前項に書いたんですが、とある役者さん目当てでわざわざ仙台まで行って、少し交流もあったんですが、今回は舞台の内容重視で書いていきます。友人と一泊して、25日の夜、26日の午前、午後と、全部で3回。出演者は、白組、白組、紅組で構成されてた。
休憩を間に挟んで、全部で2時間半だったっけか。ブザーの代わりに鐘の音が鳴っていたけど、あれはホールのものなのか舞台に関係するものなのか。「ソミソミ/レファミミ/レソミレ」だったと思う。トゥーファイブからの偽終止かと思ったらまさかの半終止で本編に繋がる。
あらすじ−−−−−−−−−−
・・・時は20世紀前半、ドイツの空の下。ヘンルィク・ゴールドシュミット・ヤヌシュ・コルチャックという初老の男がいた。彼は児童文学作家、小児科医、子どもによる雑誌の編集長、ラジオのパーソナリティ、そして孤児院「みなしごの家」「ぼくたちの家」の院長でもあった。著名人として多忙な日々を送る彼だが、暇を見つけては二つの孤児院を行き来して子どもと寝食を共にし、子どもと共に生きるということを何よりの幸福、そして最大の誇りとして生きていた。子どもの権利を尊重して裁判や自治を行わせたり、冬にはキリスト教のクリスマスとユダヤ教のハヌカを一緒に祝って人間にとって普遍的なものは何かについて語った。
1920年。ナチスが政権を執り、反民主・反共産・反ユダヤ主義が社会全体に広まり、ユダヤ人を非難する風潮が強まると、ユダヤ人であるコルチャックはラジオ、雑誌、ポーランド人の教育からも手を引くことを強要され、「ぼくたちの家」の院長を辞任する。生まれも育ちもポーランド、話す言葉もポーランド語であるにも関わらず、ユダヤであるという理由で。
1939年になると、ポーランド国内に居住するユダヤ人、コルチャックと「みなしごの家」の子どもたちは、2km四方を高い壁と有刺鉄線に囲まれたゲットーに強制収容され、腕にはダヴィデの星の腕章を付けることを強制された。極端に狭くて不衛生な地域で生活を管理され、飢えと寒さをしのぐのに精一杯な中でチフスと呼ばれる感染症が流行した。孤児院の教員は人々が道端の死体を石ころのように跨いで歩く光景に腐心するも、しなやかな子どもたちの明るさに救われながら寄付を募るために這いずり回って強く生きていく。
1942年7月22日、奇しくもコルチャックの誕生日に、政府は労働力にならない弱者から順に、ユダヤ人を一日6000人ずつ再び別の場所へ移送するという「大行動」の指示を出す。コルチャック達が移送される8月6日、200人の痩せた子どもの行進の先には、家畜用の汽車があった。乗り込もうかという時、政府が数々の功績を認めてコルチャックに下ろした特赦が届く。…しかし子どもたちも一緒にではないことが分かると、特赦状を地面に落とし、コルチャックは子どもたちと一緒に汽車に乗り込んだ。彼らの永遠の旅立ちが始まったのであった。
−−−−−−−−−−
脚本やパンフレットに即して書いてみましたが、あくまで粗筋。Wikipediaなどで調べるとさらに沢山の経歴、功績、関わった人々、逸話、心に響く言葉などが詳しく書かれてますので良ければ味わってください。正直、なぜもっと有名になっていないのか不思議なくらい、各方面での偉業があります。軍医の経験、小児科の開始、コルチャック賞、惑星コルチャック。
コルチャックは処刑される数日前まで日記を付けていたようなので、おそらく役名は全て実在した子どもの名前なのかな。「みなしごの家」の教員「ステファ」、「ぼくたちの家」の教員「マリーナ」は、それぞれ孤児院の共同創設者として実在するし、孤児院の卒業生で陰ながらホームへの寄付を続ける「イレーナ」という女性は、おそらく沢山の子どもをゲットーの外に逃したことで有名なイレーナ・センドラーか。
舞台は、コルチャックと子どもたちが汽車に乗っているラストシーンから始まる。ユダヤ教のハヌカの祭りの日の少女フリーダと兄ユゼフの会話を回想しながら。…つまり、途中の回想シーンを挟んだラストシーンを初っ端に持ってきたわけで、3回観てやっと理解できたわ。
