2011年7月24日日曜日

39 産みの苦しみ快しみ

2011年7月21日木曜日、寒み

既に夏の終わりが淋しくなる涼しさ。向日葵が4日間くらいずっと項垂れている。

  外に出ることについて 


外に出るのはめんどいけど、実際出てみるとそうでもないことは知っていた。何でもそう。
外に出るとなぜか分からないけど発見があったりやる気が出たりするのも知ってた。
その理由は、予想外で新鮮な情報がめちゃくちゃ膨大にあるからだろうと思い至った。
正直パソコンにも予想外な情報を流すソフトがあった方が好い。あと画面大きくするべき。
そうはいっても、家にいて自由にごろごろしてる方が好きだった。


が、最近になって変わった。外出は在宅と同じくらい有力な選択肢になることが増えた。
というのも、人に接することが面白く感じられるようになってきたからだと思う。

実際に3次元の情報量や容貌に親しみを感じられない人には現段階では当てはめられない心情かもしれないという前提で以下理由。

1)外に出れば、実際に反応が得られなくても、自分のことが少なくとも認識はされることで、表現する欲が満たされる場合は多い。話聴いてもらえただけで満足、日記書くだけで満足するのと同じ。

2)意外な出会いに期待も寄せる。意外なことは意外と意外でもなく起こり得るものだと思ってるかどうか、普段体験している小さな偶然や出会いの可能性の稀少性を認識しているかどうかが、現実や日常という退屈がちな言葉を楽しめるかどうかに関わる。また、その世界観は、他でもなく自分自身が意外なことをいつでも起こし得る可能性が充分に有ることを認識しているか、あるいは意外なことを起こす勇気を持っているかどうかに影響を受ける。意外性を楽しむ感性についての話は長いので別に。

3)人を動かすことに興味が湧いてきた。変化が楽しいという意味では前言った通りであり、特別人を操作する楽しみについては後日書く通り。

4)前にも何度も言うように、ちょっとしたできごとで、大きく物事に影響を与えることは様々な事物において多々ある。また、少し詳しく書いたように、何でもできるようになっておいた方が好い。ついでに言えば、後に良い影響を与えるものであるほど早く経験する方がよさげだ。だから、できるだけ多くの経験をしておくこと、とんだ偶然でもいいから面白い人に出会うこと、人と付き合う技術を磨くことを考えると、外に出ないではいまいち難しい。他人や世間の強力さについてはまた後で書こうかな。

5)東京では当たり前に知らない人同士はみんな知らんぷりだけども、すこし出てみれば、すぐ話しかけられるような文化もある。自分はそういう文化に身を置いていた憶えは無いけども、そうでないのが不思議に感じている。ここまで引っ込まなくていいだろ。なんか人同士がカチコチにぶつかるような環境ができたせいで、心身ともに引き籠る人もできてきちゃったじゃない。もっと日本人の奥床しさを全面に出せるような生活ができるようにみんな考え直さないといけません。


大事なことは例えば、自分が良い情態であることに気がつく感性だろう。
めんどくないのにめんどいとか、けっこう楽しいのにつまらんとか、別にムカついてないのにマジウゼエとか誤解するのは損なことだけども、けっこう多い。癖になって常用する人も多いけど、そのへんは日本人的と言うべきかも知らん。大人になるにつれて不安なことが積み重なっていると思うのであれば、先入観とか希望に惑う愚かさよりは、子どものように今の自分を生きる素直さの方が人生を楽しましむことは明らか。その上で、自分が大人だと思うなら、今の自分以外の場所にも楽しみを分かつ思考回路を制作すればハッピーな時間は増える★☆★

