2011年7月15日金曜日

36 おとなるこころび

2011年7月14日木曜日、満月

日経新聞の読み方みたいなのがポストに入ってた。新聞持ちにくくて死んでほしいけど内容にはけっこう興味持てた。文字読むコツつかんだ。いわゆる若者の中で新聞を読まない人は半数に近いと知ったときは驚いたけども、というのも自分が新聞読んでないのは相当珍しいことだと思っていたからで。

経済や政治にはつくづく味が興らないまま廿年間生きてきたのは、味を教えてくれる人がいなかったのは勿論揺るがない理由の一つ。最近自分で興味を持ち始めた理由を話そう。

そもそもなぜ興味が持てなかったのかというと、これは他の分野でも自分の成長を妨げるとても大きな思想が原因で、というのは、規模が大き過ぎてとても理解、制御できないと思ってた。
   もともと、手っ取り早く全体像を鳥瞰してレベルの高い実用的な表面の形から入って問題が起こった後から初めて調整するようなタイプではなくて、まずは深く潜って本質的な細胞をできるだけしっかり捉えてから組み合わせて一つ一つを正確に積み上げてどれほど遅くても完璧な全体像を作るタイプだから、あまり大きなことや人間が関わることを理解するのは現代の人間の技術では到底無理だろうと思ってた。
   というのも、目の前に見える具体的な現実こそが本物の世界だと見るか、その後ろにあるのであろう抽象的な精神や原因、超越的な存在こそを本物の世界と見るか、この世界観の違いが大きな原因の一つではないかしら。
   結果的に完璧主義で理性的で、文化よりは科学を好んで生きた。


ということだけど、最近になって、巨大で難解なもの、つまり保健や天体よりは心理や歴史のようなものを理解するのに前向きになった。以下理由。

一つ。この通り、物事の原因は一つだけではなくて複数の力が合わさって一つのベクトルが生まれると気づいた。だから、どんな些細なことでも大勢に全く関係無いということは無いと思えた。そして逆に、大きな物事によって自分に身近な些細なことにも影響が及ぶと思えた。
二つ。大きな物事も意外と小さな選択で動いてしまうものではないかと気づいた。前に書いた通り。どこをどう突けば結果としてどこがどう動くかを見るのは、見えないものを見るようでとても面白い。
三つ。行動して変化起こすことが楽しくなってきた。これは感性がそうかどうかで、それが正しいとかそう感じるのがいいとか思ってないけどなんかそう感じようと思った気がする。

とかそんな感じ。子どもの頃に教えてほしかったことばかりです。経済や政治は、金銭や社会制度を自分の問題として気にし始めたら少し身近にもなってきたしね。

やっぱり一つのテーマで書いた方が圧倒的に読みやすいから今日はここまで★☆★

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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。