2012年5月1日火曜日

51 こどものかおすがおのず

4月30日月曜日 昭和の日の振替 Black sky

前々から、子どもたちと触れ合う時に、もっと自分をこの子達の中に残したいと強く思ってきた。自分の中に子ども達を残したい、と言った方が分かりよい人もいるかな。

傍目には気づかないような些細なことでも、他人に大きなインパクトを与えることはできると思うようになった頃、日々人と触れ合うわずかな時間のわずかな会話が、まだレベル1であることに気がついた。決められたことをやって愛してくれるのを待つだけ。これじゃ退屈なので、短時間に彼らの琴線の深みを引っかくこと、また余韻を残して再生可能にすることを意識するようにした。

しかし表現とは難しいもので、同じ内容でも、表現媒体、抑揚、その他併用される表現によって、あるいは性格、体質、容姿によって、あるいは場所や時期によって、あるいは相手の感性、思想、その他の様々な状況によって、伝わり方が全く変わってくる。だから失敗を避けたい人は殆ど表現をしない。成功したければ練習が要る。

経験を重ねれば、着実に分かってくる。堂々としているべし、流暢に表現するべし、論理的にかつ相手の理性に合わせた表現にするべし、独特で床しいものにするべし…。そして近頃は、特に会話していない時も、こちらのキャラクターや情態について絶えず表現し続けることを考えるようになった。怒っているのか友達感覚なのか不思議で違和感があるのか、これを分かりやすく示しておくことで、向こうからも話しを引き出しやすくなる。


また直近は、彼らが永い時間にわたって世の中でよろしく生きるために何ができるかと考えることがかなり増えた。これが即ち自分を彼らの中に残す行為だと感じてる。しっかり勉強するように、しっかり挨拶するように、しっかり会話できるように、他人を尊重できるように、競争心や好奇心を絶やさないように、諦めないように、子どもを愛するように…そのためにどうするか。

少々大げさなテーマであるようだけど、一度挨拶ができるようになれば心のプログラムがアップデートされて、簡単に次も挨拶できるようになる。その次はもっと楽だ。逆にできない子ってのは最初の一回がむずい。つまり些細な活動が子どもの人生を左右するわけだから、短い時間の中で彼らに合った表現を使って記憶させたい。無意識に保存されるだけで充分だ。子どもだもの。
 例えば勉強だって、彼らと視点を揃えてチューニングし、楽しさを追求すればスムーズに意欲を湧かせられる。こっちがちょっとやるのとやらないのとでは同じようでけっこう違う。けっこう違うってことはかなり違う。

童心に還るのはコツが要るけど、しかしまぁ思い出すだけだ。思い出せなきゃ貰えばいい。基本的に素直に楽しいことしてればそれが正解。素直に生きられたらすごいけどな★☆★

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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。