続いてその少女、フリーダが初めてホームにやってくる日。この日もクリスマスとハヌカを祝う日だった。ヤコブの初セリフ「両方楽しめるんだ、いいだろ、僕はヤコブ!」孤児達が生活の中で自然にお互いを思いやっている。
また時間が少し遡って、コルチャック、ポーランドの孤児院「ぼくたちの家」辞任のシーン。事務局員も少し前まではコルチャック先生を自慢にしていたのに、世の中の情勢がユダヤ人にとって不利なものに変わってきたことで、突然態度を変えて辞任に追い込む。しかしただ世論に流されているわけではなくて、寄付を募って運営している孤児院だから、頑を張れば立ち行かなくなるという判断をもって、事務局としても苦渋の要求をしたわけだ。
マリーナは「先生との意見の違いはあって当然。むしろそれゆえに刺激的なアイデアが生まれるのだ」と強く反対するが、コルチャックは子どものことを第一に考え、要求を受ける。「ユダヤだから」という理由で重圧を受ける現状に対し、「人々は不満をどこかに集中させたいだけだ」と憤慨するマリーナに、紛れもなくポーランド人であると同時に紛れもなくユダヤ人だと公言するコルチャックは、自らの子ども時代に宗教差別された経験と世間への疑問を言い残して「ぼくたちの家」を後にする。
子どもたちの身体測定のシーン。13歳以下の男の子たちが裸んぼで走り回って歌う。「やってみたかったんだ、一日中裸んぼでいるの。だめ?」コルチャック「そうだなぁ……悪くない!・・・エヴァが詩を読み、アブラーシャがヴァイオリンを弾く。ゾフィアがそれに合わせて踊り、フリーダが歌う。人々はパンやミルクをくれるだろう。そうしてどこまでもどこまでも歩いていくんだ。」ヤコブ「どこまでもどこまでも歩いていくのかあ!」
違う脚本家の公演でも語られたこのフレーズと「太陽の光はいつだって」の歌で、子どもたちとコルチャックが自然の中で活き活きと幸せに生きる理想的な情景が描かれる。最も好きなシーン。
ヤコブ「なんで先生は『小さな瞳』の編集長を辞めちゃったの?ラジオも辞めちゃったし…」「それは…」「…ユダヤ人だから?」「いや違う違う、そろそろ若い人に任せようと思って!」「先生、髪はないけど、若いと思うよ!先生がみんなに話してる時の顔は子どもそのものだもん!あれは大人の目じゃない、純粋な少年の目だね!」「はっはっ、少年に言われるとはな!」「同じ少年でも、僕は先生ほど純粋じゃ、ないけどねっ!」「あぁ、そうかいっ」ヤコブは将来世界を変えるジャーナリストになるつもりだ。
ヤコブは「みなしごの家」のリーダー的存在。きっと舞台の外でも年上にも年下にもかなり信頼をおいていたんではないだろうか。紅は紅のヤコブ、白は白のヤコブが子どもたちのまとめ役だったのだろうとしみじみしていた。実際には孤児院は7歳から14歳という最もピチピチした時期の子たちがいたらしいが、舞台では4歳くらいの子もいた。舞台上で落ち着かない様子も、逆に子どもらしくてリアルだったように思う。セリフが無い部分も子どもたちは自由に演技しているのが好かった。
ある日、ケンカが発端になって子どもの裁判が始まる。コルチャックは、国連の「子どもの権利条約」の基になった思想の実践者で、子どもを大人の考えている以上にしなやかで強いものと考え、自治を行わせていた。裁判は形式を遵守して進み、「この件は重要な問題ですので、次回までに皆さんもよく考えておいてください」と閉廷された。性急過ぎる現代に参考にされたい。
ゲットーに収容される際に抗議して逮捕されたコルチャックだが、ホームの卒業生イレーナの用意した保釈金で帰ってくることができた。気遣う子どもたちに明るく話して聞かせる。「牢屋には泥棒のお頭も殺人者もいた。でもみんなお話が大好きだった。どんな人も昔はみんな子どもだったんだ!」星の王子さまなどでも言われるこの金言。全人類に当たり前の思想になる日はくるだろうか。子どもたちにはどう聞こえるのだろうか。