2011年7月18日月曜日

38 兄弟みな友達〜夏がくる

2011年7月17日日曜日、スカイブルー

いろんな中学の一年生達が集って小学生とお話しする会に参加してきた。中学生は辛いことも経験し始めるし汚れを纏い始める時期だけど、この時期はむしろ小学生よりも子どもだと言われるほどまだ若い。開放的な雰囲気に意気揚々とし始める子も多い。そんなわけで、初対面の子が殆どだったのにも関わらず、お祭り的な雰囲気も手伝って、みんなまるで知り合いかのように楽しく話せた。中には知り合いの子もいて、ちゃんと憶えててくれて嬉しかったし、快活に楽しんでいるようでなお嬉しい。
   例えば仕事仲間と仲が悪くても、仕事が終わってからだと嘘のようにお互いを認め合えたりするように、余裕があると人間関係が全然異なる。上に誰かいると安心するし、下に誰かいてもそれはそれで安心する。小学生でそういう経験はあまり多くない。

そうして比べてみれば、小学生の方はやっぱりあまり個性を表出してない。自分もそうだったけど、恐らく最近はますます、してもいいこととよくないことを自分で判断させてもらえない子が大部分だから、別に悪いことじゃないと思うけど親の許可がおりないと心配で安心して自由な表情も作れないって子が多いように思う。自分の素直な気持ちを表現させない教育は、時代の流行でもなければ深い思慮があるとも考えられ難い。そのへん兄弟がいるとずいぶん変わる。
   でも大人でも変わらん。仕事で、これ自分はこう思うけど一応確認取りたいなぁ不安だなぁってことは多々ある。だから前もって分かりやすくいろいろな場合を汲んだ説明をすることが大事だし、自分で判断できるように豊富な知識を持つと良い。どうしたら情緒が安定するのかについてはいろいろ考えてるけど、とにかく子どもに限らず大切なことだからいつも注意してる。

5歳の子がお母さんとお兄ちゃんが中一と話してるの数十分静かに待ってた。ものわかりがいいと見るか、諦めが早いと見るか、自分にはそもそも他人にあんまり興味が無いように見えた。それでもあまりずっと放置されて暇と不安とが募ったみたいだったから忙しさの合間に少し話したら、やはり現状を甘受していて新しいものを求める雰囲気ではなかった。頭があったかかった。やはり末っ子生まれながらの甘えんぼ気質だと思ったら大間違いだと思う。

帰りに電車内で2,3歳の男の子と眼があった。自分は眼があうと特に面白いことできなさにすぐそらしちゃう癖があって、でもそれだと向こうはこちらを安心できる身内として認識するのに大きな妨げになるし、逆にちゃんと眼を見ればちゃんと真っ直ぐに自分自身を見ているということが分かって好感を持てるものだと思ったから、意識的に見るように、眼が眼を見るという奇跡が起こってしまってもそれを維持するようにしてる。向こうは意外と眼をそらさないけど、それは面白いこと待ってる気もするから現状で満足はできない。
   しかしまぁこっちをじーーーっと見てくる子どもの方に感心する。子どもってのは変に怖いものを知っていなくて、よく分からないものにはほんとに遠慮無く突っ込んでくるものだし、新しいものを求めているんだな、と。知ることと遊ぶことというのは深い関係があるように思うし、遊ぶことはつまり根本的極楽ではないか思う。

それにしても小学生よりは中学一年生や就学前の子どもの方が、同じ教育をする親の元にあっても、よっぽど抵抗無く会話してくれるという事実が面白い。特に、小さい子の器の広さは、教育の莫大な可能性を考えずにはいられない。彼ら以上に素直にならなければ良い教育は見えない。現状とはかけはなれている★☆★

2011年7月17日日曜日

37 さむいろアイリス

2011年7月16日土曜日、一滴の水

久々に清史郎くん見て清められたり、知り合いの男の子に遇って男女の違いを考えたり、記憶と結びつけて音楽のセンスを得たり、人の話を聴いて集中について理解したり、都会を歩いていろいろな物を見たり、久々にゲームして思考力を確かめたり、気のおけない人と話して満足したり感謝したり、想像力についての理解深まり、音楽聴き。


