこと言ってたら98%ヘラヘラ聞き流されるところを、敢えて噛み付くことで反応が得られる場合がある。面倒だけどね。

●2部●
はい次。そもそもなぜ怒ることを避けていたのか。を否定してみる勢い。
思いついた理由をざっくり分ける。1.短気な人と思われたくないから 2.他人を不快にしたくないから 3.話せば分かるんだからわざわざそんな危険を冒す意味も無いと考えていた

3の反論。くどいけど冷淡に正確に話したって伝わらない。伝わる人でも、強く言った方が圧倒的に効力がある場合がある。僕は日常の中で穏やかに注意された場合、間違いを繰り返さないためにわざわざ自分で痛ましい感情をつくって自戒すると同時に経験として記憶に残すという作業をしてるくらいだ。最初からキツく言ってくれたら済む話だよなぁと常々思っていた。まぁ穏便に済むことは良いのだけど、少々効率は落ちるかなぁ、と。
 また、怒っている、不快であるという感情そのものを分からせることが大事であることも多い。奥床しくニコニコしてたら本気なのかどうなのか探る手間がかかるし、他人を不快にしたくないと思う人なら怒らせるようなことは避ける。
1,2の反論。これとても重要かと思う。この歳になると、分別のある人がただ短気でイライラしてるワケ無いのなんかみんな分かるわけだ。ニコニコして過ごせるのに、敢えて怒ってるように言っているのだな、わざわざ強く叱ってくれているのだな、と理解できる。それをまた怒る側も理解してるから、嫌われたり誤解されたりする心配は無い。…仮にそのへんが分かってない人がいたとしたら、その人こそがニコニコ言っても分からない奴だ。嫌われてでも正論を突き刺した方がお互い良いのではないかしら。




まぁぼく学生ですが。変にキレる人も穏やかにスルーする人も嫌い。
怒ることと叱ることは区別してあえて怒る話をしてるのよヽ(・д・)ノ★☆★

2012年7月16日月曜日

53  「Departure to Black Ocean」行ってきた。

7月15日(日) 晴れ 暑し

※ネタバレ含みます。
※全編うろおぼえです。
※偏見大いに含みます。
※紹介より記録が主旨です(・ω・`)

ひっきりなしに活躍を続けるIMERUATの東京での2回目にして今年最初で最後のワンマンライブ「IMERUAT live 2012 Departure to Black Ocean」に行ってきました。活躍の幅が広すぎてあまり網羅できていなかっただけに実際に参加できるのは嬉しいことでした。

さてさて…開場に間に合うように行ったのですが、まずはすごい人が吉祥寺スターパインズカフェの前にひしめき合っていてなかなか傍から見るには心が痛みましたものの、自分も痛みを与える列に入れてもらえばそんなことは口が裂けねば言えず、都会と人々の暑さ寒さに屈せず立ち尽くすことおよそ10分、整理番号順に入場が始まります。自分は前半の中程だったかな。

先に御客層についての論。前回よりも人数は増えて250くらい…でしょうか。常々年齢層が高いと言われていて今回もあらためて驚いたものの、子連れの奥様方もいらしていて、少々幅が広がったような、それとお一人様率が減ったような気もした…けど大きく変わりはない。前回憶えた顔には10個くらい会えました。

飲み物は昨年のライブ会場の二子玉川KIWAよりは少なめの印象。自分だったらBlack Oceanにかけて適当なスペシャルメニューを売るところ。入り口でムックリをもらい、すぐ物販の列に並んだものの、限定3個のカバンは既に完売。Tシャツが5色だったろうか、イメちゃんファミリーの新デザイン版も追加されてサイズも色々だったわりに自分の番でも緑色以外は僅少でした。ムックリ、ムックリケース、ステッカー各種、CD、そして浜渦氏制作のパンフレット。しめて5000円くらいでしょうか。スイスへの交通費にあてたいとか何とか。

近くで見たいってことで1階中程での立ち見を決意。男子が上手壁側、女子が下手入り口側に自然と結束している中、丈の都合もあってやや左に位置してお客さんをキョロキョロ観察。開場と同時に行かないと物が買えず場所も取れず開演までは1時間あるので、パンフレットを一読。内容はIMERUATと出演者の紹介や質問、一年間のライブスケジュール、なぜか平野義久さんのコメント、他写真等で、お手製にしてはなかなかよくできてるなぁと思いましたがまぁ細かく読んでも時間は余るので準備運動をして待機。女子陣はムックリを破壊せむばかりに練習。