エドナが見当たらない。移住する際、この子はアーリア系の顔立ちだからバレないだろうと、ステファ先生がポーランド人の孤児院「ぼくたちの家」に引き取ってもらった。「じゃあ、はっきりユダヤだと分かる子どもはどうするんだ、私達がより分けるのか、この手で!そんなことできるか!」「子どもたちは私達と一緒にいるのがいいんだ。その方が子どもたちも安心できる。」…子どもたちの安全よりも安心を取るということか。難しいところ。
ワルシャワ・ゲットーの市長であり、ユダヤ人評議会議長のチェルニアクフに寄付を頼むコルチャック。実際口が達者だったかは知らないが、一言一句大変勉強になるので、憶えてるままに掲載させていただく。「寄付は十分していると思うが?」「あなたは特に子どもへの援助に努力を惜しまない。他の人ではこうはいかない」「あなたにそう思ってもらえるとは光栄です」「今光栄とおっしゃいましたね!そうです、子どものために何かをするということは、我々にとって共通の、義務であり責任であり幸せであり、光栄なことなのです。さすがよくわかってらっしゃるぅぅぅ(抱っ」「…も、もちろん子どもへの援助は惜しみなく。」「いやー良かったあなたが寄付を無碍に断るような冷徹な卑劣な人ではなくて、では現金にしますか、それとも、現物で?」「現金で…。」「慎み深いですなー!遠慮なさらずに」「じゃあ…3000」「なんのなんの、もっと堂々となされば良い!もう一声いきましょう」「…分かった、5000だ!」「あなたがこれからも、継続的にこの幸せを味わえますように。私達はいつも必要としています。現金でも、現物でも、日用品でも、あらゆるものが役に立ちます。…いつも、ありがとう。」
自分の宝石を売り払ってこっそりとホームへの寄付を続けるイレーナは、孤児院での生活を振り返る。卒業してから気づいたが、いつもみんながいて、一緒に食べて寝て笑って…先生がいるホームでの生活は宝物だった。だから、汚れてしまった自分はもう帰れない。子ども時代の大切さを理解し、自らを抑え、身を削っても守ろうとする大人の一人。
財産の尽きたイレーナは、とうとう自らが歌手として働く酒場にコルチャック先生を招く。そこには貧困に苦しむゲットーの中で、闇の商売で一財産築いた男たちが毎晩ウサを晴らしにやってきていた。驚くドクター・コルチャックに代わって店主が巧みな話術で男達に寄付を募る。中でもゲットー一の金持ち、ガンツヴァイクとコルチャックとの対話に重大な思想が詰まっている。「言わせたい奴には言わせておけばいい所詮負け犬の遠吠えだ」「役に立たないクズは死ねばいい。これは淘汰だ、しょうがない。そうでしょ先生」「子どもたちを救えるのはこのガンツヴァイクだ。カネでできることがあれば何でも言ってくれ」コルチャックの対極であるガンツヴァイクだが、決して悪者ではない。力を持って強く生きようとしている。
コルチャックをゲットーの外に出そうと周りは躍起だが、本人は聞く耳を持たない。「(私だけ特別ではなく、)誰もが一人しかいない、誰もが生きなければならない。」なぜステファはわざわざ一旦出ていたこのホームに危険を冒して戻ってきたのか。他にもゲットーに入りたいと言っていた教員もいた。こんな時だからこそ、大人は子どもたちと一緒にいたい。大人が子どもと一緒にいたいのだ。子どもは底知れない気力や神秘を持っている。このことを知って生活の一部とする大人は残念ながらあまり多くない。子どもの力で世界は変わる。
卒業生で教員のエステルは、コルチャックが死にゆくみなしごを題材としたタゴールの「郵便局」の劇を子どもたちに練習させていることに腐心して、なぜ死への準備をするのかとステファに問い詰める。「死はいつかは必ず、誰にでも訪れるものなの。だから、せめてその時を尊厳をもって受け入れたい。生きることを諦めているのではなく、これは生き方の問題なの。何のためにあんなにボロボロになって寄付を集めてると思うの…生きるためよ!生きるための闘いなの。」若い大人であるエステルが理解して受け入れるのは難しい話だろう。死への観念は特に幼少期、環境によって非常に大きく変わるだろう。コルチャックは子どもたちに死と正面から向き合わせることを選んだ。
