2011年3月11日金曜日

16 始めに無限の斉一性ありき。

子どもの頃からの悩みが沢山ある。一つ。

今曲を作ってるんだけど。かなり前から作ってるんだけども。
例えば一つのメロディがある。それに合うコードは腐るほどある。メロディをひとつのコードでしか使わないのはもったいない。とはいっても全部のコード使うことはできない。そうじゃなくても、リズムや拍子や音色や装飾を変えればいくらでも綺麗な音楽ができる。

と考えればすぐわかることだけど、メロディ自体もバラバラにできる。はずなのに、そもそもメロディはどうやって生まれたのかといえば、それはもうふと浮かんできたり。ある程度理論的に考えてのちはやっぱり感覚的に。

と考えればすぐわかることだけど、和声や音色もあれこれ考えたとしても最終的には感覚的な良し悪しの判断を通って一つに決まる。であれば、もっと感覚を研ぎ澄ませてよく聴くことが大事なんだろう。

自分の矛盾らしきものを突き詰めて破壊的に考えることでかえってそれを補強できる。それは意外と他の人はやらないことえっへん。


…まぁそういうことだけどもし。
自分の感覚がものを生み出したのは確かだとして、それに変化を与えたり、違う形式でも表現してみたら駄目だとは思えないし、そもそも感覚的にふと思い浮かんだからといってそれが他のものを偽物と呼ぶ資格があるわけではない。
全部が本物。この思想を持ってる人も実践できる人もまた少ない。何しても全部理解する、あるいは非難しない、受け入れるというような人は殆どいない。

じゃあ何が自分の創作や行動を一つに決めるのかと悩むわけだけども、全部本物、全部同値なのだとすれば、逆にどれをとっても劣ることは無くて、結局自分がどう思うかが決めることになる。


なるほど、じゃあどこまでも自分の感覚に従えばよい…ということか、いまいち納得できないんだけど。よほど感性を強くしないといかんな。

その点理性の弱い人は羨ましい。楽しいだろうし、人気もあるし。でも自分がやめられないのにも簡単な理由がある★☆★

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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。