2011年12月5日月曜日

46 Cause You're my Benefits.

前回は、算数は比が大事、比は現実生活で大事とかいう話などをした。

だって比べる力が無いと、一つのことを聞いて一つより多くのことを得られない。つまり損失にはなっても利益にはならない。比べるためにはまず複数の物事を正確に対等に見て、時には深く性質を自分で理解するという賢しげな能力が必要なので、やはり大事だ。

学歴を重視する社会や、誰かに言われたことをしっかりこなすことを重視する社会に対する批判は多いけども、学生である自分は、それらは評価されて然りと考えているのは今書いた通り、今まで書いてきた通りだ。概ねのことはできないよりできた方が全体的な方向性としては良い。

もう一つ、ずっと昔から若者が大々的に嫌い、様々な芸術でも悪として表現される社会のよくある態度がある。
「組織全体の利益を考えれば、個人の生活はどうでもいい。多少の犠牲は已むを得ん。」
「自分の利益を上げるためなら、正しいもの、美しいものから外れても善い。」
私もこの態度を近頃まで狂っていると考えていたが、視野を広げてみると、思想の土台が理解できるようになってきた。同じ人間だもの、同じ気持ちから起こった結果であることは知っていたが、漸く触れられた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ということで問題たいむ。例えば以下が「大人の世界」かと思ってる。

問1 有名哲学者のサンデル教授にこんな感じの問いがあるでしょ。

「線路の上に5人の作業員がいる。このままでは列車に轢かれてしまう。あなたは線路の切り替えポイントにいる。列車の進路を替えれば、5人は助かるが、切り替えた路線の先にいる1人はやはり死んでしまう。あなたならどうする?」

捨象すればこうだ。「ほっとけばマヌケな5人が死ぬところを、あなたの手で関係無い1人を殺せば助けてあげられるけどどうする?」…という言い方をすれば偏るかもな。

問2「ほっとけばマヌケな1人が死ぬところを、あなたの手で関係無い5人を殺せば助けてあげられるけどどうする?」これなら迷わず一人を轢き殺す?

問3「あなたの親しい友を殺すか、嫌いな人を殺すかだったらどっちを選ぶ?」
違いは私情だけ。ランダムなんてナシ。

問4「人殺すのとゴキブリ殺すのどっちが悪い?」
一般論として説明できるかな。

問5「日本が沈没するのとあなたが眼に毛虫入れられるのどっちが良い?」
良くないわ。


こういう問いに論理的に答えるには、その人個人の世界観や価値観の影響を強く受けた思想が必要になると思う。

ここで自分が言いたいのは、恐らく人間であれば誰しもが、より多くの利益とより少ない損害を得るために生きるだろうというよくある仮定だ。逆に言えば、人間は誰でも、自分がしたいことしかすることができない。いわゆる功利主義、もしくは利己主義とも言えそうだ。1人よりは5人を、それもできるだけ多くの親しい人を残そうと選択した人、でも自分が我慢して世界が救われるならその方がいいと思った人は典型的だと思う。

利益と聞いて金銭のことしか考えないのは中学生まで。利益とは、財産、権力、時間、快楽、信頼、人情、感動、幸福など人によって異なる。何を利益と見るか、これが高校現代文で死ぬほど使われる「価値観」というものだ。一般に「利益=幸福」と言って大した問題は無い。

人は自分の利益と思うようにしか動けない。金銭への欲望を理性的に我慢して他人のために尽くしたいと思うのは自分の欲望。リスク同士を天秤にかけた結果、最善の選択肢として自殺を選ぶのも自分の意思。人間が自分のことしか考えてない汚い生き物だと言ってるんだと思ったら誤解だ。ただ基本的な理論を仮定しているだけで、その他の現象はその上で充分あり得る。



こういう選択、いわゆるジレンマに迫られる毎日を過ごしている人は多い。どちらを取っても必ずリスクを負う、もしくは必ずリスクを負う可能性があるが、必ずどれかを選択しなければならない。なぜなら、危険を冒してでも利益を得たいから…という場合もあるが、ここでは、無数のリスクの中でも最も少ないリスクを取るためと言った方が適切だ。

上に挙げた極端な例の通りではなく、普通一つの物事には利益と損失が混じり合っている。百害あって一利無しと言われる喫煙も、吸うことで運動や気分転換になって精神が落ち着くこともあれば、喫煙所での談笑から良いアイデアが浮かぶかも知れない。行動するにはリスクが付いて回る、そして利益も付いて回る。私達は、それを単純に足し算して利益もしくは損失と考えることが多い。特に時間やお金など、計量可能なものに価値を見ている人にとっては迷いが少なかろう。それが営利団体だ。

これが「多少の犠牲は已むを得ん」と言ってのけられる理由じゃないだろうか。行動するにはどう頑張ってもリスクは起こる。絶対に大丈夫なんてどうしても保証できないのが社会通念。損失を全く出さずに利益を上げるのが難しいなら、損失を出すかわりに上げた利益の方が大きければ結果的にプラスになっているのでそれで良い、と考えるのが普通だ。さしあたり一概に悪いことのようには思われない。


