2011年3月29日火曜日

20 プラトニックタイム

少し前、休日になると忍たまがやらないので鬱になっていた時期がありました。
最近は同様に天てれがやらない休日は鬱です。
そうでなくても三月は津波の様な卒業シーズンで鬱がいくつも押し寄せる。


子どもが好きなのは僕だけじゃなくて昔からある趣向であるのに加えて、特に最近の世間の趣向でもあると思う。平成があまりにも平和で、便利で、人間の生物的、文化的レベルが非常に高まってるから。それに、子どもの頃が極上に幸せだったのに大人になるにつれて辛いことが増える一方だった人が今の20代に多いのも今の社会の諸事象の大きな原因だと思う。

子どもを好きになる、特に生の子どもを好きになるってのは、ある程度複雑な嗜好だとは思う。単に見た目や声や甘える性格とか弱々しさがかわいいとかいう二次元的な好みだけだったらあまり好きにはなりきれなくて、大きな見識や深い情があって、少なからず記憶や背景や心情や友情や拙さ、切なさを見ているから愛着が生まれるんだろうと思う。


そもそも僕が子ども、どちらかと言うと男の子を好きになったのは、自分が子どもの頃から。でもその時はまだ周りにいる同年代と自分自身が好きだったのでそんなにおかしなことではなくて、自分だけ時間をより大きく纏う様になるとだんだん年下が好きになったというだけのこと。小学校4年生の時には、人間はこの小学4年生こそが最も美しい時期だと強く思っていたのをよく憶えているし、初恋もその年だったと思う。中学2年生の時には、一日一日がめちゃくちゃ楽しくて、同じくらい悲しかった。中学3年生からは心の奥で諦めていた。高校生の頃は懐古に始まり懐古に終わり、今思うと自分では殆ど恋をせず、中学生同士の明るみばかり見ていた。卒業する頃には子どもを見ては泣くようになっていて、今では完全に子どもと自分の子ども時代を愛してる。

現実の子どもが好きになって気づいたことも沢山ある。絵に描いた子どもとは情報量の比が歴然で、絵はあまり好きでもなくなることが多くなる。コンテンツが終わってもどこかでまた会えるという希望が大きい。でもいったん終わったときの悲しみはめちゃくちゃ大きいし、永遠性の無さは不安になる。エロゲをクリアすると鬱になると聞いたときうまく想像できなかったけど、今は痛いほど分かる。

あの時はああ思った感じた、でも今は思い出せないほど微塵も思わない、ということはとてもよくある。ぼくはそれを子どもの頃からよく知ってるつもりだったから、あまり熱くならず物事をますますよく考えるようになっていた分確実な物を探して決断力に欠けて、感情に起伏も少なくて好き嫌いが殆ど無く、消極的で無駄なことを嫌う上にみんな無駄に見えて、なかなか損してたというか、得られていないものが沢山あるだろうと思う。逆に自分を強くできたり思考が成長したことは良いことだとは思ってる。考えることも大事だし、考えないで行動することも大事だと思うから、どちらが良いとはまだ結論出せてないんだけど、少なくとも先人の教育でもっと断然良い方向に生きることはできる余地はかなりあると思う。


そんな自分だけど、子どもが好きなのは子どもからのことだし、様々な思想を経た今あらためて愛してるわけで、きっと死ぬまで子どもに従事するだろうと思ってる。書いてたらまだ盲目的なところがあるような気もしてきたけど、さしあたり今は、何をしていても最終的な目標はきっといつもそのあたりなんじゃないかなぁと思っている。

自分の生を生きる目的は、立派な子どもになること。これができなかったら死ぬ。これはアイデアとしては誇れるぼくの大きな夢。大人として死を生きる(19参照)か、永久に子どもとして本当のこの世界のゴールに到達するかのどちらか。

天てれの画像や動画を探しては鬱と闘い抜いた引き籠りの3日間でした★☆★

2011年3月27日日曜日

19 HEARTS WILL RISE AGAIN

近況;停電の度にネット不通→頭悪い人が配線変える→直すとキレる('A`)


