2011年7月21日木曜日、寒み
既に夏の終わりが淋しくなる涼しさ。向日葵が4日間くらいずっと項垂れている。
外に出ることについて
外に出るのはめんどいけど、実際出てみるとそうでもないことは知っていた。何でもそう。
外に出るとなぜか分からないけど発見があったりやる気が出たりするのも知ってた。
その理由は、予想外で新鮮な情報がめちゃくちゃ膨大にあるからだろうと思い至った。
正直パソコンにも予想外な情報を流すソフトがあった方が好い。あと画面大きくするべき。
そうはいっても、家にいて自由にごろごろしてる方が好きだった。
が、最近になって変わった。外出は在宅と同じくらい有力な選択肢になることが増えた。
というのも、人に接することが面白く感じられるようになってきたからだと思う。
実際に3次元の情報量や容貌に親しみを感じられない人には現段階では当てはめられない心情かもしれないという前提で以下理由。
1)外に出れば、実際に反応が得られなくても、自分のことが少なくとも認識はされることで、表現する欲が満たされる場合は多い。話聴いてもらえただけで満足、日記書くだけで満足するのと同じ。
2)意外な出会いに期待も寄せる。意外なことは意外と意外でもなく起こり得るものだと思ってるかどうか、普段体験している小さな偶然や出会いの可能性の稀少性を認識しているかどうかが、現実や日常という退屈がちな言葉を楽しめるかどうかに関わる。また、その世界観は、他でもなく自分自身が意外なことをいつでも起こし得る可能性が充分に有ることを認識しているか、あるいは意外なことを起こす勇気を持っているかどうかに影響を受ける。意外性を楽しむ感性についての話は長いので別に。
3)人を動かすことに興味が湧いてきた。変化が楽しいという意味では前言った通りであり、特別人を操作する楽しみについては後日書く通り。
4)前にも何度も言うように、ちょっとしたできごとで、大きく物事に影響を与えることは様々な事物において多々ある。また、少し詳しく書いたように、何でもできるようになっておいた方が好い。ついでに言えば、後に良い影響を与えるものであるほど早く経験する方がよさげだ。だから、できるだけ多くの経験をしておくこと、とんだ偶然でもいいから面白い人に出会うこと、人と付き合う技術を磨くことを考えると、外に出ないではいまいち難しい。他人や世間の強力さについてはまた後で書こうかな。
5)東京では当たり前に知らない人同士はみんな知らんぷりだけども、すこし出てみれば、すぐ話しかけられるような文化もある。自分はそういう文化に身を置いていた憶えは無いけども、そうでないのが不思議に感じている。ここまで引っ込まなくていいだろ。なんか人同士がカチコチにぶつかるような環境ができたせいで、心身ともに引き籠る人もできてきちゃったじゃない。もっと日本人の奥床しさを全面に出せるような生活ができるようにみんな考え直さないといけません。
●大事なことは例えば、自分が良い情態であることに気がつく感性だろう。
めんどくないのにめんどいとか、けっこう楽しいのにつまらんとか、別にムカついてないのにマジウゼエとか誤解するのは損なことだけども、けっこう多い。癖になって常用する人も多いけど、そのへんは日本人的と言うべきかも知らん。大人になるにつれて不安なことが積み重なっていると思うのであれば、先入観とか希望に惑う愚かさよりは、子どものように今の自分を生きる素直さの方が人生を楽しましむことは明らか。その上で、自分が大人だと思うなら、今の自分以外の場所にも楽しみを分かつ思考回路を制作すればハッピーな時間は増える★☆★
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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。