2020年4月3日金曜日

72 血液型と世界観の関係について

2020年4月2日(木)曇

思い立ったので血液型について10年ほど考えていた自論をまとめる。
結論はごく簡明。

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血液型によって、「世界観」が異なる。
・A型 …神が世界。
・B型 …自分が世界。
・O型 …他人が世界。
・AB型 …A型とB型の世界観をスイッチする。たぶん。
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私の経験および観察と、俗に言われる血液型性格診断などの特徴を統合した結論が以上の短い言葉だ。完全に私の思想であり、出典などは無い。
やや詳しく説明する。

・A型 …世の中の大多数がよしとする規範だったり、よく言われる定式などを正しさの基準とする。いわば巨大で実態の無い「神」を信じ、神が作った固く抽象的な枠組みの中で行動するため、柔軟性は低い。やや男性的。「やるべき⇒やる」思考。
・B型 …自分の思考や感覚そのものが世界である。「やりたい⇒やる」ことが正義。「自分が」相手を友達と思っていれば「相手が」自分を友達と思っているかは関係無い。男性的な脳の使い方に近い。
・O型 …他人の考えや周囲の状況の中により快い解がある。複雑で変化する状況に応じて、価値が変わる、不定型。基本としては、自分単体の精神がゼロベクトルのため、「別に。」と言い、他人に「どうする?」と問いやすい。女性的な脳の使い方に近い。
・AB型 …正直サンプルが少な過ぎてよく知らないが、A型とB型の要素をあわせ持つのだと思う。


科学的には、体中を巡る血液の型が異なり、罹りやすい病気が異なったりするらしい。それ以上のことは知らないが、簡易な実験では子どもでも「行動」に大きな差は出るようだ。「性格」というときな臭いが、血液の違いによって、脳の成長や内臓の機能、思考や行動に影響が出るとしても何も疑わしくない

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以下、よくある反論などについて考える。

■「A型のイメージによってA型っぽくなる」説

つまり、社会的な像に自分を合わせにいくことで性格にも差が出るのだ、という社会的要因説。それ自体は心理学的に正しい。しかし生理的要因の否定にはなっていない。また、この説は要因に目を向けているので、「血液型によって性格に差が出る」という結果は認めていがち。

■「人間をたった4つのタイプに分類できる訳が無い」論

この呪文を嬉々と詠唱すれば、周囲を赤面させることができる。傾向という概念を知らないのか。血液型という1つの要素によって全ての性格が決定すると思っているのだろうか。無論、森羅万象は複数の要素が複合して動いている。

■「海外には血液型占いなんか無い」論

日本では、4つの血液型の人口がほどよくバラけているから占いとして楽しめるが、外国では、国民の8割が同じ血液型である所もある。そうすると、その国民のほとんどが同じような性格の持ち主となってしまう。そんなことはあるまい、という主張だ。
しかし、もしある国の大多数の国民が同じ血液型の持ち主で、みな性格に同様の方向付けをされているとして、「それはあり得ない」と結論できるだろうか。我々は「国民性」や「地域性」という考え方については当たり前に認めている。風土や歴史や遺伝子によって、ある集団が似たような志向や健康状態を持ち得るなら、血液型がその要因の一つになっても疑問は無い

■「血液型占いには科学的根拠が無い」論

長いし汎用性あるから次の投稿に書くわ。
言いたいことは、「根拠が無い」は否定ではないということ★☆★


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