さて、最近ごく単純な生活習慣の変化があった。
暇な時間が減った。自分の言う暇ってのは、詰まらない、物足りないってこと。
何かしてる。わりと忙しく。

なぜなら、簡単な認識を得たから。

事実1。「いつかできたらな」「とりあえず保存しとこ」「忙しくなければ全部読む」とか思って、放置してることが山より高くあることに気がついた。眼には見えなくても、ちょっと考えれば、子どもの頃から積み重なってものすごい量になっている。

事実2。暇でウザい時がけっこうある。口癖は「なんかねーかな。」これは、何かやるべきことややってもいいことではなくて、何か面白いことやおいしい物を求めてる。

事実3。ちょっとやって疲れたら放置して、また懐かしく感じる頃にやってた。いっぺんに短い時間で終わらせたらもったいないし、物事には好機というものがあって、それをやるに相応しい感性や能力、波長を持ち合わせた時にやるのが最良だと思っていて、それは長い人生ゆっくり待ってれば良いと思っていた。

事実4。ぼくはすごいめんどくさがり。

↑これが今までの自分。

事実5。いつでも何かしてる人がいる。

事実6。すごい量の情報や経験を持っている人がいる。


思想1。↑これが同一人物の仕業だろうと結びついた。むしろなんで今まで気づかなかったのか。

思想2。準備ができてから取り組むより、取り組むことで状態が同調していく力を採った方が利益が大きそうだと思う。これは前書いた。また、続けて一気に大きく取り組む勢いがあれば、モチベーションを保ったまま深く入り込みやすい。

思想3。何でも早い方がよさげ。一概には言えないけど、例えば、早くに身につけるほど、その後の生きる時間は長くなり、その間に経験することも増え、その全てにことに身につけたものとの比較、応用、帰納、様々なことで、ものすごい差の役に立つ。

思想4。巨大な物事にも取り組もう。これも前書いた。後にも書く気がする。巨大なものに終わりが無いという考えに負けない考え方の話とか。

思想5。別に面倒じゃない。後で書こう。気持ちの問題とかそんな話。いつもそんな話。


結果;暇があれば本を読んでテレビを観る、部屋の中や頭の中を整理整頓する、足りなくなれば落とす、買う、作る。夏休みがこれほど楽しみに感じたことは未だかつて一度も無かったかも知れない。とりあえずすげー眠い明日すげー早い寝る★☆★

2011年7月15日金曜日

36 おとなるこころび

2011年7月14日木曜日、満月

日経新聞の読み方みたいなのがポストに入ってた。新聞持ちにくくて死んでほしいけど内容にはけっこう興味持てた。文字読むコツつかんだ。いわゆる若者の中で新聞を読まない人は半数に近いと知ったときは驚いたけども、というのも自分が新聞読んでないのは相当珍しいことだと思っていたからで。

経済や政治にはつくづく味が興らないまま廿年間生きてきたのは、味を教えてくれる人がいなかったのは勿論揺るがない理由の一つ。最近自分で興味を持ち始めた理由を話そう。

そもそもなぜ興味が持てなかったのかというと、これは他の分野でも自分の成長を妨げるとても大きな思想が原因で、というのは、規模が大き過ぎてとても理解、制御できないと思ってた。
   もともと、手っ取り早く全体像を鳥瞰してレベルの高い実用的な表面の形から入って問題が起こった後から初めて調整するようなタイプではなくて、まずは深く潜って本質的な細胞をできるだけしっかり捉えてから組み合わせて一つ一つを正確に積み上げてどれほど遅くても完璧な全体像を作るタイプだから、あまり大きなことや人間が関わることを理解するのは現代の人間の技術では到底無理だろうと思ってた。
   というのも、目の前に見える具体的な現実こそが本物の世界だと見るか、その後ろにあるのであろう抽象的な精神や原因、超越的な存在こそを本物の世界と見るか、この世界観の違いが大きな原因の一つではないかしら。
   結果的に完璧主義で理性的で、文化よりは科学を好んで生きた。


