2020年1月21日火曜日

71 ピクロスの曲をアレンジしての雑感

2020年1月20日(月)

 曲を作ってYouTubeにうpした。ゲームボーイソフト「マリオのピクロス」の曲をアレンジしたもの。作曲者をネットで調べたら、上野敏幸さん。作品のサイトにスタッフを書くべきだと思うんだよな。曲調としてはバロックだが、テトリスや「太陽の光はいつだって」のような民俗的な感じを入れた。

 近いメロディーでも聞こえた時だったか、ふと「ふわふわした曲あったな」と思い出したことと、どうにもそれが「不思議なもの」だったという感覚による好奇心がきっかけだ。
 しかし、幼い当時は、「不思議な感情」⇒「嫌い」だった。小説の読後感とか、理解できなくて何となく不安を感じるものは、「存在しない」ことにしていた。法律上は霊的なものは存在しないのに似ている。あるいは乳児にとって苦味を毒と認識するのにも似ている。この曲も取り留めの無さが好きではなく、マーチのような土着的とでも言うような分かりやすさを好む子どもだった。

 今は、不思議に対しては恐怖より好奇が優性だ。そして、情報があまりにも手近になり、行動につながりやすい。作業が完了するまで、2日間しかかかっていないことからも、いかに現代が便利な世界かが分かる。
・タイトルが分かれば、共有サイトにアクセスして曲が聴ける。
・音があれば、耳と脳が頑張って音名に変換して楽譜が作れる。
・楽譜があれば、DAWで各々の楽器に演奏させることができる。
 凡そ、長い時間をかけて科学技術と私の能力が進歩したことで実現したのだ。子どもの頃、GBを片手にピアノに向かった思い出が恥ずかしく、虚しく見える。
 演奏なんて生の方が良いだろうと言うだろうか。ではここまで完璧な演奏を誰ができるのか。DAWには遥かな利点が満載だ。

 というのも、作り始めて気づいたのだが、なんとこの曲は一般的な曲と比べて、全ての音が50セントズレている。半音の半音、つまり4分音に移調されている。中間だから、高いとも低いとも、変ハ長調とも嬰ロ長調ともつかない。それでも、DAWにかかればピアノの調律まで一瞬でできる。

 4分音だけで作るという発想にも驚いたが、もしかして自分が感じていた不思議な感じもここに一因があるのでは、と思い至る。もう一つ、もしかして、他にも一般的な音楽とはピッチが違う曲がレトロゲームには多いのではないか?だとしたら、ゲーム世代の音感はズレているのでは?あるいはものすごく柔軟なのでは?絶対音感のある人はゲームに辟易としているのだろうか?自分はリズム感に対して音感が良くなかったり、電子ピアノのピッチを変えて遊ぶのが好きだったりするのはここに一因があるのかも知れない。そんな次の好奇心が生えている。

 もともと、なぜ音が12個に分かれているのかは甚だ疑問だった。太陰暦のように13でも良かろう。虹のように国によって違っても良かろう。今は、人間の能力に最もマッチしていたのが12個だったのだろうと理解している。音楽家にとって、12個以外の音を平等に扱うのは極めて難題なのだろうとは思うが、いずれ凌駕しては懐古する時代も来るのだろう。

 4分音だけでできた曲について考えると、全てが歪んだ世界なので、現実にはあり得ないファンタジーというか、文字通りのパラレルワールドのような感覚が得られ得る。また、こちらに慣れると現実の方が歪んで見えてくる。ヒプノディスクを凝視していると、現実の静止しているものが歪んで見えることに似ている。さしずめ、ヒプノトーンとでも言えるだろうか。既にそういうものは無いのだろうか。

連休中の不用心な好奇心に苦笑い★☆★

Les feuilles:アキレスはキレるとヤバい、長フロー
Other Themes:4分音の世界、ゲーム世代の音感、ヒプノトーン

2020年1月18日土曜日

70 情報の発信は整然としていなくてよい旨

2020年1月15日(水) 初雨

引き続き、書くことについて書く。「本を読む本」に近い響きだ。
だいぶ間が空いてしまったのに再び書くことが全くためらわれない自分の鈍感さに感動する。今書きたいから書くのだが、客観的にも問題が無いと判断をした。