皆で迎える最後のハヌカ。祭りの最終日はホワイトハヌカとなった。食料も無く侘しいが、子どもたちは歌を歌って祈りを捧げ、コルチャックは世界の異なった人種や宗教の違いを認め合うことを説く。劇中何度も歌われる「ホームのうた」は、小さくて明るい子どもの歌のようだが、歌声は力強く、しかし陰を隠しきれない。子どもたちの魂の叫びは、辛辣なまでのメッセージを持っている。「ぼくたちの家」の住人も身を隠してやってきて、緊張の中での最後のクリスマスとハヌカの祭りは終わる。
1942年、強制移送の緊急指令が下されたが、ユダヤ評議員のチェルニアクフは頑としてサインをしない。ドイツ軍の無理な要求に耐えてきたことを酌んで子どもだけはと懇願するも、要求に協力するのは当然の義務だと一蹴され、それまでの努力が無駄だったことや自らの無力さを嘆き、用意していた薬で自害する。わざわざゲットーに残って人質を取られてまで人々に尽くした彼だが、考える最善の策として無理な要求を飲み、逆に市民からは無力だと罵られるようになって、正に哀れな板挟みだった。
最もドイツ的な役としてラストシーンまで登場するベルガー中尉。行いこそ非道に徹しているものの、忠実に自分における立場や正義を貫くだけでなく、決して暴力による解決に終始しようとせず、他人を思いやる常人の心すら見え隠れする描かれ方だった。終始一貫して、様々な個性で様々な立場の人の心理が巧みに表現された作品だった。その人間が複雑にぶつかり合った結果、世界大戦が起こり、望みもしないのにお互いを滅ぼし合った。簡単な話で済むわけがないのは当然だ。
「私は君たちに神を与えることはできない。私は君たちに祖国を与えることはできない。私は君たちに人間の愛を与えることはできない。自分の中に見出し、選び取り、学び取っていくものだからだ。だが、唯一つ、私が君たちに与えられるものがある。それは憧れだ。未来を生きようとする希望が、君たちを神へ、祖国へ、愛へと導くだろう。」
歌いながら客席を縦断して行進。
「永い旅になるかも知れない。でも僕たちならできる。・・・エヴァが詩を読み、アブラーシャがヴァイオリンを弾く。ゾフィアがそれに合わせて踊り、フリーダが歌う。人々はパンやミルクをくれるだろう。そうしてどこまでもどこまでも歩いていくんだ。」ヤコブ「どこまでもどこまでも、歩いていくんだね!」「太陽に向かって、どこまでもどこまでも、歩いていくんだ…!」
思い出してもまだ泣ける。かいつまんだつもりが感想が長くなりました。そもそもこんなに記憶に残っているのは、3回観たとはいえ驚いた。芸術というものは、一つの作品に沢山の思想が描かれているのだと知った。しかしバラバラではなくて、多方面から見ることでそれぞれの生き方がよりありありと描かれる。脚本も演技も本当に素晴らしかった。
3度目になっても、お母さん方と一緒に泣いた。子どもの成長、素直で明るく強い生き方、殺されゆく運命、子どもと最期まで共に生きようとする姿勢。子どもを育てる親なら楽しいことも辛いこともいろいろあっただろうしこれからもあるだろうけど、この美しい心のあり方を描いた舞台に立ち、友と一緒に号泣する子どもの姿を見て、ただの演劇ではなくて、今ここに彼らの成長がある奇跡を感じて、どこまでも大切な人への想いを裏切らずに生きていこうと思えたのではないだろうか。強く育った子どもをもっと尊重して、小さな世界に落ち着かせてはいけないと思えたのではないか。自分は親でも何でもないのになんで泣いてんだ。
・・・・・・
「コルチャック 子どもの権利条約」「コルチャック先生のおはなし マチウス1世」「もう一度子どもになれたら」「子どものための美しい国」
以上の書籍を取り寄せてしまった。ぼく本なんかまるで読まないのに。ましてや小説など。でも知らないわけにはいかない。
