2020年1月14日(火) 晴れ
さて
少々間があったが、書くことを続けてみる。
言いたいことが雪崩れる程あって困っている。情報が多過ぎて上手に整理できず、有意な形を取れなくなりそうだからだ。
そこで、形式をより柔軟にする。慣習に倣わず、より正しいと思われる形を採る。
要は、本の章のように、パッケージとして1つ1つの話題と結論を記していくことを捨てる。分量、結論、不変性、連続性などを持たなくてよい。正確性の強度も高くなくてよいが、できる範囲で正確に書く。
このルールで情報を記録していくことにする。筆を止めることを止める策として、「後で編集可能」だから「リスク無しでとりあえず行動する」モードにするということだ。よくある話。
一方で自由には危険が伴う。例えばツイッターのように字数制限があれば、そこに「合わせにいきたくなる」ことがある。字数制限などの「形式」があることで、行動へのモチベーションが発生し得るということだ。世のことごとは、制限を外して自由にする方が合理的と思われることがあるが、自由のためには都度自分で考えるという労働が必要となる。「自由」を扱うことは技能だと思う。大人になるにつれ、規範に則ることがいかに前頭葉の働きを節約して「合理的」であるかを自らに理解させることが普通だ。
つまり、自由が危険となるのは、それを扱う能力とモチベーションが弱い場合。逆にそれらが充分な場合には、既存の枠組みは脱却すべき枷となる。要は、「場合によって使い分ける」が最適と思われる。ありふれた話。
私もそうだが、物事を一辺倒で片付けたがる者は多い。「固定観念は悪」「型にはまるのは良くない」という観念自体が固定された形骸にしか思えない。学術的な研究でも、「場合による」ことを無視しているものが多過ぎる。
さて、そんなルールを新設したものの、これは単に許容を広げただけで、結果的には今まで通りに書くことを助長するはずだ。逃げ道をセットする、敷居を下げるだけで、人は動くものだ★☆★
Les feuilles:
押して(副)、籤売りの少女、一辺倒(出所は毛沢東)
Other Themes:
合わせにいきたくなる心理、場合(前提条件)分け、賢い逃げ道の例
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( ^^) _旦~~ おきがるにどうぞ。