ということだけど、最近になって、巨大で難解なもの、つまり保健や天体よりは心理や歴史のようなものを理解するのに前向きになった。以下理由。

一つ。この通り、物事の原因は一つだけではなくて複数の力が合わさって一つのベクトルが生まれると気づいた。だから、どんな些細なことでも大勢に全く関係無いということは無いと思えた。そして逆に、大きな物事によって自分に身近な些細なことにも影響が及ぶと思えた。
二つ。大きな物事も意外と小さな選択で動いてしまうものではないかと気づいた。前に書いた通り。どこをどう突けば結果としてどこがどう動くかを見るのは、見えないものを見るようでとても面白い。
三つ。行動して変化起こすことが楽しくなってきた。これは感性がそうかどうかで、それが正しいとかそう感じるのがいいとか思ってないけどなんかそう感じようと思った気がする。

とかそんな感じ。子どもの頃に教えてほしかったことばかりです。経済や政治は、金銭や社会制度を自分の問題として気にし始めたら少し身近にもなってきたしね。

やっぱり一つのテーマで書いた方が圧倒的に読みやすいから今日はここまで★☆★

2011年7月14日木曜日

35 きみも、なつやすみ。

2011年7月13日水曜日、晴れ

日の入りの時刻が先週くらいから早くなり始めたみたいだ。午後7時でも明るい世界には感動する。絵画か何かのような奇跡に見える。バイト先で、夏休み前のざわめきが起こっている。


●職場で、職員が職員を教育する。職員がバイトを教育する。バイトがバイトを教育する。
教育機関で、講師が生徒に教育する。先生が子どもに教育する。
これはかなり似通ったことに思える。
   自分の持っているものを相手に伝達する。お互い雑念が邪魔しないように、解釈し易い形でまとめたデータを、魅力的に提示して、共有させるだけのこと。

●友人との会話や宴会で、場を盛り上がらせる。
子どもと遊ぶ。子どもを楽しませる。
これも別に変わらん。
   嬉しいとか退屈とかの根本的な感性は、普通の人なら、体が成長しても違う生き物みたいに変化するわけじゃなくて、基本は同じ。褒められれば嬉しい、知り尽くしたら飽きる、成功すれば次を求める、人と接すれば自意識と心配りが強まる、笑顔を見れば生理的に良い反応が起こる。大きい人も小さい人も違うのはもっと表面的なことばかり。

だから、別に大人と子どもを違う生き物みたいに区別して扱わないでよかろうと思う。ただ、子どもの方がより素直に感じて、正直な反応を示してくれることは分かると思う。つまり子どもを上手に扱えなければ基本を全うできていないということにしよう。いろいろなことで言えること。

そして、子どもは特に、同じ時間に摂取して消化して吸収する情報量が半端無い。時間が止まってるように感じるほど子どもは空間、世間に対して時間が遅くて長い。適応の速い子どもといえど、むしろだからこそ、ただでさえのろまな大人が自分を抑制しているようなスピードにはなかなかついてこられない。感性が現れたところに正確に言葉を命中させて、かけがえの無い存在にならないとナンセンス。



逆に。家庭や人間関係に関心の無いビジネスマンや、ナンパばかりして無駄遣いをするチャラ男が実生活に役立つ能力を持っていないかというと、とてもそうは思えない。世間の教育に折れず、勇気を持ってチャラくなった人は凄い。かくいう私はチャラくもなければ職も無い。金も学も、頭に比べれば微塵程しかない★☆★

