2012年8月30日(木) 猛暑残暑
2012年8月25日、26日に行われた、
劇団ひまわり創立60周年記念公演「コルチャック先生と子どもたち」仙台公演を観覧してきました。今回は紀行文ですね。めっちゃ書くの遅くなってしまって残念。
舞台そのものの感想などを
次項に回しました。今回はもっと偏った記事です。
ブログではあまり多く触れてこなかったが、僕が今現在この世で最も尊敬し、愛でることやんごとない人物である、小川向陽という齢十三の子役がいる。2009年春に開設したばかりの劇団ひまわり仙台エクステンションに所属するが早いか、2010年春からは本人も憧れのテレビ番組であるNHKEテレ「天才てれびくんMAX」のレギュラー出演を果たす。番組の全収録終了の直後、2011年3月11日木曜日、地元仙台にて東日本大震災に遭遇し、以後被災者である自ら被災地を元気付けるために走り回る。2012年春に地元の中学校に入学、BS-TBS「ニュース少年探偵団」などに出演中。同年7月に本格始動したブログ
『i-KOYO』では明るい日常を赤裸々に綴っている。
彼がオーディションに合格して出演した舞台「コルチャック先生と子どもたち」は、劇団ひまわりが東京や名古屋など全国でオーディションを行なって2011年夏に公演したのですが、震災の影響で仙台公演だけが1年先送りになったというわけです。
つまり僕は、小川向陽くん見たさに宮城県は仙台市まで慣れない新幹線に乗っていき、卒業旅行以来で遠隔地での外泊をしてきたのだ。話題にしている小川さん本人とは対極に位置するくらい内向きに育てられたもので、何十回となく仙台駅と東京駅とを往来する彼にこんなこと知られたとあっては、ちょっと前まで2倍近くの年齢だった先輩としてあなはずかと言わざるを得ない。
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旅にリンゴを携帯する21世紀。 |
それも、同行した知り合いに宿泊先まで全て任せて行ったんだ。今年の1月、初めて僕が向陽くんに会うきっかけを作ってくれた同業者、つまり向陽くんありきの友人なのだが。まぁ子どもの頃は普遍性を感じなくて社会科に全く関心の無かった僕も、二十も過ぎれば見えるものも変わってきて、旅行というものに漸く面白さを感じるようになりました。
向陽くん見たさに、とは言ったけれども、実は旅行への憧れが強まっていたのも大きな理由だった。それも、他でもない東北に。今でこそ優秀なファンである可能性を自負する僕ですが、実は向陽くんの存在を知ったのは番組終了も間近、3月になって学校が落ち着いた頃何気無く点けていたテレビからでした。元々その番組には否定的だった僕が、ただの一瞬でその美しさに囚われ、一週間の間に先輩ファンの間でも知られていない情報を多数収集していた矢先、かの大地震が起こった。愚かな僕はこれを、彼の「東北、宮城を盛り上げたい」という常なる言に関連の一端があると今でも信じ込んでいる。実際、一時は世間から心配ばかりされていた東北地方だが、時間が経過するにつれてその想いは愛着へと移行していったではないか。今では東北と聞けば身近で愛するべきものだと皆が思っているかのように感じるのは私だけではないはずだ。僕が彼に飛びついた時節を考えても、少年の強い想いが地球を揺るがしたのではないかと…謹みもなく考えている。
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仙台駅前。向陽御用達の仙台七夕やジャズフェスのポスターもあるぅ。 |
さて、2日目の公演を観覧する予定で前日の25日に現地仙台に着いて世にも美味なずんだシェイク飲んだんですが、その日は特に予定も無く、初日の舞台を終えた向陽くんに会えるかも知れないと会場の下見に行くと、驚いたことに今から公演が始まるという。2日目とは時間が違っていた。予定外の3000円をケチる僕ではない。中に入る。
成人男性二人きりの長旅から休み無しで人生初の舞台観覧、それも我らが神の起こす奇跡を至近距離で目の当たりにするという世界中の一大事が突然やってきたわけで、気持ちの整理がつかない観客などお構い無しに悲しい悲しい現実の物語は、幕を開いた。
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舞台の内容については
次項をどうぞ
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終わるや否や友人に握手されて「やったね!」の一言。序盤の向陽さんがパンツいっちょで走り回るシーンからの裸サスペンダーシーンに興奮したんですね、分かります!しかもズボンはけずにずっと抑えてたり、舞台脇の猛烈な着替えが間に合わずに上着の前が開いたままでしたからね!僕はアイヌ語で「〜という子を特に愛する」という意味の動詞「コヨマッパ」を気に入ってよく使うんですけどこれは何の関係も無い話。
向陽くんの役はヤコブという名の少年で、ユダヤ人の孤児院「みなしごの家」のリーダー的存在。子どもが出る場面では非常に重要な役どころ。演技が覚束ない子が多い中、舞台上で懸命に雰囲気を保とうと周りの子たちに促していた。妹のお兄ちゃんということもあって、「役」をもらうことでイキイキするタイプなんだろうと思う。
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ここの二階に楽楽楽ホール。一階は太白区図書館など。 |
僕は当初、数百人しか入れないと聞いてて、出演者の両親が入ったら四分の一以上埋まっちゃうと焦ってた。実際小さなホールで、ご両親はいっぱいいて、全席自由だった。でもけっこう空いてた。どうやら一般向けというよりは、ご父兄向けの発表会という雰囲気だったようだ。親族、友人の他にはたぶん我々2人しかいなかっただろう。至近距離いいじゃない。