久しぶりに意識的に睡眠をとる。ここ数年不規則的に眠くていつの間にか寝てた、という形でしか殆ど寝てない。
  起きていたときの記憶が駆け巡ってくっついて不思議で魅惑的な世界が現れる。この日は小川向陽のことを起きてからずーっと考えてた。布団の中で、体を丸めて、今日の虚しさを思い、明日に怯えて、ひたすら助けて助けてと呟いてた。そこで思い出した。 もっと小さい頃もそうだった。 その日の記憶や夢を見るのが宇宙にいる心地で疲れてる心身にはあまりにも安らいで楽しくて幸せで、現実が死ぬほど嫌になる。
  普段ぼくは助けてってあんまり言わないんだけど。もう一つ珍しいことに、助けての次には死にたいと呟くけど、これは昔は言わなかったような気がする。別に悲観してるわけではなくて、これ以上新しい世界を作らないでこの夢を永久に見ていたい、現実の存在感を捨てて幻想の世界に没入したい、と思う。


そもそも自分はこの世界や他人を客観するのが幼児期から好きで、世界を見る自分が一人しかいないことや世界に自分が介入してしまうことが嫌だった。死んでても生きてても何かをじっくり客観することが根本的に好きなんだと思う。楽しいし。
  昔からとても消極的でした。必要が無いことはとことんやりたくなかったからで、それは自分の勝手のせいで人に迷惑をかけたくなかったから。マイナスになることはとことんしない主義を生まれた時に得たみたいだ。どちらが先か、非常に疑り深くもあるのでなかなか行動をしない。期待値がプラスだとしてもマイナス面は必ず見るし、犠牲を出して得を得ることもよしとしなかった。
  でも逆に必要に迫られて自分が動くときは実は嬉しかった。自分の意思を表さないような自然な物腰が深く根付いていて、人と一言も話すことすらできない時期もあったけど、どうしても自分を表現しないといけない時、つまり何者かに強制的にやむを得ずやらされる時、やらないとむしろ責任を問われる時が来ると、それはそれで貴重な機会を喜んでいた。女子やマゾのような受け手の心理はほぼこれで説明できると思っている。
  特に責任を負うことが大きなマイナス要因なのは、自分の世界が膨大で大事に思ってるから、他人のことも同等以上に大事だと思っていて、他人の中の不快は自分にはどうしようもないし、解消したところで存在した事実や影響が消えるわけではないという思想があるのが理由の一つで、逆に自分はわりと痛い目にあっても構わないし、そもそも痛点が違うとこにあるしけっこう深いから他人が痛がるのに比べれば全然痛がらない。

さて関連付けは適当にして。自殺する人も似た思いがあるだろうと思う。楽になりたい、現実を捨てたい、自分が死んでも他人に迷惑はかからない。どこまで考えてるかは知らん。ぼくはとりわけ元々責任も無いし期待されてないし愛してくれてる人も少ない方だからいいものの、愛されてる人は罪悪感があって辛いだろうなぁ。


さて、僕は死を生きることを今のところ人生の目標にしているんだけど、つまりそういう意味での死であって、暗く悲しいものではない。死ぬとどうなるのかはっきりしたことは宗教しか知らないことになってるけど、ぼくはわりと夢見がち。少なくとも苦しいものでは一切無いかなぁと思ってる。それってそれだけで素晴らしい。一切苦しくないなら方向としてはゼロか楽しいかしか無い。死がそんなもの、つまり極楽だとして、死んでるかのような気持ちで、でも実際に生きるっていうのがこの命の目標ということです。
  もう少し物理的なことを言う。要するに死んでるかのように飲まず食わず、眠らず起きずで生活してもいい。これはできないとは全く思ってない。というのは単純に他にできている人がいるからというだけだけど、ぼくにとっては十分な根拠になる。こと食べないことについては、何かをするんじゃなくて何もしなければできるんだからとても簡単。