永い旅になるかも知れない。でも僕たちならできる★☆★
・・・時は20世紀前半、ドイツの空の下。ヘンルィク・ゴールドシュミット・ヤヌシュ・コルチャックという初老の男がいた。彼は児童文学作家、小児科医、子どもによる雑誌の編集長、ラジオのパーソナリティ、そして孤児院「みなしごの家」「ぼくたちの家」の院長でもあった。著名人として多忙な日々を送る彼だが、暇を見つけては二つの孤児院を行き来して子どもと寝食を共にし、子どもと共に生きるということを何よりの幸福、そして最大の誇りとして生きていた。子どもの権利を尊重して裁判や自治を行わせたり、冬にはキリスト教のクリスマスとユダヤ教のハヌカを一緒に祝って人間にとって普遍的なものは何かについて語った。
1920年。ナチスが政権を執り、反民主・反共産・反ユダヤ主義が社会全体に広まり、ユダヤ人を非難する風潮が強まると、ユダヤ人であるコルチャックはラジオ、雑誌、ポーランド人の教育からも手を引くことを強要され、「ぼくたちの家」の院長を辞任する。生まれも育ちもポーランド、話す言葉もポーランド語であるにも関わらず、ユダヤであるという理由で。
1939年になると、ポーランド国内に居住するユダヤ人、コルチャックと「みなしごの家」の子どもたちは、2km四方を高い壁と有刺鉄線に囲まれたゲットーに強制収容され、腕にはダヴィデの星の腕章を付けることを強制された。極端に狭くて不衛生な地域で生活を管理され、飢えと寒さをしのぐのに精一杯な中でチフスと呼ばれる感染症が流行した。孤児院の教員は人々が道端の死体を石ころのように跨いで歩く光景に腐心するも、しなやかな子どもたちの明るさに救われながら寄付を募るために這いずり回って強く生きていく。
1942年7月22日、奇しくもコルチャックの誕生日に、政府は労働力にならない弱者から順に、ユダヤ人を一日6000人ずつ再び別の場所へ移送するという「大行動」の指示を出す。コルチャック達が移送される8月6日、200人の痩せた子どもの行進の先には、家畜用の汽車があった。乗り込もうかという時、政府が数々の功績を認めてコルチャックに下ろした特赦が届く。…しかし子どもたちも一緒にではないことが分かると、特赦状を地面に落とし、コルチャックは子どもたちと一緒に汽車に乗り込んだ。彼らの永遠の旅立ちが始まったのであった。
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脚本やパンフレットに即して書いてみましたが、あくまで粗筋。Wikipediaなどで調べるとさらに沢山の経歴、功績、関わった人々、逸話、心に響く言葉などが詳しく書かれてますので良ければ味わってください。正直、なぜもっと有名になっていないのか不思議なくらい、各方面での偉業があります。軍医の経験、小児科の開始、コルチャック賞、惑星コルチャック。
コルチャックは処刑される数日前まで日記を付けていたようなので、おそらく役名は全て実在した子どもの名前なのかな。「みなしごの家」の教員「ステファ」、「ぼくたちの家」の教員「マリーナ」は、それぞれ孤児院の共同創設者として実在するし、孤児院の卒業生で陰ながらホームへの寄付を続ける「イレーナ」という女性は、おそらく沢山の子どもをゲットーの外に逃したことで有名なイレーナ・センドラーか。
舞台は、コルチャックと子どもたちが汽車に乗っているラストシーンから始まる。ユダヤ教のハヌカの祭りの日の少女フリーダと兄ユゼフの会話を回想しながら。…つまり、途中の回想シーンを挟んだラストシーンを初っ端に持ってきたわけで、3回観てやっと理解できたわ。
続いてその少女、フリーダが初めてホームにやってくる日。この日もクリスマスとハヌカを祝う日だった。ヤコブの初セリフ「両方楽しめるんだ、いいだろ、僕はヤコブ!」孤児達が生活の中で自然にお互いを思いやっている。