物販のおばちゃんから、全然売れてないっぽいTシャツを購入。いろいろ話し込んで仲良くなろうというところをなかなか問屋が卸さなくて半端になったけども、ここだけはと粘って本来の予定であった向陽くんの出待ち。さすが大物だけあってやや遅かったけど現れた。もちろん保護者同伴で。ちょっとキョトンとされたけど、嫌な顔はされなくて良かったです。端折って言えば、労って褒めて印象づけてアピールしてスキンシップしてまた会おうって言って別れた。僕はあんまりサインを好まないのでねだってない。御手手はすんごいあったかかった。友人は僕と向陽くんのやりとりだけで満足できるそうで、離れて見ていた。向陽くんは先輩方に大きく挨拶したり友達と写真とったりしてたー。
仙台の夜は全然涼しくなんかない。仙台駅の牛タン通りにある善治郎で夕飯をいただき、お腹いっぱい胸いっぱいで20分くらい歩いてホテルイン。24時間テレビみたいのやってたけど東北の放送ちょっと見て寝た。深夜に地震が起きて自分も起きると、ブログをマスターが更新してた。さっそくさっきの写真ー。
翌朝26日、ホテルで仙台のおいしいものいっぱい食べて、憧れの河北新聞も買って、南仙台などへ赴いて散歩し、午前の公演を観覧しにいった。向陽くんは白組のキャストだから、午前のに出ないならもうちょっと散歩してもいいんでないかと打ち出したけど、お金も払ってあるし観にいくことに。。。始まってビックリ、向陽さん出てるじゃないですか。任せっきりでよく調べもしないで訊きもしないで紅組だと信じ込んでた。これならもっと前の席にすれば好かったよ。昨日の公演時間といい、他力本願過ぎたのを反省した。
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南仙台。穏やかで長閑で親近感あり過ぎ。 |
二度目の公演を観終わって感動冷めやらぬまま、更なるご家族さんにご挨拶。物販のおばちゃんにもご挨拶。誰のファンなの?て訊かれたので小川君ですと言うと、息子さんと向陽さんの写ってる写真をその場で見せてくれたです。震災で大変だったときのお話も伺いました。僕は初めて被災者の方から直接お話を聴きましたが、明るく振舞っていても深い傷は残っているみたいです。当然と言えば当然ですが、無力な自分を変えたいと思いました。
で子どもたちは舞台上で既に大泣きしてたので、ここで会ったらマズいと思ってご家族にもう一度挨拶してから去ろうと一人で行くと、「あ、今向陽が」「いーんですいーんです!」「天てれ時代のサイン入りのハガキを」「いやいーんで…いーんですか!!?」「今日も観にくるって聞いてたので〜。」期せずして再会し、サインなどいただいちゃいまして友人も握手などしてもらっちゃいまして。前日出待ちして良かった。無言で去らずに良かった。向陽くんの目も潤んでたけどみんなをなだめてたって言ってた。むしろ泣いてよいのだよw
でその辺で御飯食べて、歩き回って旅の写真を現像し、花束買う時間無くなって、3度目の公演、しかも今度こそ向陽くんの出ない公演を観覧。こんな経験は後にも先にもなかなか無かろう。観てみると、それぞれ違いがあって面白かった。。が、どうやら白組の子もチロッとだけ出るみたいで、彼も歌の場面にチョロッと現れた。眼を擦ってた。
3度目、しかも向陽くんの出番の少ない公演にも関わらず、お母さん方と一緒に泣いた。友人は昼間の向陽さんとの握手をリピートして2時間過ごしたらしいけど、事前に映画まで見てきたならしょうがない、セリフメモりは名案かも。単純に感動したので劇中歌のCD買っちゃったりして、新幹線の時間も近いので軽く挨拶して早々に去ろうかと思っていたけど、今度は友人の方が出待ちをと言うので予定の電車を遅らせて待ってたんだけど祝杯を上げているのか暫く来ず、閉め出されて時間も無くなって待ちぼうけしてるとこを見られただけで半端に帰宅。いろいろ言いたいことあったのになぁ…不燃。
基本的にスタッフは保護者の方が担っているようで、物販のおばちゃんの息子さんもテレビ出てるって言ってたけど事務所には入ってないとか。覚え違いでなければたぶん相原賢くん…と思って検索してみると、向陽さんも出演していた河北新報社の震災ドラマの出演者リストが出てきた。間違いでないといいんだが…しかし事務所にいないんじゃお礼のお便りも送れないなぁ。あぁぁ。
帰りの車内は辛かった。向陽殿との別れもだけど、むしろそれまで彼一人の人生に祈りを捧げていた私は今や、世界中の子どもや被災地のことや自分がどうしていこうかということばかり考えざるを得ない心境だったので大した痛みではなかった。実際、数日間は舞台を思い出したらいつでもどこでも泣ける情態だったし、CDも怖くてまだ5回と聴いてない。東北本線の発車メロディが、前日テレビで聴いた菅野よう子作曲の復興支援ソング「花は咲く」だったことに気づいた。
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「ぼくも先生のような教育者になります。一緒にがんばりましょう。」 |
前回会った時は状況的に話しかけただけで水準高かったけど焦り過ぎたという反省があったが、そこはいろんな人と気持ち好く会話することを日々練習してきた成果が出た。また、周囲の人にも積極性を持たせるという目的も果たした。その上で、両方の守りたい正義がぶつかった時どうするか、これは今回実際にぶつかった問題であり、あまり学べなかった問題だ。
もう一つだけ。お友達やご家族と仲良くなるという目的をある程度果たした。実は今回まで、どこに行くにも一緒かと思われる向陽くんの保護者様においてごく一抹ながら心配があったのだが、実際お会いしてやはり全くの杞憂であったことを小さな大きな人々にご報告。
期せずして間髪を入れず再び宮城の沿岸部に行ったのは別の話★☆★