2011年7月18日月曜日

38 兄弟みな友達〜夏がくる

2011年7月17日日曜日、スカイブルー

いろんな中学の一年生達が集って小学生とお話しする会に参加してきた。中学生は辛いことも経験し始めるし汚れを纏い始める時期だけど、この時期はむしろ小学生よりも子どもだと言われるほどまだ若い。開放的な雰囲気に意気揚々とし始める子も多い。そんなわけで、初対面の子が殆どだったのにも関わらず、お祭り的な雰囲気も手伝って、みんなまるで知り合いかのように楽しく話せた。中には知り合いの子もいて、ちゃんと憶えててくれて嬉しかったし、快活に楽しんでいるようでなお嬉しい。
   例えば仕事仲間と仲が悪くても、仕事が終わってからだと嘘のようにお互いを認め合えたりするように、余裕があると人間関係が全然異なる。上に誰かいると安心するし、下に誰かいてもそれはそれで安心する。小学生でそういう経験はあまり多くない。

そうして比べてみれば、小学生の方はやっぱりあまり個性を表出してない。自分もそうだったけど、恐らく最近はますます、してもいいこととよくないことを自分で判断させてもらえない子が大部分だから、別に悪いことじゃないと思うけど親の許可がおりないと心配で安心して自由な表情も作れないって子が多いように思う。自分の素直な気持ちを表現させない教育は、時代の流行でもなければ深い思慮があるとも考えられ難い。そのへん兄弟がいるとずいぶん変わる。
   でも大人でも変わらん。仕事で、これ自分はこう思うけど一応確認取りたいなぁ不安だなぁってことは多々ある。だから前もって分かりやすくいろいろな場合を汲んだ説明をすることが大事だし、自分で判断できるように豊富な知識を持つと良い。どうしたら情緒が安定するのかについてはいろいろ考えてるけど、とにかく子どもに限らず大切なことだからいつも注意してる。

5歳の子がお母さんとお兄ちゃんが中一と話してるの数十分静かに待ってた。ものわかりがいいと見るか、諦めが早いと見るか、自分にはそもそも他人にあんまり興味が無いように見えた。それでもあまりずっと放置されて暇と不安とが募ったみたいだったから忙しさの合間に少し話したら、やはり現状を甘受していて新しいものを求める雰囲気ではなかった。頭があったかかった。やはり末っ子生まれながらの甘えんぼ気質だと思ったら大間違いだと思う。

帰りに電車内で2,3歳の男の子と眼があった。自分は眼があうと特に面白いことできなさにすぐそらしちゃう癖があって、でもそれだと向こうはこちらを安心できる身内として認識するのに大きな妨げになるし、逆にちゃんと眼を見ればちゃんと真っ直ぐに自分自身を見ているということが分かって好感を持てるものだと思ったから、意識的に見るように、眼が眼を見るという奇跡が起こってしまってもそれを維持するようにしてる。向こうは意外と眼をそらさないけど、それは面白いこと待ってる気もするから現状で満足はできない。
   しかしまぁこっちをじーーーっと見てくる子どもの方に感心する。子どもってのは変に怖いものを知っていなくて、よく分からないものにはほんとに遠慮無く突っ込んでくるものだし、新しいものを求めているんだな、と。知ることと遊ぶことというのは深い関係があるように思うし、遊ぶことはつまり根本的極楽ではないか思う。

それにしても小学生よりは中学一年生や就学前の子どもの方が、同じ教育をする親の元にあっても、よっぽど抵抗無く会話してくれるという事実が面白い。特に、小さい子の器の広さは、教育の莫大な可能性を考えずにはいられない。彼ら以上に素直にならなければ良い教育は見えない。現状とはかけはなれている★☆★

0 件のコメント:

コメントを投稿

( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。