2011年7月7日木曜日、時に雨
奇数が重なる重陽の日。陽が強過ぎるから、七夕の節句をする。
そんなお昼、電車に乗って本を読んでいたら、ぼくの大好きな子役の小川向陽くんが、一面のひまわり畑に立っている絵が見えた。そして、はっきり音が聞こえた。急いで電車降りて描き留めた。採った音が合ってるのか何度か不安になったけど、帰って打ち込んでみたら想像以上に素晴らしい音が鳴ったので満足。だけどまだ主題ができただけやん。夏の暑さに身を置いてまたの出逢いを俟つ。
日々音感鍛えといて本当によかったと思う。楽譜にしておかなかったら、あるいは音名だけでも分からなかったら、二度と思い出せなかったかも知れない。実際帰る頃には涼しくなって、自分の頭には違う音楽が繰り返されてた。
何かイメージが浮かぶときは、音や絵が単体で来ることはあまり無い。全体的な雰囲気が、夢を見るみたいに、その場にいるみたいに、ガッと来る。だから音を憶えるのに映像を憶えるのはかなり役に立つ。音だけで気持ち好さを追求してもなかなか一つに定まらないけど、拠り所になるイメージがあれば、いつもそれを基準にするとすんなりと一つに決まる。どんなに簡素で捻りの無い音でも、素直で美しく、退屈さは無い。
今思うと、本の読み方を少し変えたことがイメージが浮かんだ原因だったのかも知れない。誰かが書いた文字を読んでしっかり理解できるということの不思議さは常日頃考えていて、基本的に本の内容に集中できないでいるんだけども、この日も考えていた。今までは、文字の見た目や音声に囚われて想像が妨げられないようになろうと思っていたが、その思いがかえって文字をよく見て深く入り込むことを妨げていたことに気づいた。まずは文字を文字としてしっかり見てから、自分の広いイメージの中で操作する方がよっぽどよく分かる。景色を眺めつつ少し集中して読んでいたら、ふと向陽の映像が広がった。
あ、あと本の内容が、陽が出てると元気になって、雨だと病気みたいになっちゃう子っているよねーって話だった。共感してた。それから、体力尽きるまで遊び続けてしまう子っているよねー、充電できない電池と同じだねって話だった。重陽なのに向陽であるのと同じだと思った。
ちゃんと完成しますように。小川向陽に会えますように。向陽がずっと向陽でありますように★☆★
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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。