いつしか音が消え光が消え声が消え、闇の中から人が現れ歓声が起こる。漸く航海が始まるかと思う矢先、「IMERUAT」稲光の音からライブは始まった。前回がIMERUATであれば今回はBlack Oceanが大きなテーマなのかと印象を受けたまま、「6Muk」「Little Me」「Leave me alone」と一気に演奏だったかな。憶えてない。

音は、会場の小ささもあるのか、全体的にライブらしい爆音と低音で、原曲を知らないと理解できないレベルに到達していた部分がいくらかあったと思う。演奏も、今までの芸術的な域の破壊を超えて文字通りの破壊に近かった印象があった。CDと同じことをしてもつまらないので飛び回るのは好いけど、破壊破壊また破壊…で軽く疲れたかしら。

メンバー紹介。浜渦正志氏はグダグダで口下手な人、竹本一匹氏はいつも一人でテンション高い人、田部井とおる氏の詳細はパンフレット、鈴木光人氏はIMERUATの音の全てを担う人、桑野聖氏は面白くないとこが面白い人…と真顔で仕切るMinaさん。全体的にかなり緊張しているようで、段取りミスるわマイク倒すわの一年間何をしていたのかと言われむもがなのシドロモドロっぷりでお客さんはホカホカ。曲や浜渦氏の紹介、後ろで流れているクールな映像の紹介、コンサートの紹介…危ないのが多かったですね。たぶん全体的に、自然体で本番になればなるようになるやろーってスタンスなのかなと存じますが、そこは温かいファンあってのものなのだと感心しました。

「Morning Plate」かわいい曲。子どもも聴いてるんだよなと考えて一人でウルッときてた。
「Battaki」ここで最大のミスw歌い始めがズレて半分近く謎な伴奏が続いた。転調の多い曲だったのが災いしたものの、これ以上無いくらいリズムで押すタイプの曲だったのは幸いだったかも知れない。IMERUATの曲はデータのトラックが多いから人数もキツければ一度ズレるとヤバいとは思っていたけど、そもそもよくライブやってるし、途中で修正したのはさすがです。まぁ、こういうときチームの力が見える気がして面白いし、終わったときは浜渦氏は笑顔だったw

アイヌの民族楽器ムックリ講座。説明はお上手だけど、狭いせいもあって過半数は鳴ってなかったでしょうか(^^;)自分は演奏できるしいろいろ動画もみたけど、Minaさんの音のが遥かに綺麗。浜渦さんも演奏披露したけど、「大きい音出せばいいってもんじゃない」そうで、「全ッ然ダメ!」と平素から罵られているとか。とりあえず面白い奏法を教えてもらえたのが嬉しかった。最後に「6Muk」をちょっと合奏。

置き忘れてきたグッズを急いで取ってきて息が切れたまま紹介するMinaさんを5人が押し黙って見守ってる時間ですっかり冷めましたが、一部ラスト「Shooting Star」さすがゲームの仕事長いだけあって雰囲気ばっちりだなと。音に合わせてシューティングするゲームなんて、ゲームコンポーザーとしては面白いんじゃないかなぁ。浜渦さんが精一杯キラキラしてる素敵な音だったー(人´∀`).☆.。.:*・゚

―――――休憩。お客さんがムックリをかき鳴らさむとする中で場所争奪戦が静かに起こり、恙無く時間は過ぎつ―――――

第二部、「Haru no Kasumi」に乗ってカメラとともにMinaさん登場。何とかやりきった!
そのまま光人氏が位置について「Left」演奏。受話器をマイクにして完璧に合わせていました。スクリーンにはMinaさんが無断で掲載された新聞記事。にも見える抽象的な画と、日本語字幕。光人氏も凄くて個人的にこれはものすごくドキドキしてるまま全員出てきてつなげて「Giant」。スクリーンにはお寺の地図記号を崩したようなヘンな図がはためいてて、激しいリズムが体を叩くように謳う!映像にも2曲の関連は保たれて、煮え返る主張を持ったまま、、まさかの「ガプラ樹林」。これは気持ちよく癒えた。とかいう感じだったような気がする。ここが一番感動した。