さて、眠れないままの明け方お布団の中で考えた。こうやって助けて助けてと思ってるうちはきっと子どもでいられる。あまり死にたいと思ってたらそれは子どもじゃないような気もする。闇が好きな僕の本性にとって向陽は眩し過ぎるほんと生きる希望★☆★

2011年3月23日水曜日

18 マルい頭の自転軸をずらして

  小学生の算数の問題  
数学科を卒業した若人Yさんに軽い気持ちで出題したところ、思いも寄らない議論になりました。ちなみに普段数学は圧倒的に負けますが算数はぼくの方が圧倒的に速く正しく解けます(`-ω-´  )

次の□にあてはまる数を求めなさい。
『半径4cmの円Aの内側を半径1cmの円Bが一周します。すべらずに転がって元の位置に戻るとき、円B自身は□回転します。』


考えてね。ちょっとむずいよ。


  ぼくがこれ一人で考えたとき、一瞬である答えが思い浮かんで、よく考えたけどやっぱり正しいと思った。その答えは4。円周の比4:1だから。

で解答を見ると、違う。うぇwなんでww

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2011年3月21日月曜日

17 東北関東大震災発生から、10日感。

  地震ありましたね。僕の人生で最も大きな地震で、本気で死を覚悟した時であり、世界規模で大変な事件であり、あまりにも情報量が大きい。死ぬほど興味深い大事件でした。昨晩は震災後たぶん初めて埼玉でもそれとわかる余震が無く、今、山は越えて後片付けが始まっているかのような雰囲気が始まっています…。

  僕が3月11日の午後2時50分頃、トイレに入るところで、地震があと10秒遅かったら、うんちの途中でした。いろんな状況の人がいたと思います。電話、痴話喧嘩、スケート、重労働…考えつく状況がほぼ全部、その瞬間に地震に持ってかれたでしょうね。カンニングも芸能も都知事選も新幹線開通も幼児番組すら全部カット。
  みんなの意識が一瞬にして一つに集まった時だったと思います。どれほどの大惨事でも、自分に関係無いと思う人は少なからずいるでしょうけど、今回は地震ですから、礼讃の最中にいる大地がおおいに揺れて、みんながそれを同時に自分で体験した当事者だから、そりゃ意識させられる上に、自分の興奮もさることながら、遠くにいる沢山の人が同じことを体験してるんだと分かると何か嬉しくなって共有したくなる。あぁ素晴らしい。
  これほどみんなの意識が集中するときは、自然災害が最高だと思っています。大雨が降ったとき、雪が真っ白に積もったとき、この世界はみんな同じ空の下で、何だか小さなおもちゃ箱みたいに感じられるなぁ、なんて思うことがあるのと一緒。今回は下が揺れた。ただただ地面がちょっとの時間揺れただけ。それでみんな大騒ぎ。

  震度5弱の地域にいた僕が緊急で取った行動は、無駄な行動を慎むことでした。あとは災害に注意して、然し明るく平常通りに、と。大地震の30分後、バイトに行く前に辞世にもできる個人的な所感を一つ、のつもりが、衝動的に世間に足りてない情報を一つ子どもが世界のすべてという思いを一つつぶやいた。面白いことに、ぜっっっっったいにツイッターやケータイがパニックになっていることは考えれば誰にも明らかで、冷静に考えた場合、それが他人の命を奪う行動であることは理解するのに難しくないはずだけども、まぁ行動してから考える生き方は批難しないけども、もっともっと殺さずに済んだ命はあったでしょうね。
  僕が所属する総勢100人の誇り高い応援団体も偉い人2名から即座に安全確認のメールを返せ、とのメーリスが回ってきました。安全ではなかろうと思ったし連絡返さなかった場合うちまで助けにきてくれんのかと思ったけど、早く「無事」と言わないとかえってメールが増えるので顔を真っ赤にして人殺しし返しました。数日間はボランティアに行くとか言い出すんじゃないかと噴いた汗が凍っていましたがそこまで男気は無かったみたい。