2011年7月11日月曜日

34 健全な精神は健全な肉体を宿す

2011年7月9日月曜日、梅雨明け

いろいろ圧力をかけられてたのに、また集会をサボってしまった。いい加減キレられないかとヒヤヒヤしてるけど今さらキレられたらそれはそれで可笑しい。

意識的に寝るってことがあんま無い。まぁだから寝坊したわけだけど。が、朝から翌朝まで帰れない眠れない予定が入ったから、頑張って寝ようとした。朝までずっと意識あるまんまだった。覚醒してる夜に瞑想すると、いわゆる覚醒夢に近い感覚に浸かる。夢には人類史上の大発見がいくつもあるが、普段は目が覚めて一瞬で消えることが多いのでもったいないのがウザったいというのが意識的に寝ることに積極的になれない一つの理由。

というわけで以下雑多なこと。主に身体について。


ふくらはぎは睡眠の状態を表すと元医者が言ってるし、一時間のストレッチは6時間分の睡眠効果があるとかも聴いたことはあるし、実際眠いときには自然と体を伸ばしたくなるし、眠ろうとすると体の縮こまり具合が気になってイライラする。今朝思うに、けっこう信じこんで良さそうな感覚だと。終日体を支える脚の疲労を自然に回復させるのはやっぱり睡眠が最良だと考えて違和感は無い。乱暴に言い換えれば、ふくらはぎに眠気が居るようなものだ。

腹式呼吸が万病を防ぐ魔法の健康法なんてことはきっと数千年前から言われてるんだろうし、まぁ誰でも何となくでも良いような感覚は分かる。今朝思うに、やっぱりそうかなと。別に流されているわけではなくて…。さっき言った、睡眠から覚めると何もかも忘れるというのは、日常的なレベルでもあることで、目を瞑るとイメージしやすい、目を開けるとイメージが吹っ飛ぶ、音の聞こえないところでいい音楽は生まれるのと同じことだと思う。これが昔から自分にとって大きな問題なんだけど、覚醒しながら深い意識を運用することは可能だという信条はあるから、境目にいる間に方法を探っていたんだけど、どうやら深く自然な呼吸は大部分を持ってると見て正しそうに感覚したという話。まぁ呼吸だし。

個人的に面白いと思う健康法にぶつかった。よく美顔とかダイエットとか肩こり改善とかで、どこをどの指で何回一日何分ってあるけど、あれ全部やるわけにはいかんし、結局流派多過ぎ統一しろって思うじゃん。さしずめそこから自分が導いた答えは、気になったら全部触る、マッサージするってことで、とにかく気持ちいいとこマッサージして悪いわけないし、結局そういうことだろと思ってた。
   でさっき思いついたのは、もう少し展開しただけだけど、なぜかすごく新しくかつ面白く思う。それは、気になったとこをただ押すんじゃなくて、擦るというか、揉み倒す。押してマッサージするようにけっこうな圧力はかけつつ、炒めるようにかき回す。そうすると、最初は何も感じないのが、だんだん痒くなってきて、悪いもん表に出てきたとこでしらみ潰しにするゲーム。いや、最初はなんでもないのに気持ち悪くなるまでずっと擦って最後は気持ちいいなんてよくできてるなぁって思ったら自分のほっぺでやってたって話。こんだけのことだけど誰かやってるのか真面目に気になる。


あとは音楽や読書についていろいろあるけど適当な時に出す。

諦めて起きて、冴えわたる感覚で自分の曲聴いたら、自然に聴けて驚いた。普通だったら、作り物の方が圧倒的に劣っててまだまだだなと思うところ。さすが向陽さん。ただし、あんまり満たされ過ぎてて先が出てこない★☆★

2011年7月8日金曜日

33 陽のしずみ 天に響ける 小川かな

2011年7月7日木曜日、時に雨

奇数が重なる重陽の日。陽が強過ぎるから、七夕の節句をする。
   そんなお昼、電車に乗って本を読んでいたら、ぼくの大好きな子役の小川向陽くんが、一面のひまわり畑に立っている絵が見えた。そして、はっきり音が聞こえた。急いで電車降りて描き留めた。採った音が合ってるのか何度か不安になったけど、帰って打ち込んでみたら想像以上に素晴らしい音が鳴ったので満足。だけどまだ主題ができただけやん。夏の暑さに身を置いてまたの出逢いを俟つ。