 我々は日に日に、直線的に寄り道なしで個々の情報にありつくようになった。頭に浮かんだ思想に対して、アラカルトのように、周辺との連続性にとらわれずに情報を入手できる。
 音楽はCDではなく、1曲単位でダウンロードする。電子辞書やWikipediaで知りたい言葉を一回で知り当てる。それでは周辺の情報が入ってこなくなるという批判もあるが、事実として、情報同士の連続性や関連性を省いた検索方法が増している。空間に情報の点が存在していれば事足りる。
 だから。同じ話題に長い時間が空いても、複数の話題が短い時間に林立しても、情報の引き手には何ら問題無い。辞書のように整然と並べなくても、気の隨に情報を生み落とせば、脈絡は利用者が勝手に編める。電子的な情報の遥かな強みは、容量と、正確な検索能力だ。そういうわけで、長い時間が空いて話を続けても問題無いという判断となった。そもそも定期的な読者などいなかった。

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 このアラカルト方式の善悪については判断しかねる。むしろ、情報が作者の意図を伴うパッケージではなく、方向の無い点のまま見ることができるなら、各々が新鮮な解釈を楽しむような潮流が起こるのではという期待も大きい。余談だが、子どもに星座を自由に結ばせるような教材があったら楽しいと思っている。

 長い時間が空いてもよいと言ったが、むしろ近年では、回顧がブームになっている感じがする。自身が体験することと、時間を空けることがそろって初めて得られる贅沢な楽しみだ。考えてみれば、音楽のモチーフにしても、マンガのキャラクターにしても、お笑いのネタにしても、忘れた頃に再登場することへの無条件の喜びのような気持ちは、どういうメカニズムなのか、大変に興味がある。記憶というよりも、忘却についての神秘を感じる★☆★

Les feuilles:
ありつく、知り当てる、引き手(情報を検索する者)
Other Themes: 
星座結び、忘れた頃に再登場

2020年1月15日水曜日

69 情報の保存の仕方について

2020年1月14日(火) 晴れ

さて
少々間があったが、書くことを続けてみる。

 言いたいことが雪崩れる程あって困っている。情報が多過ぎて上手に整理できず、有意な形を取れなくなりそうだからだ。

 そこで、形式をより柔軟にする。慣習に倣わず、より正しいと思われる形を採る。
要は、本の章のように、パッケージとして1つ1つの話題と結論を記していくことを捨てる。分量、結論、不変性、連続性などを持たなくてよい。正確性の強度も高くなくてよいが、できる範囲で正確に書く。
 このルールで情報を記録していくことにする。筆を止めることを止める策として、「後で編集可能」だから「リスク無しでとりあえず行動する」モードにするということだ。よくある話。

 一方で自由には危険が伴う。例えばツイッターのように字数制限があれば、そこに「合わせにいきたくなる」ことがある。字数制限などの「形式」があることで、行動へのモチベーションが発生し得るということだ。世のことごとは、制限を外して自由にする方が合理的と思われることがあるが、自由のためには都度自分で考えるという労働が必要となる。「自由」を扱うことは技能だと思う。大人になるにつれ、規範に則ることがいかに前頭葉の働きを節約して「合理的」であるかを自らに理解させることが普通だ。

 つまり、自由が危険となるのは、それを扱う能力とモチベーションが弱い場合。逆にそれらが充分な場合には、既存の枠組みは脱却すべき枷となる。要は、「場合によって使い分ける」が最適と思われる。ありふれた話。
 私もそうだが、物事を一辺倒で片付けたがる者は多い。「固定観念は悪」「型にはまるのは良くない」という観念自体が固定された形骸にしか思えない。学術的な研究でも、「場合による」ことを無視しているものが多過ぎる。

 さて、そんなルールを新設したものの、これは単に許容を広げただけで、結果的には今まで通りに書くことを助長するはずだ。逃げ道をセットする、敷居を下げるだけで、人は動くものだ★☆★

Les feuilles:
押して(副)、籤売りの少女、一辺倒(出所は毛沢東)
Other Themes:
合わせにいきたくなる心理、場合(前提条件)分け、賢い逃げ道の例