  で家出て、もしかしたら子どもが大変な目に遭ってるかもわからんバイトに行こうとして、自分の命で助かる子どもが半人でも0.1人でもいるならパンクドチャリの1時間や2時間こいでまだ知らない道を走って到着してみれば何事も無く営業休止で仕事も無かったけど、僕が驚いたことがある。地震一時間後、徒歩もチャリも自動車もみんなケータイ見ながら運行してたことだ。ぼくは職場に電話も入れずに我慢して久しぶりの運動に勤しむ中、普段と何ら変わらず左を歩き右を走る日本の人々にファンタジーを感じた。
  たしかに、僕は子どもの時は人一倍大人しくて音楽や話を聴くのが好きでしたし世界を客観するところもあったからみんながうるさかったら静かにしたし言いつけは守る癖はあったし、意見は慎んで何も言わずに会議を終えて叱られたことも多々ある。と、は、言ってもすなぁ、あの時間に地震が起こって、子どもがワーワー騒いで、静かにしなさい!って先生が怒鳴って子ども(´・ω・)ショボーンの教室が現実にいっぱいあっただろうということと、その先生は子どもの安全を第一に考えて然る可き時に叱ったのだろうということはみんな想像できると思うんだけど、地震が起こって、一人が10も20もツイートしたとこまでは小学生と全く同じで、しかも止める力も無くて、声を聞かれず人々が死んでいった大人の世界は圧倒的に小学生未満の死亡フラグ立ちまくりお気楽キャラの行動に過ぎたと思うよ。

  僕は比較的論理的な思考を持っていると自分で思っています。で、普段交通ルールとかマナーを守らない人は、もしかしたらちょいと考えがあってのことで、実際何が大事なのかはわかっていて緊急時にはしっかり振る舞えるのかも知れない、なんてことを考えていました。でも、人によって何を大事にしているのかは違うし、緊急時のデータを取るのは難しいと思っていたのよ。それが今回、自分の命、他人の命が直接的に関わる大事件が起こりました。これは冷静に考えれば9割9分の人が緊急と考えることだと思う。やったぁ!つまり、普通の人間は冷静に考えた場合、こういう状況では今消えゆく人の命を守ることを第一の目的としてフル稼働するべきだと考える。それを認識するところから始まり、そのために何をするべきかを考え、実際何ができるかまでの一連の能力の良し悪しが、普段のように他の思念に邪魔されること無く、はっきり発揮される!と思ったの。そして、実際に人間が取った行動は、いつも行っているマナーはいつも通り、おしゃべりはいつもの10倍!僕は大変有り難い機会に命がけで嬉しいことを学んだとしみじみ思っています。こういう時に本性が現れるものなのだなぁとじっくり味わっています。

  とはいえ世界では日本のマナーの良さとやらが感動を呼び起こしているし、日本人もそれを聞いて浮かれているみたいじゃあないですか。僕はそのニュースを聴く度に胸がうるうるします。僕が家族と喧嘩する時によく感じるその感覚は、どうしてそんなにも悲しい人なんだろう、という思いから来てるんだとよくわかる。たしかに列作ったり道あけたりよくできてるとは思うけど、惰性や自尊心に動かされて思いやりに欠けている口程に及ばない日本人などを見て驚愕してオレもやるぞHAHAなんて言ってる人間が世界の大部分を支配しているなんて大震災ぞ起こると思わざる得ない。その所感についてはここに記事書いてリンクしとこ(べんりー!)。憶えてたら。
  だけど、時間が少し経って冷静になれば日本の技術、知識、精神が効果的に集結して整列して人を救出、事故を防止、予防する様や、空前の日本ブームや礼儀を尽くしたこともあるだろうけど世界中からこんな小さな国が注目されて支援されることはあまりにも芸術的で素直に感動してそれもまた涙が出そうになる。治安の良い国世界一。1週間で2万人救出。自衛隊は救助した人の方が多い世界一の軍隊。ほら平和主義の人は憲法9条がどうとかもっぺん言ってみればどうですか?ぼくは昔から日本ほど良い国はきっと無いと本気で思っています。 まー、もっと時間が経てば気も緩むでしょうけどね。

