2020年1月15日(水) 初雨
引き続き、書くことについて書く。「本を読む本」に近い響きだ。
だいぶ間が空いてしまったのに再び書くことが全くためらわれない自分の鈍感さに感動する。今書きたいから書くのだが、客観的にも問題が無いと判断をした。
我々は日に日に、直線的に寄り道なしで個々の情報にありつくようになった。頭に浮かんだ思想に対して、アラカルトのように、周辺との連続性にとらわれずに情報を入手できる。
音楽はCDではなく、1曲単位でダウンロードする。電子辞書やWikipediaで知りたい言葉を一回で知り当てる。それでは周辺の情報が入ってこなくなるという批判もあるが、事実として、情報同士の連続性や関連性を省いた検索方法が増している。空間に情報の点が存在していれば事足りる。
だから。同じ話題に長い時間が空いても、複数の話題が短い時間に林立しても、情報の引き手には何ら問題無い。辞書のように整然と並べなくても、気の隨に情報を生み落とせば、脈絡は利用者が勝手に編める。電子的な情報の遥かな強みは、容量と、正確な検索能力だ。そういうわけで、長い時間が空いて話を続けても問題無いという判断となった。そもそも定期的な読者などいなかった。
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このアラカルト方式の善悪については判断しかねる。むしろ、情報が作者の意図を伴うパッケージではなく、方向の無い点のまま見ることができるなら、各々が新鮮な解釈を楽しむような潮流が起こるのではという期待も大きい。余談だが、子どもに星座を自由に結ばせるような教材があったら楽しいと思っている。
長い時間が空いてもよいと言ったが、むしろ近年では、回顧がブームになっている感じがする。自身が体験することと、時間を空けることがそろって初めて得られる贅沢な楽しみだ。考えてみれば、音楽のモチーフにしても、マンガのキャラクターにしても、お笑いのネタにしても、忘れた頃に再登場することへの無条件の喜びのような気持ちは、どういうメカニズムなのか、大変に興味がある。記憶というよりも、忘却についての神秘を感じる★☆★
Les feuilles:
ありつく、知り当てる、引き手(情報を検索する者)
Other Themes:
星座結び、忘れた頃に再登場
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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。