ちなみに子どもの頃は上に挙げたようなマイナスだらけの問題にはそうそう当たらない。試しに考えてみたことはあったが、思い巡らせた末、こんな選択自体が間違っているので、こういう状況にならないようによくよく世界を構築する必要がある、と結論付けてスッキリしていた。与えられた条件、つまり世界を改変するのが子どもの秀でた能力なのでこれはこれで一つの解答だとは思うが、純粋に学問を追究したい私達としては不満だし、何よりこの規模では無いにせよリスク同士の選択は日常的に蔓延している。

リスク同士の選択は、自分一人で生活するだけ、何の責任も負ってないのであれば、子どもと同様にそうそう出会うものではない。何か不明瞭なことに対して積極的に働きかけるときになると急激に増える。限りある時間の中で、まだ起こっていない危険を予防して、未来や他人を生活させようと思うことがあれば、とにかく考えるより行動を起こさないといけないので、この選択が莫大に増える。ゆっくり準備を完全なものにしようとしたらそれだけで一生が終わってしまう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
きゅうけい
且(*´ω`*)且
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、不確定な利益と損失を計算し、少しでも良い人生を生きる方法として、確率論がある。

問6「100万円もらえる確率が100%、1000万円もらえる確率が1%。どっち選ぶ?」

この場合、100万円を選ぶ人の方が多い。たぶん。これは簡単な考え方にある程度則っていて、正に義務教育で教わる比較的新しい数学の分野に関係する。
「前者は利益の期待値が100万円で、後者の期待値は10万円なので、前者の方が差額の90万円の得になる。」これだ。

もちろん1000万円もらえる可能性もあるわけだから、絶対に100万円の方が得とは言えない。ただ、よほど余裕が無い限りは堅実に前者をもらっといた方が無難だ。冒険して失敗すれば周りから何を言われるか分からない。そういうことだ。

簡単な例えにして話したけど、この考え方が日常生活や仕事での選択に大変使いやすい。

試してみた場合に、どれだけの確率で成功しそうか、成功した場合はどれほどの利益が出そうか、これをかけ合わせれば期待値だ。他の選択肢の期待値と比べて参考にすると冷静に判断できる。無理矢理数値化しなくても図形的、人間的、感情的に考えたっていい。私個人は、何でも数値化することで仕事が効率的にかつ楽しくなった。

実際にはもっと複雑で、例えば。100%の成功する確率が20%で、70%以上の成功が50%、35%以上が80%。50%以上の成功をした場合にはもう一人追加で稼働できるけどその人の能率は自分の50%で時給は80%、特に3%の確率で平均の500%までの買い物をする客が来た場合には自分ですら75%の対応しかできない。損失は最大でもどのくらいにしたいから結局この仕事を自分がやるべきなのかどうか?とか考えないといけない。

大げさなようでそうでもない。実際には確率の数字はおおよそのもので、計算も感覚的にやる。だから小学生かその前に計算力や物を見る力が大事なんだ。少しわかりやすいこと言えば、そもそもどれがどれくらいの確率でどうなるか、ということを判断するのは、経験によるところも大きい。そもそも確率と経験とは強い関係が在る。ありとあらゆる細かいところから情報を持ってきて確率を定めるのもやはり日頃の注意が重要になる。

名探偵とかになったつもりで観察眼や記憶力を少し飛ばしてみると、意外に使える機会は多い。もちろん上手に使うためにも常に意識していないといけないのだけど、基本的には他人に対する気配りと同じだ。他人が困っていないか、何かを必要としていないか常に気を配れる人なら仕事への応用は簡単だろう。ただし、良い人付き合い、良い仕事というのは際限が無い。何事も一筋縄ではいかない。

そして、経験を積んだ人ほど、そして細かいものを見過ごさない人ほど、確率を基本的な考え方とする傾向が強い。なぜなら最も合理的で、もっとも素直で、最も安全な判断の方法だから。確率に頼ること自体、細かいもの、不確かなものから大きな流れの方向性を読む行為に似ているのでなおさらだ。

その上で。確率を計算するのは複雑になればなるほど頭を使う。その上で、結局のところ確率でしかないので、つまり賭けをする。自分がいかに頭が良いか試す場であり、後は読み切れなかった現実がどう動くかを鑑賞する場でもある。賭けた額に対していくらの見返りがあるか、それがつまり自分の読みの正確さをそのまま表すので緊張すると同時に楽しみである。のではないでしょうか。


日常生活やお仕事ってのは、ゲームの枠に当てはまるところがむちゃくちゃ多い。沢山のゲームをやってる人は人生のモデルも豊富だ。経済の流れを読むのなんかよくできたゲーム。人生はギャンブルだ、とかいう言葉もあるけど、ただ生きてるだけで常に損失の可能性があるのと同様に、常に利益の可能性もある。ただし、当然いつ何時でもチャンスをつかめるように準備すること、チャンスに逢いやすい環境を作ることは意識的に可能だし重要だ。自分で人生変えるっつっても大げさなものから小さいこともある。小さいことが積み重なって大きなことに成ることもよくあるし、むしろならない方が稀。

別に意識しなくてもいいけど、でもやってることはギャンブルと同じ。勝てそうな流れ時にその自信に見合ったお金を賭けて、うまく読めた場合は大きな報酬をもらう。不測の事態や極端に不運な場合は賭けただけのリスクを負う。ただ、自分が賭けたよりも莫大に儲かることはあっても、賭けた額より多く損することは起こらない。ほら、勝てそうな時は勝負した方が間違い無く得できる。長い目で見た場合にはね★☆★