新曲。ライブだからなのか、かつてないほどのドッカドカの4拍子ロック。リズムありき。こういう方向に進んでいくのも悪くないです。
アニメ「貧乏神が!」から一曲。パッパとできちゃいそうな曲だけどかなり楽しかった!
「Yaysama」感想が美しい〜。毎回曲が進化していくのも魅力。自分が間違えておいて(?)田部井さんに「大丈夫ですか、間違えませんでしたか?」と訊いちゃうMinaさん。

ラスト「Black Ocean」静かな夜の海に切り裂くような打音で緊張感ドーン。海に乗り出すシーンはギターが笑えないくらいダッサダッサダサでワロタww …立ち疲れて脚もいい感じに痺れて感覚が無くなってきているところにあの暗い海を漕ぎ出す曲に遭う体験はなかなか成功だったかと思う。
つづけて「閃光」一番の盛り上がり、そして「Choose to Fight」。この曲はここまで戦ってきて初めて自分の中で感動できるものになった。ゲームはやってないのに、クリスタルのモチーフが見えてくると気が遠くなったですな。

アンコール「Springs」ネタのつもりらしいけどなかなか壊れてて言うほどしっとりしてないw
実はしくじって悔しいからってことで「Battaki」を穏便にもう一度演奏。ここにきて「Battaki」の曲紹介。
再度「Black Ocean」でダメ押し。2番のサビ前ラストがこの曲唯一のキマるところなんだけど、1回目の演奏でしくじって2回目だけ成功したのは狙ってないと思うけどちょっとドキッときた。

18時発で終わったのは21時頃でしょうか。時間が押してるので恒例のサイン会は手短に!という感じが握手しててすごい出てたw 何人の会場までサイン会できるのか今から気がかりです。終わったばかりのライブのチラシもらって帰った。あったの知らなかったw

おしまい。ちろっとん★☆★

2012年5月8日火曜日

52 Do what you don't want to be done.

5月7日月曜日 竜巻とスーパームーン

ゴールデンな生活は送らなかった。最近気づいたことを少し書く。

◯序論
前にも書いたかと思うけど、他人の仕事っぷりにイライラすることが多い。飲食店、ビラ配り、セールス、Webサービス、著書、教育、政治とか。まぁ主婦業とか子どもの教育とか日常会話とか、何もかもだ。

別に自分がよく仕事できるなんて全然思ってないけど、やる気が無いとしか思えないような仕事には腹が立つ。もちろんお金を払う義務があるわけではないし嫌なら使わなければいいんだけど、それは時間がもったいない。

◯本論
が、この前久々に気持ち良い接客を受けた。その内容がどういうものかって話ではなくて、どうして気持ち良いのかって話。

例えば店員がダルそうだったら、こっちも話したくない。声が小さくても会話が苦手そうでも何も知らなそうでも形式ばっててもダメ。こっちはそれなりの言葉しか返したくない。
基本的に誰でも自分を表現したいと思ってる。分かってもらえたら嬉しいと思う。それなのに、金払ってる客を目の前に、こっちに媚び売ってるフリしといてそっちのフィールドで話されるとムカつく。

思いやりのある元気な店員だったら、聡明そうで機知のありそうな店員だったら、好みのタイプだとしたら、こちらはいろいろ話したくなる。そしていくつかの言葉を交わす間に、分かってもらえたような気分になれば気持ち良い。
特にマナーの良いサービスを強く求める客は、マナーの良い客を演じたがる人多そうだから、向こうがその舞台を作ってくれたら楽しめるだろうな。

まぁ、どういう対応されたら心地良いかってのはある程度は人それぞれだと思うから、基本を押さえた後はとにかく思い遣らないといけない。相手がまっすぐ素直になれるところを探す。曲がりくねった人ほど段階を踏む必要がある。最終的にその人の根の張り方を見る必要がある。なかなか大変。

◯結論
まぁふつうの話でした。曲できなくて眠い★☆★

2012年5月1日火曜日

51 こどものかおすがおのず

4月30日月曜日 昭和の日の振替 Black sky

前々から、子どもたちと触れ合う時に、もっと自分をこの子達の中に残したいと強く思ってきた。自分の中に子ども達を残したい、と言った方が分かりよい人もいるかな。

傍目には気づかないような些細なことでも、他人に大きなインパクトを与えることはできると思うようになった頃、日々人と触れ合うわずかな時間のわずかな会話が、まだレベル1であることに気がついた。決められたことをやって愛してくれるのを待つだけ。これじゃ退屈なので、短時間に彼らの琴線の深みを引っかくこと、また余韻を残して再生可能にすることを意識するようにした。