また時間が少し遡って、コルチャック、ポーランドの孤児院「ぼくたちの家」辞任のシーン。事務局員も少し前まではコルチャック先生を自慢にしていたのに、世の中の情勢がユダヤ人にとって不利なものに変わってきたことで、突然態度を変えて辞任に追い込む。しかしただ世論に流されているわけではなくて、寄付を募って運営している孤児院だから、頑を張れば立ち行かなくなるという判断をもって、事務局としても苦渋の要求をしたわけだ。
マリーナは「先生との意見の違いはあって当然。むしろそれゆえに刺激的なアイデアが生まれるのだ」と強く反対するが、コルチャックは子どものことを第一に考え、要求を受ける。「ユダヤだから」という理由で重圧を受ける現状に対し、「人々は不満をどこかに集中させたいだけだ」と憤慨するマリーナに、紛れもなくポーランド人であると同時に紛れもなくユダヤ人だと公言するコルチャックは、自らの子ども時代に宗教差別された経験と世間への疑問を言い残して「ぼくたちの家」を後にする。
子どもたちの身体測定のシーン。13歳以下の男の子たちが裸んぼで走り回って歌う。「やってみたかったんだ、一日中裸んぼでいるの。だめ?」コルチャック「そうだなぁ……悪くない!・・・エヴァが詩を読み、アブラーシャがヴァイオリンを弾く。ゾフィアがそれに合わせて踊り、フリーダが歌う。人々はパンやミルクをくれるだろう。そうしてどこまでもどこまでも歩いていくんだ。」ヤコブ「どこまでもどこまでも歩いていくのかあ!」
違う脚本家の公演でも語られたこのフレーズと「太陽の光はいつだって」の歌で、子どもたちとコルチャックが自然の中で活き活きと幸せに生きる理想的な情景が描かれる。最も好きなシーン。
ヤコブ「なんで先生は『小さな瞳』の編集長を辞めちゃったの?ラジオも辞めちゃったし…」「それは…」「…ユダヤ人だから?」「いや違う違う、そろそろ若い人に任せようと思って!」「先生、髪はないけど、若いと思うよ!先生がみんなに話してる時の顔は子どもそのものだもん!あれは大人の目じゃない、純粋な少年の目だね!」「はっはっ、少年に言われるとはな!」「同じ少年でも、僕は先生ほど純粋じゃ、ないけどねっ!」「あぁ、そうかいっ」ヤコブは将来世界を変えるジャーナリストになるつもりだ。
ヤコブは「みなしごの家」のリーダー的存在。きっと舞台の外でも年上にも年下にもかなり信頼をおいていたんではないだろうか。紅は紅のヤコブ、白は白のヤコブが子どもたちのまとめ役だったのだろうとしみじみしていた。実際には孤児院は7歳から14歳という最もピチピチした時期の子たちがいたらしいが、舞台では4歳くらいの子もいた。舞台上で落ち着かない様子も、逆に子どもらしくてリアルだったように思う。セリフが無い部分も子どもたちは自由に演技しているのが好かった。
ある日、ケンカが発端になって子どもの裁判が始まる。コルチャックは、国連の「子どもの権利条約」の基になった思想の実践者で、子どもを大人の考えている以上にしなやかで強いものと考え、自治を行わせていた。裁判は形式を遵守して進み、「この件は重要な問題ですので、次回までに皆さんもよく考えておいてください」と閉廷された。性急過ぎる現代に参考にされたい。
ゲットーに収容される際に抗議して逮捕されたコルチャックだが、ホームの卒業生イレーナの用意した保釈金で帰ってくることができた。気遣う子どもたちに明るく話して聞かせる。「牢屋には泥棒のお頭も殺人者もいた。でもみんなお話が大好きだった。どんな人も昔はみんな子どもだったんだ!」星の王子さまなどでも言われるこの金言。全人類に当たり前の思想になる日はくるだろうか。子どもたちにはどう聞こえるのだろうか。
エドナが見当たらない。移住する際、この子はアーリア系の顔立ちだからバレないだろうと、ステファ先生がポーランド人の孤児院「ぼくたちの家」に引き取ってもらった。「じゃあ、はっきりユダヤだと分かる子どもはどうするんだ、私達がより分けるのか、この手で!そんなことできるか!」「子どもたちは私達と一緒にいるのがいいんだ。その方が子どもたちも安心できる。」…子どもたちの安全よりも安心を取るということか。難しいところ。
