考えることはいろいろありますが書くことが難しく、一回遅れると叱られるのが怖くてさらに後回しにしてしまう。よくある。遅れてもなければ叱られもしないけどさ。
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しばらく考えてたんだけど、表現することが大事だなと思うんす。積極的な行動には問題が伴う可能性が大きくて危険だけど、勿論いいところもあるってことで。例によって、比較的自分なりの論理的に。
一般的な話。
・表現することで、明確に分かるようになる。自分で何を想像しているのか見える。
・表現することで、そこまで考えていたことは稀少価値が無くなる。
・表現することで、そこまでの思考が保存されて、一時記憶の負担が減って思考が楽になる。
⇒で、自然と新しいものが求められる。生まれやすくなる。
・あるいは表現に齟齬がある中で、偶然よいものができるかも知れない。逆も然り。
と聞いて、何を例として想像するか知らないけど、これは様々な規模で言えること。
・例えば毎日日記やブログ書く人は、今日が何だったのか、何があったのか判明につかめる。
・同じことを書いてもつまらない、誰も褒めない。
・昨日のことは忘れるかのように意識の深いところに土台として置き、違うことに取り組む。
⇒で、自然と新しいものが求められる。生まれやすくなる。
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次の視点。極端に一般性を失う。宗教じみた話。ちなみに私は宗教と科学の差をよく分かってない。これには説明が有るけどそのうち書く。
死んだらどうなるか。
説1。普通最初は、天国地獄とか、永遠の暗闇をさまようとか、全く未知とか考える。
説2。自分は最近まで、意識や感覚とかの精神はあって、身体的な制約は無いものだと想像してた。死んでたらずっと夢見心地で素晴らしい世界だと思ってた。んで死にたいが口癖だった。
でもそれだとどうしてわざわざ苦しんで生きるのか意味が分からないから、もう少し生きるメリットがあるように想像を広げて、輪廻のシステムを考えてみた。散歩しながら。生まれ変わりについてはググればわかるだろうけどまた書く。
説3。意識はあるけど、感覚は無い。身体無いからと考えるとやや自然。感覚無いとさすがに生の世界で何が起きてるかわからなくて不安だし興味が湧く。目の見えない人が見えるようになったら、きっとものすごく感動する。同じように、五感をもって感動したいと思ったら生きることを選ぶのかも。
説4。意識や感覚などは充分に満足で、世界を傍観できるけど、決して誰にも認知されない。好きな人と実際に触れ合うことができない。素晴らしいアイデアを実行できない。寂しい。
どれも浅はかにも見えるけど、死についてほぼ考えたこともない健全な人に比べれば論理的な理解はきっと深いからまぁ進んでると解釈されてもいいつもりで以下。
表現の話につながるのはこの4番であって、要するに自分を認知されることはそもそも誕生した最大の意味だとする。だとすれば、自分が普段の生活で、どうしても自分の気持ちを分解しても、人に対する見栄みたいなものは残ると思うことが多い理由が説明できる。生まれてから人と人が作ったものにこれほどまで囲まれて過ごしてれば当然かも知れないけど。人は愛し合うために生まれてくるってよく言われてるのにも一つの説明ができる。
眼に見えない、しかも精神的なものは現実世界を動かす力を起こさないという考えには今のところ反対する。これもまたそのうち説明すると思うけどとにかく自分はそう考えてる。
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関連して、もう一つだけ別の観点。
空白には圧迫感がある。マンガの余白、無言の部屋、静止、死体。
そこに何かがあるはずなのに無いという違和感で満たされる。
そもそも何も無いってのはとても珍しいしよく理解できない。
普通ものすごく多くの存在に包まれてる。普通何かに包まれてると安心する。
何も無いから、それを感じることができない。そこに行くことができない。場が無い。
この場が無いってのが表現できない魂の恐怖なのかな、と。これにもちょいと世界観が関わると思うんだけどもまたそのうちw
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家も外も窮屈で、移動時間が最も自分を開放して表現できる時だった自分が、長い時間ぼんやり考えてたことが形になってすっきりした。今日も楽しもーっと。向陽好きだ★☆★
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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。