  ぼく平成生まれ。でも平成になってからの22年間はあまりにも平和過ぎたと認識してるのよ。悪いことじゃないかも知れんけど、ボケるのは良くなし。今回の規模は阪神淡路大震災の100倍とか言われてるけど、学べたことは計り知れず、その時の世界の混乱と言ったら本当にどんな芸術作品も全くもって比にならなかったと言える。今は勿論のこと、これから数十年先やこれを経験した人々がどうやって成長していくのか、世界中どうなるのか、技術やエネルギー、自然環境の認識や、政治、人付き合い、育児…バカ真面目になるか、バカになるか、心遣いと思いやりか、大変興味深く慎んで見物させていただきます。僕は世界の客観が幼児期から趣味であり生き方だったのであります。

  子どもの素晴らしさと言ったら相変わらず例を見ない。大地震直後、野球だのサッカーだの意味の無いダッシュだのを続行して笑顔をまき散らして遊んでいた話。寒くて死亡する年寄りもいる避難所で、雪だるまを作って仲良く汗をかく子どもの話。普段は災害時の懐中電灯のように売れて一度も見かけたことの無かった桃屋の辛そうで辛くない少し辛いラー油が沢山買えるほどオイルショックさながらの買い占めジレンマゲームのブームが急再燃する中、子どもはみんなそろって被災地の人たちが少しでも使えるようにと10円だのお菓子だのを我慢したり寄付したりしていた話。
  不謹慎だ不謹慎だと騒いでツイッターや情報の場を走り回っていたごく大勢の人たちは謹慎中にわざわざご苦労様でした。それに抗議をして被災者を元気づけて明るい日本のために負けじと大きな声を張り上げジレンマゲーム!していた人たちにもちゃんと笑わせてもらいました。とても大人らしい立派な振る舞いだったと思います。ありがとうございません。

  避難所で子どもがゲームやってる映像を見たときには、やっぱり世界はゲームだなぁと思うしか無かった。


  口程には批難こそすれ、こういう人たちが考えるより先に行動して出世して社会を作ってるんだろうとはっきり思っている。死を怖がるのも、人を殺すのも、死んで悲しむのも、愛するのも、救助するのも、また再建しますのも、そういう恋わしてはつくって壊してはつくってを繰り返すのは、ホントは落ち着いて世界を眺めていれば無くていいことだと思うんだけど、そんな僕みたいな人よりもよっぽど面白いんでしょうね。そして世界が上に高く高く進んでいくんだと思ってる。だからますます下に深く深く地に油を絶やさない僕みたいな死を生きる人もいるのだなあ。死を生きるのは僕の今の究極の目標。

  …しかしまー、歴史的大事件が続きますな。面白いことは望んでいる人のところに来るという僕の根拠不明の信条が強固になる今日この頃でございます。

  これだけ人の気持ちが揺れて液状化して地震厨が湧き出る中、僕は波に乗ってデマ一つ流せなかったつまらない人間であることがひとつ深い悲しみとして粘着しそうである。さしずめ細かいことはACに任せて、今日はすごく思ってることいっぱいうまく言葉にできたように思ってるからうれしー。また命あったらノシ★☆★

2011年3月11日金曜日

16 始めに無限の斉一性ありき。

子どもの頃からの悩みが沢山ある。一つ。

今曲を作ってるんだけど。かなり前から作ってるんだけども。
例えば一つのメロディがある。それに合うコードは腐るほどある。メロディをひとつのコードでしか使わないのはもったいない。とはいっても全部のコード使うことはできない。そうじゃなくても、リズムや拍子や音色や装飾を変えればいくらでも綺麗な音楽ができる。