ワルシャワ・ゲットーの市長であり、ユダヤ人評議会議長のチェルニアクフに寄付を頼むコルチャック。実際口が達者だったかは知らないが、一言一句大変勉強になるので、憶えてるままに掲載させていただく。「寄付は十分していると思うが?」「あなたは特に子どもへの援助に努力を惜しまない。他の人ではこうはいかない」「あなたにそう思ってもらえるとは光栄です」「今光栄とおっしゃいましたね!そうです、子どものために何かをするということは、我々にとって共通の、義務であり責任であり幸せであり、光栄なことなのです。さすがよくわかってらっしゃるぅぅぅ(抱っ」「…も、もちろん子どもへの援助は惜しみなく。」「いやー良かったあなたが寄付を無碍に断るような冷徹な卑劣な人ではなくて、では現金にしますか、それとも、現物で?」「現金で…。」「慎み深いですなー!遠慮なさらずに」「じゃあ…3000」「なんのなんの、もっと堂々となされば良い!もう一声いきましょう」「…分かった、5000だ!」「あなたがこれからも、継続的にこの幸せを味わえますように。私達はいつも必要としています。現金でも、現物でも、日用品でも、あらゆるものが役に立ちます。…いつも、ありがとう。」
自分の宝石を売り払ってこっそりとホームへの寄付を続けるイレーナは、孤児院での生活を振り返る。卒業してから気づいたが、いつもみんながいて、一緒に食べて寝て笑って…先生がいるホームでの生活は宝物だった。だから、汚れてしまった自分はもう帰れない。子ども時代の大切さを理解し、自らを抑え、身を削っても守ろうとする大人の一人。
財産の尽きたイレーナは、とうとう自らが歌手として働く酒場にコルチャック先生を招く。そこには貧困に苦しむゲットーの中で、闇の商売で一財産築いた男たちが毎晩ウサを晴らしにやってきていた。驚くドクター・コルチャックに代わって店主が巧みな話術で男達に寄付を募る。中でもゲットー一の金持ち、ガンツヴァイクとコルチャックとの対話に重大な思想が詰まっている。「言わせたい奴には言わせておけばいい所詮負け犬の遠吠えだ」「役に立たないクズは死ねばいい。これは淘汰だ、しょうがない。そうでしょ先生」「子どもたちを救えるのはこのガンツヴァイクだ。カネでできることがあれば何でも言ってくれ」コルチャックの対極であるガンツヴァイクだが、決して悪者ではない。力を持って強く生きようとしている。
コルチャックをゲットーの外に出そうと周りは躍起だが、本人は聞く耳を持たない。「(私だけ特別ではなく、)誰もが一人しかいない、誰もが生きなければならない。」なぜステファはわざわざ一旦出ていたこのホームに危険を冒して戻ってきたのか。他にもゲットーに入りたいと言っていた教員もいた。こんな時だからこそ、大人は子どもたちと一緒にいたい。大人が子どもと一緒にいたいのだ。子どもは底知れない気力や神秘を持っている。このことを知って生活の一部とする大人は残念ながらあまり多くない。子どもの力で世界は変わる。
卒業生で教員のエステルは、コルチャックが死にゆくみなしごを題材としたタゴールの「郵便局」の劇を子どもたちに練習させていることに腐心して、なぜ死への準備をするのかとステファに問い詰める。「死はいつかは必ず、誰にでも訪れるものなの。だから、せめてその時を尊厳をもって受け入れたい。生きることを諦めているのではなく、これは生き方の問題なの。何のためにあんなにボロボロになって寄付を集めてると思うの…生きるためよ!生きるための闘いなの。」若い大人であるエステルが理解して受け入れるのは難しい話だろう。死への観念は特に幼少期、環境によって非常に大きく変わるだろう。コルチャックは子どもたちに死と正面から向き合わせることを選んだ。