日々音感鍛えといて本当によかったと思う。楽譜にしておかなかったら、あるいは音名だけでも分からなかったら、二度と思い出せなかったかも知れない。実際帰る頃には涼しくなって、自分の頭には違う音楽が繰り返されてた。

何かイメージが浮かぶときは、音や絵が単体で来ることはあまり無い。全体的な雰囲気が、夢を見るみたいに、その場にいるみたいに、ガッと来る。だから音を憶えるのに映像を憶えるのはかなり役に立つ。音だけで気持ち好さを追求してもなかなか一つに定まらないけど、拠り所になるイメージがあれば、いつもそれを基準にするとすんなりと一つに決まる。どんなに簡素で捻りの無い音でも、素直で美しく、退屈さは無い。

今思うと、本の読み方を少し変えたことがイメージが浮かんだ原因だったのかも知れない。誰かが書いた文字を読んでしっかり理解できるということの不思議さは常日頃考えていて、基本的に本の内容に集中できないでいるんだけども、この日も考えていた。今までは、文字の見た目や音声に囚われて想像が妨げられないようになろうと思っていたが、その思いがかえって文字をよく見て深く入り込むことを妨げていたことに気づいた。まずは文字を文字としてしっかり見てから、自分の広いイメージの中で操作する方がよっぽどよく分かる。景色を眺めつつ少し集中して読んでいたら、ふと向陽の映像が広がった。

あ、あと本の内容が、陽が出てると元気になって、雨だと病気みたいになっちゃう子っているよねーって話だった。共感してた。それから、体力尽きるまで遊び続けてしまう子っているよねー、充電できない電池と同じだねって話だった。重陽なのに向陽であるのと同じだと思った。

ちゃんと完成しますように。小川向陽に会えますように。向陽がずっと向陽でありますように★☆★

2011年7月7日木曜日

32 陽をあつみ ゆるさなくなき 人のわかな

2011年7月6日木曜日、晴と小雨

結果は悪いだろうが遠慮せず書く。

そうだ、七夕になったとこだけど、この前日本最大級の音声投稿サイトの企画ページに使う七夕系のBGM募集っていうから応募したら採用されたんよ。とは言っても15しか応募が無かったうちで4つくらい採ったみたいだから凄くも何ともないんだけど。去年のクリスマスにも採用してもらった。

さて、今日も業者と電話した。人と話すと、もっとあぁ言えばこぅ言えばと反省が沢山上がる。毎回いい練習になる。とは言ってもこっちはクライアントだから焦る必要は無い。ゆっくりしていい時にゆっくりするのは得意。と思ってはいたけど、向こうの忙しそうな雰囲気に、もう少し気を遣えればと思った。電話や来客はいつになるか分からないし、何を措いても即座に応接する必要があるから、余裕の無い時にエンカウントしてしまうと気を落ち着けるのに一つ苦労してしまう。

午後は大学とか警察とか音楽隊とか障害福祉とか運動会とか大手門とかを合同させる打ち合わせ。これも気を遣ったけど上手くいかない。躊躇無くキャラクターを与える感じにしたい。というか躊躇があるから思いきり気を遣う。組織の管理の甘さに責任があるとは言える。

今日は子どもの雰囲気が好かった。かなり仕合わせもあった。が、ちょっとナメられたのは服装が軽過ぎたせいだろう。キャラクターの服はいつ着ても誰にでも注目されてしまう。誰より大きな声でよく喋るしニコニコしてる子なのにちっこくてぷにぷにしてるのがよく理解できてないけどすごくかわいい。