しかし表現とは難しいもので、同じ内容でも、表現媒体、抑揚、その他併用される表現によって、あるいは性格、体質、容姿によって、あるいは場所や時期によって、あるいは相手の感性、思想、その他の様々な状況によって、伝わり方が全く変わってくる。だから失敗を避けたい人は殆ど表現をしない。成功したければ練習が要る。

経験を重ねれば、着実に分かってくる。堂々としているべし、流暢に表現するべし、論理的にかつ相手の理性に合わせた表現にするべし、独特で床しいものにするべし…。そして近頃は、特に会話していない時も、こちらのキャラクターや情態について絶えず表現し続けることを考えるようになった。怒っているのか友達感覚なのか不思議で違和感があるのか、これを分かりやすく示しておくことで、向こうからも話しを引き出しやすくなる。


また直近は、彼らが永い時間にわたって世の中でよろしく生きるために何ができるかと考えることがかなり増えた。これが即ち自分を彼らの中に残す行為だと感じてる。しっかり勉強するように、しっかり挨拶するように、しっかり会話できるように、他人を尊重できるように、競争心や好奇心を絶やさないように、諦めないように、子どもを愛するように…そのためにどうするか。

少々大げさなテーマであるようだけど、一度挨拶ができるようになれば心のプログラムがアップデートされて、簡単に次も挨拶できるようになる。その次はもっと楽だ。逆にできない子ってのは最初の一回がむずい。つまり些細な活動が子どもの人生を左右するわけだから、短い時間の中で彼らに合った表現を使って記憶させたい。無意識に保存されるだけで充分だ。子どもだもの。
 例えば勉強だって、彼らと視点を揃えてチューニングし、楽しさを追求すればスムーズに意欲を湧かせられる。こっちがちょっとやるのとやらないのとでは同じようでけっこう違う。けっこう違うってことはかなり違う。

童心に還るのはコツが要るけど、しかしまぁ思い出すだけだ。思い出せなきゃ貰えばいい。基本的に素直に楽しいことしてればそれが正解。素直に生きられたらすごいけどな★☆★

2012年4月29日日曜日

50 IMERUAT「Black Ocean」聴いた。

4月29日日曜日 黄空

浜渦正志とMinaのユニット、IMERUATのアルバム「Black Ocean」聴いたので、一般人のぼくが感想を書く。

とりあえず初回版についてる紙ww印刷ボケてるし裁断も紙クズくっついたままですけどwってのが第一印象。日本語の翻訳が付いてるのが嬉しい。

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アイデンティティが濃い氏がフリーに転身してから初めて一般販売したCDであり、リスナーが長年崇拝して已まない作曲者自らが「過去最高」と謳っていたこともあって、聴く前は正直ショックで健康に障害を及ぼすのではと恐れていたんだけど、結果的には問題無かった。

全体的に、ファンがよく知るしっとりした曲よりはリズムのしっかりある曲が多い。静かな曲も、ただ優しく弱々しいのではなくて、変則的でありながら毅然とした態度がある。各曲の雰囲気はかなり幅がある。エレクトロニカ、クラシック、ミニマル、フォーク…?

また、ギター、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、パーカッションなどの生の楽器が多く採用されて、その他の木管や金管は皆無かと思う。ストリングスも打ち込み臭さがかなり残り、録音した音にもエフェクトをかけるなどしてあるので、スケールは小さめに感じた。雑然とした音楽とメッセージ性の強い歌詞との連携が、数回聴いただけでは全然理解できない。

もちろん和声のアホな進行も沢山あるんだけど、それよりも同じフレーズ、同じリフのくり返しの上で曲の大半ができているものが多いので、コードというよりもモードや勢いで流れる印象が無くもない。

曲はほぼすべてアホな構成をしてる。変拍子、転拍子は当たり前、フレーズは4小節ずつ区切られてもいないし、まずただでは終止することはない。珍しくメジャーコードで楽曲が終わったと驚けば、統合失調した後奏が湧いてくる。そろそろ曲が終わるかと思った頃にやっと声が乗るものがあれば、4秒で言える台詞を4分に引き伸ばしたものもある。歌詞のイントネーションをあえてずらすように配置するなど、裏であり同時に表であるような音形が多用されているのには、正に音楽で遊んでるとしか思えない。