と考えればすぐわかることだけど、メロディ自体もバラバラにできる。はずなのに、そもそもメロディはどうやって生まれたのかといえば、それはもうふと浮かんできたり。ある程度理論的に考えてのちはやっぱり感覚的に。

と考えればすぐわかることだけど、和声や音色もあれこれ考えたとしても最終的には感覚的な良し悪しの判断を通って一つに決まる。であれば、もっと感覚を研ぎ澄ませてよく聴くことが大事なんだろう。

自分の矛盾らしきものを突き詰めて破壊的に考えることでかえってそれを補強できる。それは意外と他の人はやらないことえっへん。


…まぁそういうことだけどもし。
自分の感覚がものを生み出したのは確かだとして、それに変化を与えたり、違う形式でも表現してみたら駄目だとは思えないし、そもそも感覚的にふと思い浮かんだからといってそれが他のものを偽物と呼ぶ資格があるわけではない。
全部が本物。この思想を持ってる人も実践できる人もまた少ない。何しても全部理解する、あるいは非難しない、受け入れるというような人は殆どいない。

じゃあ何が自分の創作や行動を一つに決めるのかと悩むわけだけども、全部本物、全部同値なのだとすれば、逆にどれをとっても劣ることは無くて、結局自分がどう思うかが決めることになる。


なるほど、じゃあどこまでも自分の感覚に従えばよい…ということか、いまいち納得できないんだけど。よほど感性を強くしないといかんな。

その点理性の弱い人は羨ましい。楽しいだろうし、人気もあるし。でも自分がやめられないのにも簡単な理由がある★☆★

2011年3月8日火曜日

15 Characters Like Dots

海外で頑張るぼくの友達をみわたして、国内で働くことを考えたり、働かないことを考えたりした。初めて見たスティッチが最終回だった。

 教育の話。あるいは効率の話。 

たとえばぼくは家事をさせてもらえてない。危ないし自分でやる方が早いだろうしね。
お家でお仕事や社会の話をしてもらっていない。くだらん自慢話や愚痴が約10割。

それで今になってもできないことや知らないことが山のようにある。それが原因でぼくは人との関わりが薄くて、現実で何かを成す能力に欠けて、社会性だけでなく発想や性格にも大きく影響が出ているのは誰が見てもよくわかるくらいには甚だしい。そのことについて僕に教育を受けさせる義務を有する人々には責任を問われる、つまり自業自得だと。

まぁそれほど一般的な家庭ではないだろうと思うけども、少なからずそういう面がある家庭は多いだろうとも思う。核家族が増えて人間味に薄れてはなおさら。


ぼくはバイト中や所属する場所でお仕事がある場合、とにかく振り分けて自分がやらないように頑張って考える。いくら教える手間があったって、二人で手分けする方が早いに決まってるし、次回から自分が楽できることを考えれば、あるいはその人の全体的なレベルアップになると思えば、迷わず教える手間を取る。それをしないのは俗に言う頭の悪い人のすることだと思うくらい自然に感じる。

家庭でも次世代に知識を伝達しないのは、仕事を教えないのと同じだと思ってて、こいつに言ってもどうせわからんと思うことも、何度も話していれば登場人物や場の雰囲気が一つずつ伝わるもので、もっと重要なことは、一度しっかり伝えないことにはほぼ全く伝わらないだけでなくて好奇心や積極性を矯めることになりかねないということだと思うのよ。


どうして頭の悪い人と言われることになるかと言えば、きっと、要するに教え方が下手くそだったり、伝達する作業が何らかで必要以上にめんどくさいと思われているからじゃないかと思う。ぼくはむしろ教えるということについてはとても面白いと感じているので何とも無いものの、意思疎通するための能力に欠けると、、まーそりゃ外部から得るものも渡すものも減るのは当たり前だよな。ぼくが自分である程度かためた表現力は、僕を教育した環境がよくわからないものだったからだろうと思ってるので感謝するけども、然れば問題は続くだろうなぁ。