課題も出したし、調子はよさげ。
昔からよく髭剃れって言われるし、髭だいっきらいなんだけど、必要に迫られずに剃るのもナチュラルに反してるように思ってたし、剃るとかえって濃くなるとかいうけど、最近久々に剃ったら8歳くらい若く見えた。つっても線や面では描けないくらいの雰囲気ヒゲだったんだが、肌への関心が重くなった。

前に聞いて感心した話がある。
男性は肌が汚くてもしょうがない。女性は羨ましい。女のくせに汚い。と言うけど、女だって美しさを保つためにいろいろ努力してるんだ。と。なるほどそりゃそうだと思った。男女問わず、若くなりたければそれなりの索が必要だ。

子どもの美しさについても同様だと考えてる。さすがに限度はあるかも知れないけど、彼らの生活には、若くない人が今からでも取り入れることの可能な若くなるための要素がいっぱいあるように思う。引き続き探そう★☆★

2011年7月6日水曜日

31 I scream my shelf.

2011年7月5日火曜日、入道雲のち雷鳴

どうせうまくまとめられないから書き散らそう。日々の変化を追えないのは困る。

今日は発言権を多くもらった。自分から話したわけではなく。以下成果。
生まれて初めて企業に電話して打ち合わせ。電話はもっと慣れたい。
リーダーが忘れてる仕事指摘させてもらった。子役の話もしてくれた。
あんま話さない別のリーダーと音楽表現をすり合わせ。意見は違わなかった。
会議。全部みんなが決めた後、議長に意見を求められ、根本を質して振り出し。
ネットでもちゃんと卒業するように叱咤激励を受けるが、疑問は隠さない。
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じゃあこんな話をしよう。
聴き上手と感嘆されることいくらかのぼくだけど、最近話しが上手くなりたいと思ってる。今思いつく理由は以下。

一つ。大きな前提。
自分は、日常のありとあらゆる現象は大体つながってるものと思ってる。
例えば、日常のありとあらゆる所作は大体その人を表現するものと思ってる。
例えば、服装、話し方、物腰、学業、顔つきから性格が分かるもので、逆も然りと思う。

二つ。
何でも上手い方が好い。これは前も書いた。
何でも上手くなれば他のものも大体上手くなる。つながってるから。成長したい。

三つ。
大したことなさそうでも実は意外と大きくなることが多いと思ってる。つながってるし。
例えば、物事ってのは、ちょっとしたことで大きく動くことがよくあると思ってる。
反論もある。元々深みで強い力が働いてるから、軽い刺激で爆発するだけ。一理ある。

例えば、偉い人の一言で動く政治や歴史。手が滑れば人も死ぬ。芸術も、画竜点睛と言う。
あるいは、一秒二秒の差、声の数Hzの差ですら与える印象は変わる。俊敏さも最近欲しい。

四つ。
積極的になろうと思う。これも前に書いた。
絶対正しいものを追求しても分からないから諦めた。主に3年間頑張った。
となると、善悪は無視して楽しむのみ。正しさは自分が決める。社会の正義は多数決。
変わるのも変えるのもなぜかとにかく面白い。
やろうという気持ちがあれば、やろうと思わないよりはできるはず。つながってるから。

五つ。
人の気持ちが、どこでどういう風な情態か、どこでどう動くかを感じるのがとても面白い。
音楽でも学習でも運動でも、注意していると内面の動きが手に取るように分かる時がある。
ましてやそれを操作して、人や物事が動くのであればとても面白い。もっと理解したい。
単に芸術や表現が与える印象を理解したいという欲望が昔から強い。

六つ。
抽象的なものよりも具体的なものを見たい。意味よりも形式を見る。
子どもは感受性半端無い。同じ「今」でも情報量の差が大人とは膨大過ぎる。時間が濃い。
大人が理性的に「同じ」と見るものも、子どもは全部が絶対的な違う存在に見える。
そんなのに憧れる。即興性が欲しい。理性はじっくりなかなか頑張った。やぁ感性。


