2011年4月8日金曜日

22 つうつうつうつうゆう

あいうえお。まとまったことを書く予定は無いけど一応勝手な論の続き。レベルの低過ぎる鬱についてはしらん。

そもそも鬱になるには沢山の可能性がありそう。一つの結果が起こるための原因は一つとは限らない。むしろほぼ複数しか無いだろうと考えてる。複数の原因を見るという目は大切かどうかはともかく、とても大事だと思う。この考え方を持ってない人はめちゃくちゃ多いし、自分も去年くらいまではやたら一つだけの原因を探す癖があって今もちょっと割り切れてない。
   ということで鬱にはいろいろな経緯があるので、いろいろなことが解消の原因になり得るということにしておく。

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やっぱり鬱の大きな特徴は、苦しみを繰り返すことしか想像できないことだろう。この先にすごく楽しいことがある、ということが全然想像できてないと思うよ。

   毎日同じこと、辛いことの繰り返し。朝起きる、でかける、帰る、寝る…。学校、受験、就職、仕事…日々責任に負われて、辛い仕事をこなしていかないと生きていけず、あげく老化する。特に楽しみもない。あぁ、あの頃は良かったなぁ。
   普通なら楽しいことでさえ何か否定的に捉えてしまう思考回路がある。どんなに楽しくても、むしろ楽しければ楽しいほど、それが終わることが悲しい、意味が無いことが虚しい、しなければならないことは消えない、かつての楽しみには敵わない、ということが即座に見えて、よく楽しまないまま悲しみへ気持ちを流すこともある。

この二つの考え方は互いに原因と結果になる。つまり悪いループを生む。
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自分の複数の経験から言えば、問題の起こりは精神的な部分ではなくて、身体的に同じような生活を繰り返していたことが大きいと思う。身体は精神に影響を及ぼすのは自然なこと。例えば長期休暇で家から出ないで独りきり、逆に毎日外に出っぱなしでゆっくり独りになる時間が無い。外の空気を吸わない、移動しない、運動しない、食べない寝ない。
   →環境的なループにも、精神的に悪いループに結び付けてしまう場合もあれば、良いループに結びつけられる場合もある。結局考え方が重要なんだけども、少なくとも何事も広く循環しないと、視野が狭くなって楽しいと感じにくくなるということ。

繰り返しの中でも鬱になりやすい状況に昼夜逆転がある。夕方起きて昼近くに寝ると、一日中何もできないで終わる気がしてしまう。
   →でもこれは夜を活動時間外、無為な時間と思い込んで、いくぶん偏って否定的に捉えているからで、メカニズム的なこととは遠いように思える。日光を浴びないと肉体的に不健康とはいえ、実際に積極的に活動している内容は大したことが無いことが多い。
   逆に言えば、意識してない人が大半だけども、昼間起きる、出かけるということは、それだけで沢山の情報と記憶を含んでいる。問題を直接解決する方法にはならないけど、気分は晴れることが多い。

絶対的な生きる価値を持っている人ほどかえって鬱になりやすいんじゃないかと思う。絶対的な愛があって、それがもう叶わないと思ってしまったとき、その人には自分や未来に希望が無い。これは対処に困る。
   →自分の解決策は、そうは言っても未来には何があるか分からん、と考えること。そもそも鬱になるほど強い思想を持つというのはちょっと凄いことで、実は多くの情報を慮って気配りをして、自分なりの処理を行ってる結果だろうと思う。そうであれば、その想像力、思考力を使ってもう少し現実の幅を広げて考えてみると、未来には今まで以上の価値があって全然おかしくないことが想像できるはず。極端に言えば過去の幸せを再生、保存できる何かしらの技術もできることが想像できておかしくない。

簡単に言えば、まだ見てもない未来を自分の頭の中で決めつけてその全てに悪い解釈してるのが気分悪いのだからこの解決策は慣れればけっこう有効。なんで決めつけられるかって言ったらそれはきっと論理的、絶対的に、狭い視野だけで考えるからだろうな。意識で分かることは沢山あるけど、無意識を侮る理由には全然ならない。価値を沢山持ってる人ほど活発に生きていけるものなのかな。
   気分が晴れれば問題の解決になることも充分起こり得ることを認識した方がきっと良い。気分が良いと純粋にものを考えられなくなる恐れがあるのは分かるけど、なってみると意外とそうでもない。良い状態と悪い状態の比較ができるのは利点の一つ。気分が良い時と悪い時でどちらが上手に思考することができるかは瞭然。

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もっと簡単なこと言えば、規則正しく朝起きて出かけて誰かと会って早く帰ってテレビでも見て、あと日記でも書いて一日を整理して特別なものにすると概ね良好。正直、鬱は悪じゃないと思うのでそのまま悩んでてくれてもけっこう助かるんだけどね。単に鬱の気分が嫌いなら歌でも歌えばいいよ。何にせよ鬱病は数カ月で自然治癒するという医学的なデータがあるのでせいぜい悩めばきっと日本人らしい良い経験ができたと思えるようになるよ。


元気に生活するためとはいえ思想的に諦めを持つと、そこで子どもは終わるように思える。かと言って苦しんで悩んでも、それは諦観を含んでいるから子どもではない。本気で永久に死にたくない、これがやりたいと思ってないと子どもじゃなかろう、と思う。
もう鬱でもないのに鬱のこと考えるの疲れた。日々に結びつけて書くのが一番★☆★

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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。