Minaの声もすべて色が異なり、さらに編集が加えられているから別人に聞き違えてもおかしくない。歌詞が英語、日本語、アイヌ語と混成しているのは勿論、擬音やかなり長い音を出したりもしてる。ライブ同様ムックリとトンコリも力強く演奏してるのが分かる。

――――――――――

昔から、人のとても自然な気まぐれを表現できる人だと思ってたけど、それをピアノ一台ではなくてこの規模で実装するのは大変だろうなぁ。打ち込みなのにほとんど即興演奏みたいなんだから、作るのは大変だと思う。…もちろん普通の体を成してる感じの楽曲も収録されてるけど。

まぁ、作曲者も言うようにこのユニットは商売のためにやってるんじゃないし、ゲーム音楽からの制約を脱して変化するのも当たり前。今までの美しく雄大な響きよりも、噪音や不協和音が多くて、かなり本来の自分らしく勝手に遊んでるなって思いました。その活き様は子どものようで、見守っていたい気すらする。

あと改めて聴いて思ったけど、自分がライブに行った翌日作った曲「Popost-IMERUAT」が半端に忠実に再現できていたなと。「Yaysama」のリズムで「Battaki」の調で「Leave me alone」のコードやったらこんな感じじゃないすか。ギターの使い方とかほら。あと「Left」の中でGarageBandにあるリアル音源とそっくりなのが多用されてて、一瞬萎えたが親近感湧いた。

「Yaysama」はライブで聴いた時はCDに載せらんないじゃんと思ってたけど、イメルアのライブ→イメルアのコタン(集会)に歌詞を変えてまぁ無難になった。毎回歌詞が変わる気まぐれな曲だと言ってたけど、歌詞カードと歌さえ違ってた。

初回版ボーナストラックは本編よりも笑えるから手に入れた方が良い。アイヌに興味があるのはつまり浜渦さんのせい。今日のところは以上★☆★

 

2012年4月28日土曜日

49 ぽぽっこむくーり

4月28日土曜日 雲の間

主に近況。
どうも深夜になるとルーターの電源引っこ抜かれるみたいで困ったもの。自分の意味が分かってない人は生きてないでゆっくり考えればいいのに。

Amazonさんでいっぺんに10個くらいお買い物した。というのも、コンビニでAmazonギフト券買えば中古の商品もつまり現金で買えるんだと気づいて、カートに溜まってた物買い占めた。中古でも欲しかったものばかりだからほくほく。子どもの頃5000円くらいの商品は完全に諦めてたのは何だったんだ。

そのAmazonさんが、予約した商品を発売日になっても届けてくれないから、一晩中仙台弁とアイヌ語の勉強をしてた。意外と憶えられるもんだから楽しい。特に、他の言語でもそうだけど、接頭辞や接尾辞を憶えるのが楽しい。普通の人はなぜか無視するけど、構成から憶えれば単語なんてすぐ憶えられる。使わない手はない。

もともと言語にはかなり興味があるけど、日本語、英語、ヨーロッパの言語は正直ありきたり。ハングルやロシア語は離れ過ぎ、JavaScriptやRubyは日常では使いにくい、て感じのぼくには方言とか日本の少数民族はなかなか惹かれる。…まぁ、人に影響されてるだけだけど。ドイツ語もそうだし。ラッコとかシシャモとかトナカイってアイヌ語なんだってね。
ここの単語読み漁らせてもらった。尊敬→ http://homepage3.nifty.com/tommy1949/

ちなみにアイヌの民俗楽器も買った。ムックリってやつ、二つで1000円。口琴という名があるものの、どっちかというと噪音に近いが、抑揚はかなり自由に操れる。ポケットに入るので、言語と同じように持ち運びも楽だから、コッソリ奇をテライタイ人には好い。実際今時の楽曲の中で使うのはなかなか難しいけども。

アイヌ語とか教えてる大学あるんだよな。ゴミみたいな講義ばっかじゃなくてそういうのとってみたいわ。
で、昨晩はIMERUATの「Black Ocean」聴いたんで適当にレビューしよう★☆★

   
普通のムックリは自分が買ったやつで売り切れたっぽい

2012年4月25日水曜日

48 閃光一過の静けさや

4月25日水曜日 光曇
毎日の連続性が欲しいと思って、記事を頻発しようと思うんだけど、徒な内容にはしたくないし、かつ長過ぎるのも嫌なので、Twitterの補足的な内容になってもよしとしよう。