皆で迎える最後のハヌカ。祭りの最終日はホワイトハヌカとなった。食料も無く侘しいが、子どもたちは歌を歌って祈りを捧げ、コルチャックは世界の異なった人種や宗教の違いを認め合うことを説く。劇中何度も歌われる「ホームのうた」は、小さくて明るい子どもの歌のようだが、歌声は力強く、しかし陰を隠しきれない。子どもたちの魂の叫びは、辛辣なまでのメッセージを持っている。「ぼくたちの家」の住人も身を隠してやってきて、緊張の中での最後のクリスマスとハヌカの祭りは終わる。
1942年、強制移送の緊急指令が下されたが、ユダヤ評議員のチェルニアクフは頑としてサインをしない。ドイツ軍の無理な要求に耐えてきたことを酌んで子どもだけはと懇願するも、要求に協力するのは当然の義務だと一蹴され、それまでの努力が無駄だったことや自らの無力さを嘆き、用意していた薬で自害する。わざわざゲットーに残って人質を取られてまで人々に尽くした彼だが、考える最善の策として無理な要求を飲み、逆に市民からは無力だと罵られるようになって、正に哀れな板挟みだった。
最もドイツ的な役としてラストシーンまで登場するベルガー中尉。行いこそ非道に徹しているものの、忠実に自分における立場や正義を貫くだけでなく、決して暴力による解決に終始しようとせず、他人を思いやる常人の心すら見え隠れする描かれ方だった。終始一貫して、様々な個性で様々な立場の人の心理が巧みに表現された作品だった。その人間が複雑にぶつかり合った結果、世界大戦が起こり、望みもしないのにお互いを滅ぼし合った。簡単な話で済むわけがないのは当然だ。
「私は君たちに神を与えることはできない。私は君たちに祖国を与えることはできない。私は君たちに人間の愛を与えることはできない。自分の中に見出し、選び取り、学び取っていくものだからだ。だが、唯一つ、私が君たちに与えられるものがある。それは憧れだ。未来を生きようとする希望が、君たちを神へ、祖国へ、愛へと導くだろう。」
歌いながら客席を縦断して行進。
「永い旅になるかも知れない。でも僕たちならできる。・・・エヴァが詩を読み、アブラーシャがヴァイオリンを弾く。ゾフィアがそれに合わせて踊り、フリーダが歌う。人々はパンやミルクをくれるだろう。そうしてどこまでもどこまでも歩いていくんだ。」ヤコブ「どこまでもどこまでも、歩いていくんだね!」「太陽に向かって、どこまでもどこまでも、歩いていくんだ…!」
思い出してもまだ泣ける。かいつまんだつもりが感想が長くなりました。そもそもこんなに記憶に残っているのは、3回観たとはいえ驚いた。芸術というものは、一つの作品に沢山の思想が描かれているのだと知った。しかしバラバラではなくて、多方面から見ることでそれぞれの生き方がよりありありと描かれる。脚本も演技も本当に素晴らしかった。
3度目になっても、お母さん方と一緒に泣いた。子どもの成長、素直で明るく強い生き方、殺されゆく運命、子どもと最期まで共に生きようとする姿勢。子どもを育てる親なら楽しいことも辛いこともいろいろあっただろうしこれからもあるだろうけど、この美しい心のあり方を描いた舞台に立ち、友と一緒に号泣する子どもの姿を見て、ただの演劇ではなくて、今ここに彼らの成長がある奇跡を感じて、どこまでも大切な人への想いを裏切らずに生きていこうと思えたのではないだろうか。強く育った子どもをもっと尊重して、小さな世界に落ち着かせてはいけないと思えたのではないか。自分は親でも何でもないのになんで泣いてんだ。
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「コルチャック 子どもの権利条約」「コルチャック先生のおはなし マチウス1世」「もう一度子どもになれたら」「子どものための美しい国」
以上の書籍を取り寄せてしまった。ぼく本なんかまるで読まないのに。ましてや小説など。でも知らないわけにはいかない。
永い旅になるかも知れない。でも僕たちならできる★☆★
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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。