2011年7月4日月曜日

30 MONO no uzu

FF13OST+聴いた。久々に武蔵伝2とか聴いた。
FF13-2の公式サイト見た。やってないけど感動する。
IMERUATのMyspace見た。ランキング載ってるし。ライブ楽しみ。

偶然と浜渦さんの音楽を沢山聴く最近。思うこともある。

◯とにかくサウンドがいい。どんどんよくなってる。浜渦さんってば、音質やミックスの技術が上がる今日、もっと音楽そのものの質を上げるべきだ、みたいなこと言って、一体どこの誰よりもいい音じゃないかと思われる。もちろん全然悪いことじゃないし、ただ良い道具を使えばよくなるわけでもない。

   そうは言っても、自分では最近理想の音が出せなくて困る。ついちょっと前は、音の違いはさして自分にとって問題ではないと言ったけど、今はもう問題。というのも、聞こえる音が想像と狂うと、他の音とのバランスに影響が出る。メモのような抽象的なものばかり溜まって、音に体が無くて自分ですら何がやりたいかわからにくくなってしまう。現実主義的な最近の自分には辛い。


◯長い音が多い。元々、メロディよりはコードばかり鳴らすような人で、メロディも単純なものが多いように思うけど、それはいわゆるメロディメーカーとは対照的。どうも何かを作る側は忙しい物にしてしまいがちな傾向があるし、メロディは楽曲の顔、顔無くして生命無しと思いがちな人もいる中で、浜渦さんにはメロディとは言い難いような曲も多い。

   わかりやすいメロディやコードってものは、場合によって、のん気で自分勝手で押し付けがましい感じも与える。逆に、いろんな解釈ができるような、意図的でない深い景色を描くような表現にしておくと、聞く人を落ち着けられるが、ただ曖昧で取り留めの無いものに終わりがちなのが表現としての注意点。

浜渦さんがそういう性格か、あるいはそういうものを求めているんだと思うんだけど、長い音を支えるのはその意外で感動的な音選びであったり、良い音質であったり、長く鳴っている中でも変化する音の要素であったり、周囲に広がる広い空間だったりするわけで、やっぱり持ってる音の乏しさがちょっと嫌になるこの頃。


◯繰り返しが多い。これは自分も好きだし、そういうのに特化した音楽のジャンルもある。元々ゲーム音楽はリピートするのが基本だけども、浜渦さんにはアレンジ曲やモチーフの再利用も多い。同じものを何度も使うというのは、一つ一つを長く大切に扱う清貧の精神であったり、一つのものをいろんな風に見る能力であったり、それをますます多様に変化させる想像力であったり、いろいろな性向を感じるところだけど、逆に、一つのものを膨大な角度から見て、その中からまた一つに絞って他を捨てるというのは、如何でか強さが要りそうだ。

繰り返し、反復、振動、波、回転、これらのものは、物事を学習して達成するための練習であったり、他人の信頼を得るためであったり、精神の深みに入っていく術であったりして、科学的に正しいと認められる術に他ならず、生活習慣病、諸々の文化を生むのにも大きな力になってる。鬱病の症状でもある反面、実はこのような音楽が合法的にトランスに飛ぶヤクとして使われることもある。精神を破壊する音声も刑務所か何かで使われてたそうだし、モノは使い様ですな。そして音楽業界自体が古いものの繰り返しで、まだまだだと思う。いつも思う。


さしずめまとめ以上。どうせ考えてること完璧にまとめようとしたら膨大になるから諦めよう★☆★

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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。