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とりあえず今日はIMERUATのアルバム「Black Ocean」が発売されるから至極楽しみに待っておく。宣伝の動画を見ただけで気分が悪くなってしまうほどの破壊力を持っているので少し怖い。

浜渦さんの新曲を聴く度に、自分の作る音楽は考えることを妥協しているものであることを思い知らされて、今になって手直しを加える曲もとても多い。成長するのは悪いことではないが、なかなか手間がかかる。だんだんしょぼいものじゃ満足できなくなって、表に出す量も減ってきてる。

・最近よく考えるのは、ポピュラーとかをコピーしてみると、意外とめっちゃ簡単な和声の曲がわんさかあるのに、どれも独特に聞こえるということ。つまりメロディや構成とアレンジの力がとても大きいということだ。和声にばかり気を取られていたけど、得てして何も考えないで旋律から書いた方がきれいになる。そもそも旋律も単音で自由なリズムを持ちながら和声の一部になるわけだから、繊細な進行を作るには極めて重要なんだろう。

・もういっこ考えるのは、音楽は料理や絵画のように目の前にドンと出るんじゃなくて、やっぱり気づいたら周囲にあって大きくかつどこまでも自由に動いては聴く人を動かすものである方が面白い。そして、和声や音色、大きさに際限は無いと考えておいた方が良い。
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Amazonの中古商品を現金で買う方法に今さら気づいたんで、新年度に自分を励ますためにも大人買いしたので潤っています。浜渦さんの楽曲の入ったFFXのアレンジ「feel / Go dream」と「GUN HAZARD」のOSTも買って聴けたし、ショタゲーも買えたし、数年来の希望がお金で叶ったこの頃。よい年になりそうな予感★☆★

 

2012年3月26日月曜日

47 年配り気配り

3月26日 早春晴れ。

ちょっと書きたいこと多過ぎて書き溜めるとまとめられない現象があまりにも酷過ぎたので自省して短めに、とにかく軽めに書くことを心がけるようにする。

音楽ちょこちょこ作ってはうpしています。

◯「Ametiru」は暇な時に歌詞を練ってて、メロディが全然出てこない。
最近いろんな曲コピーしてて気づいたんだけど、ほんとに4つくらいのコードからしかできてない曲って多いのな。それでも美しいのは編成やメロディや演奏のおかげであって、つまり後からメロディ考えるのって大変・・・。

◯また新しいアレンジをニコ動などにうpする予定で作ってるけど10分以上になる予定だからいつになるかしら。でも1日30秒ずつくらいのペースで形はできてきてる…けど構成をどうするか作りながら悩んでるんだよな。最近はすぐ思いつくし、想像した音を作るのはけっこう早くなってきたような気がする

というのも、最近気配りすることを意識してて、仕事中とか宴会中とか外歩いてる時とかに他人に気を配るように生まれて初めてかもしくは幼い時以来で注意してみてるんだけど、意外と気がつくことは多くて、生活に変化が出てる。おそらくその影響で、景色の見方や見え方が変わったし、文章の読み方も変わってきそう、そして音作りが変わった。どのへんにどういう形で音を置いたら様になるか、全体が喜ばしい感じになるか、というのが行きあたりばったりにしても比較的的確にわかるようになってきた気がする。

気を配るという言葉は好きだったけど、実際やってはいなかった。なかなか面白い。こんな流れがあった。

「小さい子どもと仲良くなりたい。」
「困ってるところを助けてあげるのが最も関わりやすい。」
「何か手伝えることが無いか気をつけよう。」
「どうやって?気が利くようになるには何に気をつければいいんだ?」
「いろいろあり過ぎる。体系的につかもうとしても無理だから日常的に意識して鍛錬(すっきりしねえなあ…日常でトレーニングとかむっちゃ懐かしい)。」

日常的に練習することについては若いころ相当徹底してやったから仕組み自体は踏襲してすぐ実践できた。今まで意識してない技術だったけど結果はわりと早めに出てきた。気を配ってかつ積極的に行動してみるということまで含む。リスクを負担しておせっかいしてみてる。

あと、エヴァノートとか見てたら自分で忘れてた意外と面白いアイデアとかが無造作に転がってて、いつも最初っから体系的に学ぶことに固執し過ぎてたと反省したことがあって、日常生活からいろいろ吸い取るタイプへ傾倒してる最近ってこともある。ということで記事も格式張らないことにしたが長いことには変わりない。まさに長所であり短所でしかない★☆★