2013年1月9日水曜日

64 ぼくはモンスター

2013年1月9日(水)曇り初め

ぼくは正月の雰囲気が好きなのだけど、1週間もすれば9割以上薄れるものなのだなぁ。

今日の記事は大体愚痴になる。というのも、ぼくは昨年を通してイライラしやすい心の持ち主になったのだ。自分の尺度でおかしいと思うことを、強く問い質す生き方を再び選んだ。



世の中の仕事がテキトー過ぎる。今日の主張はこれに尽きる。たぶん前にも言った。

学校、駅、飲食店、コンビニ、どこの職員も、ぼくの合格に満たない対応、つまり不快な対応をする人は約8割だ。残りの2割の中で快い対応をしてくれるのは3割くらいか。17人に1人だ。1つの店で2人と関わるとしたら、1週間に1度も快い仕事人とは出会えない。

●具体的事例

昨年は敢えて一歩突っ込む生き方をしたので、いろいろな事例が得られた。
基本的なもので言えば、分かりにくい説明、誤った情報の提供、聞き取れない声、片手間での対応、マイペース、私語…などなど。ほんの一部だけ書く。

=書籍やCD=
大量の印刷ミス。どうやら昔と違って校正の業者に出す習慣が弱くなったらしくて、ミスの無い本の方が珍しい。誇張と思うかも知れないが、酷い物は2ページに1字の頻度で誤植がある。特に楽譜のミスは勘弁して欲しい。
訂正した品物を送ると言ったきり次に連絡が来たのは3週間後だった。

=飲食店=
こちらが話してる途中で「食券を買ってください」
メニューに書いてあるのに「それはできません」
謝罪の言葉も無しに店のドアに「本日売り切れです」
注文も聞かずに「ただいまお作りしています」
水を出さない、注文したものも出さない。
カウンター席なのに体から遠い所に水を置く。
調味料を切らしておいて謝罪もしない。
床やテーブルが汚れまくり。食器もベトベト。
キャンペーン期間の終わったおもちゃを出す。
おまけのおもちゃの箱が破れている。

=コンビニ=
値段が書いてない。
チケット買ったのに封筒が無い。
「台車通りまーす」

=ネット市民=
iTunesのCDデータベースの情報が完璧だったのを見た記憶が無い。
Wikiの類も誤字脱字や文法は無論だが、肝心の情報まで間違い放題。
なんとか知恵袋とか個人のページも半分は誤り。数の多さは確からしさに寄り添わない。
総じて小学生のテストの珍回答よりは酷い。分からなくても良いから黙ってろよ。


●お金に見合った対応

自分がバイトをするようになって顕著に思うようになった。
自分だったらマズいと思えばどんなに面倒な仕事でもすぐに制度化して徹底的に直す。
こちらは頑張って稼いだお金を払っているのだから、頑張ってやってくれなくては困る。
正直、特別難しいことを求めている訳ではない。当たり前のことをしてほしい。
お金も時間も必要としないテレビ番組なんかはゴミみたいだと思ってもイライラしない。

●立場の問題

嫌なら使わなければ良いと言う態度を取るならそれでも構わない。でも、金儲けしたくてサービス業をしていたり、国に雇われて国民の税金で食ってたり、わざわざ畏まった口調で話しかけてきたりするのは、いつもむこうだ。そもそも自分でやりたくてやってるのだという立場を理解していれば、やる気の無い素振りを見せることがどれほど無意味で無礼であることか分かるはずだ。

ぼくが何より嫌いなのは、いつもそういうことだ。自分でやってることについて考えようともしない人には年齢や性別を問わず嫌悪感を持たずにはいられない。

「お前がやりたくてやってんだろうが」こう強く思うのは、世界に普遍の法則や倫理を自分なりに懸命に探して惨めに挫折した経験があることが大きい。客観的に普遍的な理論を押し付けはしないで、あなたを尊重しよう。人それぞれどう思うかが大切だ。何もしたくないなら私みたいにしなければ良い。できないことはしなくて良い。でも、お前がわざわざ他人に言ったことは責任を持って成し遂げるように努めて、失敗したら謝罪をしなければぼくは怒ってやる。なぜなら論理的じゃないからだ。論理的じゃないから間違っているとは言わないが、論理的じゃないということは社会的ではないということだ。私と違って社会に媚びを売るなら社会のルールに適合しない者には敵意を見せてやる。
こういう世の中を理解していながらわざわざ視線を合わせて怒っているのは子どもだとは思う。だから選んだんだ。

●ちゃんと話せば許せる

今年は、意見を言って周りを変えていく姿勢を持ってるので、沢山口を出すことになるだろう。既に年末から随分申し立てをした。面倒ではあるけど、プラスと呼べる経験にはなっている。
間違えても謝罪してくれればぼくは批難しない。話し合って落ち着いて説明して分かり合えば良い。もし考え方が根本から違って意見が食い違うのだとしても、相手が真剣に考えているのであれば、ぼくは怒ることは無い。前にも怒ることや意見をぶつけることについて書いてきた上にクレーム話をしているけれど、悲観的で偏見を持っている訳ではないつもりだ。話ができる相手を生まれた時からずっと探して、社会に出てきてしまった。

●ちなみに

さすがに言わなくても分かるべきことを分からないのも嫌いだ。数の勘定ができない、言葉が通じない。とくに相手を思いやる能力は、位置取りを見れば分かる。歩いてても立ってても分かる。私が出会う99%の人間は不合格だ★☆★