伝えるためにはよくわかってないといけない。それ以前に知る姿勢があるといい。それが無いなら闇雲に情報をばら撒くのも手だったのかも知れないがもう遅い★☆★

2011年3月7日月曜日

14 もののありと、おわり。

思いつくことはあるのだけれども忘れることも多々あり。というのも考えることが多過ぎて留めておけないのが大きな理由。うまい考えが見つかるのはえてして普段とは違う状況なのでなおさら。

さて。まずは共有できる内容じゃないと他にとっては意味が無い。
意味があるって言葉の意味は、そこに意、分かりやすく言うと何かを考えて行おうとする意思や生き物らしい感情があって何か趣きや方向性が感じられるということだと思う。そして、意味とは何かを在らしめる性質がある。つまり、人の意がないと、そこにそれは存在していないのと同じだ、という思想をこの言葉によって植えつけられているということに最近気がついた。まぁ言葉が先か思想が先かといえば思想だけども、その言葉を意の無いうちから使っている我々からすれば言葉が先。
でまーもっとわかりやすく言えば、「〜しても意味無い」「〜にはどういう意味が」とか言うとき、まずその何かをすることで何かが存在し得る、生まれるってのはわかれ。次に意識の話だけど、意味があるとか無いとかと言った場合、それは客観的というか絶対的な話ではなくて、ある思想の中で、誰かがそう思うだけで、つまり考える意識が必要でしょ。そんなわけで、共有、共存できないと他にとって意味が無いというのは意味の無いトートロジーな命題、つまり正しいと思って発言してみた。おや、意味が無いことが正しいってこと…なのかな?

つぎ。不変的な内容の方が他と共有しやすい。不変的だと普遍的だから当然。
時間的に大きいものというのは、結果的に量が多いのと同じだと考えてる。というか感覚的にそういう認識に基づいて動いてきたというのが考えるとよくわかる。小さいものでも長い時間あるならそれは長い目で見たときには大きいのと同じ。4次元的な認識を当然の感覚として持っているわけだけども、これはわりと納得されないだろうし、納得されても実践される能を得ないことが多い。

ついでに言えば、他は自分の論理について理解力が乏しい。自分じゃないのでぽっしゅ。

この三つが他人との関わりの悪さを思ったときの反省点。だけど、自分はその時の自分にしかできない個性の方が不変的で意味を感じているのでどこかで日を読むことは続ける。この場の方向性はまだ定まらない★☆★

2011年3月1日火曜日

13 咳と言えば二人。

最近、自分の目の表現力が大きいことに気づいて驚いた。 
●相手の言うことがおかしいと感じたときとかに目が細まる。きっとあんまり見たくないと思ってのことだと思うんだけども、それが自分で思っていた以上にまさに疎んじてるように見えることに気づいた。 
●何か指示されたときとかこれってどうなってんだと考えるときとか、すごい目が泳いでるって言われるし目大きくなる。きっと広く見てあれこれ答えや問題点を探し回ってのことだと思うんだけども、それが思った以上に滑稽で昨日初めてにして二人に怖いと言われた。 
 頭振り回すことはピアノ弾いたり美味しい物食べたり嫌なことあったりすると多くの人がすることだけれども、自分は眼が見えることもあってそれを日常的に眼で行ってるだけなんだと思う。調子がいいときは頭や首の下も振る。文章書くときはけっこう振り回してる。 


さて。分かるってどういうことなのかと1,2年繁く考えてきたけど、さしあたり、よく見えるようであるときにはよく分かる、という十分条件みたいなことはわりと確かに思う。見えたら絶対に正しく分かるのか、そもそも見るからどうやって分かるのかと言われるとやっぱりわからないけども、仏様やお医者さんは知っているそうです。 

