2020年4月5日日曜日

73 「科学的根拠が無い」論の不明さについて

2020年4月5日(日) 雨と晴れ

前項の血液型についての話が長かったのでこちらに分けた。

「科学的根拠が無い」という慣用句を暗唱して高い所から一蹴する人々が大変多いが、この句が示すことはせいぜい「科学を信じる人にとって」「真実とは限らない」ということで、否定にはなっていない。否定とは「偽である」ことを証明するのだから、意味のある情報で、それこそ根拠が必要だ。

「真実とは限らない」ということは、真偽については新事実を一切示しておらず、真偽値0から1まで全ての可能性の幅を保持させている。これを「偽である」と誤認するのは未就学児くらいであってほしい。
 その中でも限りなく真に近い例としては、数学の「予想」などのように、論理的に証明はできていないだけでほぼ間違いないとされる命題だ。自然科学でも、観測はされているが、「その正体はいまだ謎に包まれており、現代の科学ではほとんど解明されていない」まま、表面の現象だけ技術として利用されることも沢山ある。日常の中でも、科学的な実験がされなくても「たぶん正しい」ことは無数にある
 「根拠が無い」ことは文字通りプラスでもマイナスでもない。無いなら探すのが科学だろう。

「科学的根拠が無い」という句が本当に否定し得る、つまりこの句と矛盾するのは、もちろん「科学的根拠がある」とされる命題だ。そういう「偽科学」に対して、否定を主張することは正しい。それでも、事象そのものの否定はやはり別の話だ。もし手相占いに科学的根拠が無いと否定しても、事実として手相と人生に相関が無いかどうかはまた別だ。



とはいえ…。そもそも科学において何を「根拠」「証明」とするかについては幅がある。当然、科学は帰納的な手法でしかあり得ないので、基本的には「解明」されずとも追実験によって「再現」されればよしとされる
 では「科学的根拠が無い」という慣用句はどの立場で言っているのだろうか。「実験はしているが再現性が無い」つまりほぼ誤りらしいとも取れるし、「単に実験データが無い」とも聞こえる。人によっては何の科学的根拠も無く言ってる気もする。なぜ科学についての話がこんなに分かりにくいのかも分からない。
 せめて「科学的に否定されている」と言ってもらえれば納得するのだが、、まあ知識が無いのかな★☆★

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