そして、音楽的な要素も慮りつつ、いろいろ見てるといろいろ分かる。
最近得た答えの一つは、自分にしてはあまりにも陳腐で認めたくなかった。
それは、噛まないでスラスラ言うこと。慣れてないしトロい自分には大変。今日はここまで★☆★

2011年7月4日月曜日

30 MONO no uzu

FF13OST+聴いた。久々に武蔵伝2とか聴いた。
FF13-2の公式サイト見た。やってないけど感動する。
IMERUATのMyspace見た。ランキング載ってるし。ライブ楽しみ。

偶然と浜渦さんの音楽を沢山聴く最近。思うこともある。

◯とにかくサウンドがいい。どんどんよくなってる。浜渦さんってば、音質やミックスの技術が上がる今日、もっと音楽そのものの質を上げるべきだ、みたいなこと言って、一体どこの誰よりもいい音じゃないかと思われる。もちろん全然悪いことじゃないし、ただ良い道具を使えばよくなるわけでもない。

   そうは言っても、自分では最近理想の音が出せなくて困る。ついちょっと前は、音の違いはさして自分にとって問題ではないと言ったけど、今はもう問題。というのも、聞こえる音が想像と狂うと、他の音とのバランスに影響が出る。メモのような抽象的なものばかり溜まって、音に体が無くて自分ですら何がやりたいかわからにくくなってしまう。現実主義的な最近の自分には辛い。


◯長い音が多い。元々、メロディよりはコードばかり鳴らすような人で、メロディも単純なものが多いように思うけど、それはいわゆるメロディメーカーとは対照的。どうも何かを作る側は忙しい物にしてしまいがちな傾向があるし、メロディは楽曲の顔、顔無くして生命無しと思いがちな人もいる中で、浜渦さんにはメロディとは言い難いような曲も多い。

   わかりやすいメロディやコードってものは、場合によって、のん気で自分勝手で押し付けがましい感じも与える。逆に、いろんな解釈ができるような、意図的でない深い景色を描くような表現にしておくと、聞く人を落ち着けられるが、ただ曖昧で取り留めの無いものに終わりがちなのが表現としての注意点。

浜渦さんがそういう性格か、あるいはそういうものを求めているんだと思うんだけど、長い音を支えるのはその意外で感動的な音選びであったり、良い音質であったり、長く鳴っている中でも変化する音の要素であったり、周囲に広がる広い空間だったりするわけで、やっぱり持ってる音の乏しさがちょっと嫌になるこの頃。


◯繰り返しが多い。これは自分も好きだし、そういうのに特化した音楽のジャンルもある。元々ゲーム音楽はリピートするのが基本だけども、浜渦さんにはアレンジ曲やモチーフの再利用も多い。同じものを何度も使うというのは、一つ一つを長く大切に扱う清貧の精神であったり、一つのものをいろんな風に見る能力であったり、それをますます多様に変化させる想像力であったり、いろいろな性向を感じるところだけど、逆に、一つのものを膨大な角度から見て、その中からまた一つに絞って他を捨てるというのは、如何でか強さが要りそうだ。

繰り返し、反復、振動、波、回転、これらのものは、物事を学習して達成するための練習であったり、他人の信頼を得るためであったり、精神の深みに入っていく術であったりして、科学的に正しいと認められる術に他ならず、生活習慣病、諸々の文化を生むのにも大きな力になってる。鬱病の症状でもある反面、実はこのような音楽が合法的にトランスに飛ぶヤクとして使われることもある。精神を破壊する音声も刑務所か何かで使われてたそうだし、モノは使い様ですな。そして音楽業界自体が古いものの繰り返しで、まだまだだと思う。いつも思う。


さしずめまとめ以上。どうせ考えてること完璧にまとめようとしたら膨大になるから諦めよう★☆★