 もちろん昔から広く眼には色んな生き物が頼っているわけで、言葉を見ても視覚的な表現がこの通り目立っている。実際、ものすごい数の神経細胞が集まっていて情報の8割を得るというし、色、光、距離など色んな情報が入り、自分と物との関係だけではなくて物と物との様々な関係をいっぺんに客観することで外の世界を自分とは別に認識できる上手なグラフのようなもので、しかも音や電気よりも桁外れに光の方が速い。 
 これだけ便利で広範囲の機能があるし、むしろ見ようと思わなくても見えてしまうという面白いものだから、道具を使いこなすのが苦手な人にも消極的で人と違うことしたくない人にも、広く受け入れられるものなんだろうと思う。

で、僕は昔からどういうわけか、分かりやすく伝えるということに躍起になっていると思うんだ。実際すこぶる分かりにくいことは分かっているんだけども、それはむしろいわゆる論理的に間違いが無いように、つまり分かりやすくしようとしていたからだと思うし、それにしても一般的な表現からは離れていることを大幅に無視していたからだとも思う。 
 言い訳はともかく。この数年で、俗に言う現実的なことに目を向けるように考えが変わってきたので、表現に勤しむようになったし、かつ一般にも分かられるようにとも考えるようになった。で、あらためて自分がどうやったら分かりやすいのかをよく見てみると、見るということそのものがよく分かるためにしていることだと経験的に見つけた。 
 見ると言っても、実際に像を感覚するわけではなくて想像しているだけなのかと思うけども、でも場所、形、大きさ、光などの似た特徴は立体的に感じられる。何事も包括的に盛り込むのが子どもの頃から好きなので、絵画も音楽もようやく二次元的なものから三次元的なものになってきていて少し安心している。 

 自分は子どものときから鉛筆の文化に慣れていて、消しゴムで消しにくい色鉛筆やペンを使うことや、3色ペンやチェックペンや赤シートを使って流行に乗ることをよしとしなくて、黒と赤だけでむしろ大きさや形で印象づけることが多かった。以後も色で分けることを試みたことはあったけども、どうも色というのは絵の具でもなければ如意に変化させられず、多くの色から選んで今の判断で一つだけ、と白黒はっきり分けることに時間がかかるし困難だったので、白黒に戻った。傲慢に色分けをして楽しまれるノートは傍からはグロテスクに見えることがあるとも知った。 
 そんなことも思うほど、まだ色には疎くて、逆に美しいスペクタクルには茫然とするんだけども、そのほかにも、想像上の質感や温度や音、匂いや味まで分かるようになったらと思うとニコニコする。さて、さっきも言った通り、見えるようであればよく分かっていると考えていて、じゃあ分かるって何かというと、想像することだというのが今自分がさしあたっている結論だ。見るだけが全てじゃなくて、想像上の熱や香りだけでも、想像できていればそれがその人が分かっていることだと思う。 


さてさてさて。景色を見て、何が分かるか。別に何も新しいものは想像できないならそれでいい。僕が新しく考えるのは、景色見たときに、その景色を想像することで、それがちゃんと見るということじゃないかと思ってて、子どものときはいつもしていたのに最近ではめっきりだと思ったことの一つで、それが日常を彩るかどうかなんじゃないかとも思うこの頃。 
同じように、文字を見て分かるってどういうことかということは、文学が他の芸術と違う複雑な方法をとる不思議なものだから長いこと考えたけど、これもつまりありありと想像することなんじゃないかというきっと当たり前のことを思うところまでここ数年の考えは進んだ。 

余談だけども、ぼくは話すときに身振り手振りがやたら激しいことはたまに取り上げられることだったけども、別にそれは躍起になったことではないし全然意識してのことでもない。 
ぼくは何とか学的に、情報の入力は感覚的で、出力は感覚と論理で僅かに論理強めらしい。この形はすこぶる自然だと思ってるけど、違う認識の方法がうまく認識できないのもなかなか当然なので非難することもできない。 


卒業するみなさんおめでとうございます。弥々生いてくだされ★☆★