2020年4月16日木曜日

めも

あえて下書きにはしない。これをパブリックコミットメントという。

・私の能力、自分の特異さ、半生についてのデータ、やりたいこと、理想郷、思考テーマ
・正しいこと、論理

・忘れる能力。覚えるのも速い。引き出しの例え。

・大きな物の一部という理解 図形、理論、現象学
・いま、ここ、おれ
・注意力と頭痛、腰痛
・テトリスと人生

・「SAVE」(保存、承認、安全、確保、、抑制)
・「脳感覚」 …血流や活動の感覚。
・「衝動力」 …意志力とは対。
・「左右差の科学」 …タイヒミューラー的な。
・「QUESTION」(疑問、質問、好奇)Questionist, Questioner, inquierist、ページをまとめる。惜しまない。
・「知識の卸売」 …コネクトの仕事。最近はマッチングっていうのか。その他卸売について。
・算数の先生の台詞、睡眠への疑問の無さ、「Curious」、ガザニガの疑問、東大生の課題、、、
・知の歴史をたどれば、凡そ発展途上であることの理解。→「解明され尽くした」は幼子の誤解。ギリシャと変わらぬ現代。
・音楽と科学の両方に取り組んだ偉人が少ない件。読書と読譜、実践の例え。

思想の表整理
科学→個々の思想、の順で知に触れる方が深く理解、記憶、比較可。


Q.
・ゲーム世代の音感について リズム感と音感の話
・論文は無料で見られるのに本はお金がかかる?内容を公開したらだめ?図書館?
・室内の窒息→A.建築でクリア
・右利き→A.左脳という通説

2020年4月5日日曜日

73 「科学的根拠が無い」論の不明さについて

2020年4月5日(日) 雨と晴れ

前項の血液型についての話が長かったのでこちらに分けた。

「科学的根拠が無い」という慣用句を暗唱して高い所から一蹴する人々が大変多いが、この句が示すことはせいぜい「科学を信じる人にとって」「真実とは限らない」ということで、否定にはなっていない。否定とは「偽である」ことを証明するのだから、意味のある情報で、それこそ根拠が必要だ。

「真実とは限らない」ということは、真偽については新事実を一切示しておらず、真偽値0から1まで全ての可能性の幅を保持させている。これを「偽である」と誤認するのは未就学児くらいであってほしい。
 その中でも限りなく真に近い例としては、数学の「予想」などのように、論理的に証明はできていないだけでほぼ間違いないとされる命題だ。自然科学でも、観測はされているが、「その正体はいまだ謎に包まれており、現代の科学ではほとんど解明されていない」まま、表面の現象だけ技術として利用されることも沢山ある。日常の中でも、科学的な実験がされなくても「たぶん正しい」ことは無数にある
 「根拠が無い」ことは文字通りプラスでもマイナスでもない。無いなら探すのが科学だろう。

「科学的根拠が無い」という句が本当に否定し得る、つまりこの句と矛盾するのは、もちろん「科学的根拠がある」とされる命題だ。そういう「偽科学」に対して、否定を主張することは正しい。それでも、事象そのものの否定はやはり別の話だ。もし手相占いに科学的根拠が無いと否定しても、事実として手相と人生に相関が無いかどうかはまた別だ。



とはいえ…。そもそも科学において何を「根拠」「証明」とするかについては幅がある。当然、科学は帰納的な手法でしかあり得ないので、基本的には「解明」されずとも追実験によって「再現」されればよしとされる
 では「科学的根拠が無い」という慣用句はどの立場で言っているのだろうか。「実験はしているが再現性が無い」つまりほぼ誤りらしいとも取れるし、「単に実験データが無い」とも聞こえる。人によっては何の科学的根拠も無く言ってる気もする。なぜ科学についての話がこんなに分かりにくいのかも分からない。
 せめて「科学的に否定されている」と言ってもらえれば納得するのだが、、まあ知識が無いのかな★☆★

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2020年4月3日金曜日

72 血液型と世界観の関係について

2020年4月2日(木)曇

思い立ったので血液型について10年ほど考えていた自論をまとめる。
結論はごく簡明。

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血液型によって、「世界観」が異なる。
・A型 …神が世界。
・B型 …自分が世界。
・O型 …他人が世界。
・AB型 …A型とB型の世界観をスイッチする。たぶん。
−−−−−−−−−−

私の経験および観察と、俗に言われる血液型性格診断などの特徴を統合した結論が以上の短い言葉だ。完全に私の思想であり、出典などは無い。
やや詳しく説明する。

・A型 …世の中の大多数がよしとする規範だったり、よく言われる定式などを正しさの基準とする。いわば巨大で実態の無い「神」を信じ、神が作った固く抽象的な枠組みの中で行動するため、柔軟性は低い。やや男性的。「やるべき⇒やる」思考。
・B型 …自分の思考や感覚そのものが世界である。「やりたい⇒やる」ことが正義。「自分が」相手を友達と思っていれば「相手が」自分を友達と思っているかは関係無い。男性的な脳の使い方に近い。
・O型 …他人の考えや周囲の状況の中により快い解がある。複雑で変化する状況に応じて、価値が変わる、不定型。基本としては、自分単体の精神がゼロベクトルのため、「別に。」と言い、他人に「どうする?」と問いやすい。女性的な脳の使い方に近い。
・AB型 …正直サンプルが少な過ぎてよく知らないが、A型とB型の要素をあわせ持つのだと思う。


科学的には、体中を巡る血液の型が異なり、罹りやすい病気が異なったりするらしい。それ以上のことは知らないが、簡易な実験では子どもでも「行動」に大きな差は出るようだ。「性格」というときな臭いが、血液の違いによって、脳の成長や内臓の機能、思考や行動に影響が出るとしても何も疑わしくない

−−−−−−−−−−

以下、よくある反論などについて考える。

■「A型のイメージによってA型っぽくなる」説

つまり、社会的な像に自分を合わせにいくことで性格にも差が出るのだ、という社会的要因説。それ自体は心理学的に正しい。しかし生理的要因の否定にはなっていない。また、この説は要因に目を向けているので、「血液型によって性格に差が出る」という結果は認めていがち。

■「人間をたった4つのタイプに分類できる訳が無い」論

この呪文を嬉々と詠唱すれば、周囲を赤面させることができる。傾向という概念を知らないのか。血液型という1つの要素によって全ての性格が決定すると思っているのだろうか。無論、森羅万象は複数の要素が複合して動いている。

■「海外には血液型占いなんか無い」論

日本では、4つの血液型の人口がほどよくバラけているから占いとして楽しめるが、外国では、国民の8割が同じ血液型である所もある。そうすると、その国民のほとんどが同じような性格の持ち主となってしまう。そんなことはあるまい、という主張だ。
しかし、もしある国の大多数の国民が同じ血液型の持ち主で、みな性格に同様の方向付けをされているとして、「それはあり得ない」と結論できるだろうか。我々は「国民性」や「地域性」という考え方については当たり前に認めている。風土や歴史や遺伝子によって、ある集団が似たような志向や健康状態を持ち得るなら、血液型がその要因の一つになっても疑問は無い

■「血液型占いには科学的根拠が無い」論

長いし汎用性あるから次の投稿に書くわ。
言いたいことは、「根拠が無い」は否定ではないということ★☆★


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